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離(はなれる)_3

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 ――次の目が覚めた時。気が付けば近くに流れる川に群生する草に引っ掛かっていた。寒い、途轍もなく寒い。水の流れはここ数日降りしきる雨の影響で増水していたからてっきり死んだと思っていたのは良かったが、このままじゃ体温が下がり続ける。

 と、ソコまで気づいて何かがおかしいと気付いた。空を見上げれば曇天からが滝のように降る雨、足元を見れば濁った水が……ほとんど流れていない?いや、それも問題だけど一番はこの強烈な寒気だ。まるで素っ裸のまま真冬の寒空に放り出されたような強烈な寒さは、異世界に来てから一度として感じる事の無かった感覚。

 ハッと気づいた俺は川の上流を見て、そして唖然とした。ソコには出鱈目な大きさの氷塊があった。いや、コレは川自体が凍り付いていると言った方が正しい。目の前に広がるのは、人も物も容易く呑みこみ破壊する濁流が完璧に凍り付き動きを止めているという信じ難い光景。

 頑丈な橋を壊す濁流を完全に止めるなんて滅茶苦茶だが、一方で道理で寒い訳だと納得した俺は次にアメジストを探した。こんな真似は当然俺に出来ないから、だから彼女の仕業と気づいた俺は一緒に川に落ちた彼女の姿を探し、程なくガチガチに凍った川の傍で倒れているのを見つけた。

 意識を失っているのか、頬を叩いても名前を呼んでも全く反応しない。気を失っているようだがそっちよりも問題なのはこの雨と冷気、抱きかかえると相当に冷えているのが衣服越しに伝わった。不味い、このままじゃ低体温症になる。俺は彼女を背負うと急いで暖を取れる場所を探し、程なく雨風を凌げるのに十分な洞窟を見つけた。

 次にするべきは火だ。身体を温めないと俺も彼女も長く持たない。が、燃やせる様な物がこんな場所にある筈がない。そこまで奥深くない洞窟を探索しても、風に吹かれて飛んできた木の枝とか枯葉がある程度。仮にコレで火を熾せたところで精々数分が関の山、とても身体を温められる様な量じゃない。となれば、後は外に探しに行くしかない。なんでこんな目に合うのか、そんな苛立ちと怒りを熱量に変えながら俺は雨の降る森の中へと走った。

 ※※※

 森の中をひたすら走り続け、何かないか必死で探した。こういった手付かずの森であっても小屋の1つや2つ位はあってもいいだろうと。だがどれだけ走れどもそんな物は一向に見つからず、燃やせそうな物も殆どない。数少ない成果は、丁度ネズミ返しの様に抉れた形状の崖下に転がっていた枯れ木、それから針のように細く尖った特徴的な葉を持つ木から滲み出る樹脂。

 大体の物が地球と同じなら、この世界にも松の木があって良い筈だ。ツンとくるような刺激臭、独特の手触りと粘性は恐らく松脂まつやにで間違いない。水に濡れていても着火するソレをポケットに詰めるだけ詰め、乾いた枯れ木をレインコートで包んだ俺は急いで洞窟に引き返すと、枯れ木の摩擦熱で小さな火を熾し、松脂と一緒に洞窟の奥まった場所にあった木の枝とか枯葉をとにかく放り投げて焚火を作り、ソレを維持する材料を探しに再び雨の中へと戻った。

 ――何度も何度も往復し、どれだけか分からない時間と距離を走った。が、成果は相も変わらず。乾燥した枯れ木はある程度まとまった量になったが、それでも夜を超すのは不可能と分かる程度に心許ない。空を見上げれば相変わらずの雨雲のせいで時間がはっきりと分からないが、明るさから判断すれば夕方位だろうか。だとすればもう直ぐ夜になる。

 幾ら過ごしやすい気候とは言え、雨の夜は相応に寒い。少しでも熱を逃がさないように焚火の周囲に石を置いてはいるが、正直なところこの程度ではどうにかしようがない。このまま雨が続き、そして枯れ木が無くなる前に服が乾かなければ……

