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『はい』
「何を言った」
『お母様の話をしただけですよ』
「母親はいないと聞いている」
『彼を捨てた母親は生きています』
「調べたのか」
『社長は篠崎クループの長男ですよ』
「関係ない」
『関係ないかどうかは社長がお決めになることではありません』
「どういう意味だ」
『言葉通りの意味です』
「諒」
「え?あっ!」
いつの間にか開けたのか、篠崎が浴室のドアのところにいた。腰にタオルを巻いている。
「やっぱり一緒に入らせてくれ」
「……どうぞ」
篠崎が身体を洗い始める。恥ずかしくて、背を向けて外を眺めた。まだ明るい。でも日の光で明るい風呂というのもいいかもしれない。普段と違った気分。
「諒」
「わ、」
湯船は苦手と言っていたのに、大丈夫なのだろうか。広い風呂、少し距離を空けて篠崎が座った。
「……すまない」
篠崎の言葉に、景山との会話を聞いたのかな、と思った。
「……母親が生きているかなんて、考えたこともありませんでした」
「そうか」
「だって、捨てられたって聞いていたから。だから、母親のことを気にしても仕方がないって」
篠崎は何も言わなかった。
「でもこうして生きてるって聞いて、暮らしている場所まで聞いて……なんか、現実感がないっていうか、あるっていうか。よくわかんなくて」
「そうだな」
「でも、会いに行ってみようかなって」
「……やめておいた方がいい」
「でも生きてるって」
「どうしても行きたいなら一緒に行こう」
どうしてそんなに優しいのだろう。本当は会いに行こうか悩んでいることも、行くにしても一人じゃ怖いこともきっと篠崎にはお見通しなのだ。
「でも、篠崎はアメリカに……」
アメリカに行ったら、どれくらいで戻ってくるのか分からない。それに、戻ってこられるのかも。
それにさっきの景山の言葉。きっとスナックの女に捨てられた子供と篠崎とでは生きる世界が違うと言いたかったのだろう。それに、同じ生き方というのもきっと金のある男に寄生して生きていると言いたかったに違いない。
高所から見下ろす景色。方向は分からないがこの中にも歓楽街があるのだろう。夜になってから活気出す街。騙して、騙されて、一夜の恋と駆け引きに弄ばれる人々。
「心配ない」
「でも、」
「諒、おいで」
「え?」
篠崎を見る。
「泣きそうな顔だ」
「別に……」
まだ篠崎の胸に飛び込む勇気はない。
「嫌な思いをさせた」
「嫌な思いなんて……むしろ僕の方こそ仕事のことに口を挟んでしまって」
「俺は嬉しかったよ」
篠崎は柔らかく笑っていた。
「せっかく諒と過ごせる休日だったんだ。それなのに景山とばかり話さなきゃいけないし、諒にかまってほしいと思っていたから嬉しかった」
そんなこと、本心であるはずがない。あの状況で口を出されて不愉快にならないはずがない。なのに、どうして優しくできるのだろう。怒ったっていいはずなのに。さっきの電話のときのように、声を荒げたっていいはずなのに。
なのに篠崎はずっと優しい。
信じてみてもいいのだろうか。――ゆうくん、信じてみてもいい?
「……何か不安か悩みがあるかな」
「え?」
「大丈夫、言ってごらん」
安西は先ほどの篠崎の「おいで」という言葉を無視しているのに、篠崎は気にした様子もない。前と同じだ。怖がっている安西の恐怖心を尊重してくれたときと。
「あの……」
「うん」
「僕、やっぱり篠崎と生きる世界が違うっていうか」
「あとは?」
「……電話で、篠崎が怒っているの聞いちゃって……」
「怖かった?」
こくん、と頷く。言葉ではとてもじゃないが言えなかった。こんなに優しくしてくれている篠崎に怖いなんて。
「うん、怖かったな、驚いたな。すまなかった」
「謝ることじゃ……」
だって聞こえてしまっただけとは言え、聞いたのは安西なのだ。それに何も知らない仕事のことなのだし。本当は怖がるなんてお門違いなのに。
「諒くんは覚えていないと言ったが、記憶のどこかに子供の頃の怖かった記憶が残っているんだよ」
「あ……」
だからか。さっき感じた言いようのない恐怖心。震えた手。
「すまなかった。怖かったな」
「あ……あぁ……」
親にされたことを覚えているわけではない。けれど漠然と怖かったという気持ちが甦ってくる。
「触れるよ」
「え?」
ぎゅう、と抱きしめられていた。肌が触れる。恥ずかしいのに、安心する。
「怖いか」
男に襲われたことを、きちんと気にしてくれている。嬉しい。
「……いえ。……篠崎も、喧嘩をしたらあんな風に僕を怒りますか」
「怒らないよ」
そりゃあ、怒るよなんて言わないか。
「諒がいけないことをしたら叱る」
「叱る……?」
「そう。きちんとなぜそうしたのかを確認して、それで叱る」
「……怒らない?」
「怒らない。喧嘩は……そうだな、正直、諒と喧嘩をするというのが想像もつかないんだが、そのときはなるべく冷静に話し合おう」
「……けど」
本当にそんなことができるのだろうか。お互いにヒートアップしてしまうからこそ喧嘩になるのに。
「怖かったら怖いときちんと言ってくれ」
「……ん」
腕の中でゆっくりと頷く。頷いてしまって、約束してしまっていいのだろうかと悩みながら。
「言えるか?」
「……」
「電話のとき、怖かったな?」
「……怖かった……」
「いいこだ。それでいい。悪かった」
抱きしめる腕に力が入る。皮膚が密着する。濡れた髪を撫でられる。いいこ、と褒められる快感に胸がドキドキした。
「いいこ……」
「うん、諒くんはいいこだ」
安西が勇気を出した時、頑張ったとき、篠崎はちゃんといいこだと褒めてくれる。ちゃんと分かってくれている、そう思うと胸が張り裂けそうな程嬉しい。
「すき……」
思ったら、口にしてしまっていた。今日一日あんなに篠崎との付き合いを悩んでいたと言うのに。
「愛してる、諒、愛してる」
「篠崎、逆上せちゃいますよ」
「あぁ、そうだな、一緒に出ようか」
「はい」
立ち上がった篠崎はタオルを巻いているけれど、そもそも一人で入っていた安西の身を隠すものは何もない。
「先に出てください」
「だめだ。身体を拭いてあげよう」
先に浴槽を出た篠崎の長い腕が安西の腕を引く。力の入っていないそれは転ぶようなものではなかったけれどそこまで抵抗するのにも憚られ、篠崎が横を向いているのを確認しながら浴室を出た。
ラグジュアリーホテルのふかふかふわふわタオルで優しく髪の水滴を拭われる。至近距離だから下半身は見えないだろうけれど、それでもやはり気恥ずかしい。
「大人しくできて偉いな」
「ゃ……」
髪を拭かれ、身体。先ほどのはからかっただけだったのか、上半身を拭い終わると逆を向かされ、背中を拭かれた後にタオルを腰に巻かれた。
「緊張してるな」
少し笑ったそれに反論する気力もないほど緊張で疲れてしまった。
結局子供扱いのまま篠崎は満足そうに洗面室から出て行った。
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