『う、ん……』

 艶めかしい声が聞こえた。アメジストが意識を取り戻したらしい。が、様子がおかしい。意識を取り戻した彼女はボケっと焚火を眺め、次に俺へと視線を移すと酷く驚いた表情を見せた。そりゃあそうでしょうね。君の計画とやらが完全に流れちゃったんだから。しかし今はそれよりも俺達の無事を皆に伝えるのが先だ。

 俺達が都市の何処にもいないと知れば確実に姉妹達とアイオライトは探している筈。怒られるだろうなァ。さて、先の事よりもまずは彼女から言い訳と"計画"について……いや、その前に謝罪の言葉だな。助けを呼ぶのはその後だ。

『あの、何方様でしょうか?』

 ――そいつぁ流石に予想外だよ。俺はその言葉を聞くや膝から崩れ落ちた。

 ※※※

 記憶喪失。恐らく俺と一緒に川に落ちた時、硬い地面か濁流に流れてきた何かに頭を打ち付けた事で一時的な記憶喪失状態に陥ったんだろう。しかも彼女、自分の名前を含む一切に加え俺や姉妹の事も綺麗さっぱり忘れていた。せめて彼女が目覚めれば強力な魔導で爆発でも起こしてもらって居場所を知らせるとか、強力な炎で身体を温めるとか色々出来たのだが、しかしコレで八方塞がりになった。

 となれば残った選択肢は2つ。だけど何方も絶望的だ。無茶を承知で助けを呼びに夜の森を走り抜けるか、朝まで持たない焚火で一夜を明かすか。

『あの?』

 どちらを選んでも無謀だが、可能性がより高いのは助けを呼びに行く方。しかし問題なのは体力のある俺に周辺の地理に関する知識が全くないという事。しかももう直ぐ夜が更け辺りが真っ暗になる。そうなれば助けを呼びに行くとかどうのという問題じゃなくなる。熱で温まった石を抱きかかえて寝るか?でも果たしてこの程度でどれだけ暖を取れるか。

 あるいは2人で身を寄せ合って身体を温め合うか、と思ったが今のアメジストは記憶喪失。下手すれば拒絶された挙句に消し炭にされる可能性だってある。もし記憶が戻っていなければ"さぁどうぞ"とばかりに両手を広げるだろうが……そんな情けない姿がありありと想像できるのが悲しいところだ。

『あのー?』

 周辺を探しても燃やせそうな物は都合よく見つからなかったし、これ以上遠くまで探しに行っても体力と体温を無駄に使うだけ。待つか、動くか。

『はい、どうぞ。』

 ン?何だコレ?アメジストの呑気な声が聞こえたと同時、頭上から何かがふわりと覆い被さった。暖かく、フワフワとしていて、更に心なしか良い匂いもする。

『はい。毛布ありましたよ。』

 ちょお待てやお前。どっからこんな都合のいいモン持ってきた?俺は微塵も想像してなかった事態に驚き目を丸くしたが、アメジストは無言で俺に微笑む。まるで"コレで寒さを凌げますね"と言っているようだ。その余りにも呑気で屈託ない笑顔は、並大抵の男ならば簡単に落とせる位に魅力的で愛らしい。

『私が持っていた道具袋の中に入ってましたよ。ホラ。』

 彼女は呆然とする俺を真っすぐ見つめると、今度は自信に溢れた満面の笑みを浮かべながら腰に下げた白い小さな袋を俺に見せた。いやいやいや、そんな小さな袋にこんな大きな毛布は入らないだ……いや、入ってた。寧ろ出て来たよ。両手で持てる程度に小振りな袋の中にアメジストの白い手が消えたかと思えば、次の瞬間には袋の口から明らかに入らない大きさの毛布をズルズルと引っ張り出した。どうなってるんだ?アレか?転移の様に別の場所を繋いでるのか?まるで超一流のマジックでも見ている様な感覚に陥った俺の頭は驚きを吹き飛ばし疑問一色に染まった。

『はい。コレ、何処かに繋がってるみたいで。え?ドコかって?さぁ、でも色々あるみたいですよ。ホラ、コレとか?こんなものとか?後こんな物まで。』

 今までの苦労は何だったんだ。心中でそう愚痴ると共に噴き出した疲れに負けてその場に腰を下ろした俺を他所に、得意満面のアメジストは小さな袋からドンドンと無造作に取り出しては放り投げ続けた。そうした動作を何度も繰り返すうちに、無骨な岩石と砂利の上には色々な物が並んだ。

 非常食、まぁコレは問題ない。毛布、こういう事態を想定していたのなら納得がいく。薪、非常時を想定したのか?いやしかし、総裁という立場に必要かコレ?そんな中で目を引いたのは簡易式の寝床。最初は綺麗に切り揃えられた木材の集まりだったが、外に出るや勝手に組み上がりベッドになった。まぁ、偉い立場だし……分からなくはないが、だがどうもなぁ。しかもこれ、ダブルサイズだ。何か雲行きが怪しくなってきたな。そして次に目に入ったのはネグリジェ。かなり際どいというか……お前何考えてコレ入れたん?という疑問が頭に浮かぶ。というか殆ど裸に近い位に透けてないかコレ?

 もう疑問や怪しさを通り越し確信へと至った。コイツ……迷った振りして二人っきりなる機会を強引に作ろうとしたな?しかし悲しいかな、当の本人は珍しく目的がキッチリ果たせた肝心な時に限って記憶喪失という醜態を晒している。

 ハァと、大きなため息が自然と漏れた。記憶は無いがとりあえずキッチリと叱っておくべきだろう。余りのポンコツ振り故に被害は皆無どころか毎度失敗しては怒られてを繰り返してはいるが、やっている事自体は相当に危険だ。止めるべきだ、怒るべきだ、それは分かっている。が、しかし、とりあえず夜を凌ぐには十分な道具が揃った事に嬉しがったかと思えば、渋い表情でソレを見つめる俺を見てボンヤリと眺めたりとコロコロ表情を変える彼女を見ていると、何と言うか……その純粋さを許してしまいそうになる。

 俺はどうするべきだろうか。ぶっとんだ手段には目を瞑りつつ、何としても2人きりになろうとした執念に応えるべきか。それとも……

『とりあえず休みませんか。ハイ、隣どうぞ。』

 いや、今は考えない方が良い。何せ勝手に都市を抜け出して行方不明になっているんだ。特に約束を破ったシトリンとアイオライトは本気で探しているし、それ以上に怒っている筈だ。あの2人は敵にしたくない。何せ割と真剣に俺の事を考えてくれているのだから。

「1人で寝てくれ。焚火の番は俺がするから。」

 ぶっきらぼうにそう伝えるとアメジストを無理やり1人で寝かせ、俺はその辺の木の枝を幾つか使って粗末なベッドを作り、ソコに横たわった。後ろからポンポンとベッドを叩く音、ジッと見つめる視線、"暖かいし柔らかいですよー"と囁く声が聞こえるが気にしない。

 俺の事は気にしなくていいからはよ寝ろ。非常食を口の中に詰め込み、温まる様に薪を多めに火の中にくべながら俺は心の中でそう愚痴った。いや、直接言うべきだったか?なんで俺の傍によって来る?なんで手を絡めてくる?なんで耳に息を吹きかける?しかも背中に当たるこの感触……コイツ、この寒い中であの裸に近いネグリジェ着てるな?なら駄目だ、特に正面から直視したら確実に理性が飛ぶ。

 というか、本当に記憶喪失か?やってることが記憶を失う前と何も変わっていないじゃないか。記憶を無くしても本質は変わらないという事実に俺は愕然としながらも、平常心を保つために無心で火の中に薪を放り込み続けた。

 熱い!!
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