『ミゲル - 花園に舞う白い孔雀』(沈む陽、昇る月 - 外伝)

蒼井アリス

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第六章 壮途

第37話 残像

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 ロバートは熱いシャワーを浴びながら、思考のリセットを試みていた。
 普段ならベッドから離れた瞬間に相手の存在を頭から追い出すことができるのに、今夜はなかなか難しい。ミゲルの上気した頬や快感にしなる身体が脳裏に蘇る。

「あいつの魔性に当てられたかな」

 ロバートは自虐的に呟きながら、熱いシャワーを浴び続けた。

 シャワーを終えてタオルを手にベッドに戻ったロバートは、情事の痕が色濃く残るミゲルの身体をきれいに拭き、自分のバスローブをミゲルに着せた。
 深い眠りの中にいるミゲルは、身体を拭かれている間もバスローブを着せられている最中も目覚めることなく時折心地よさそうな微笑みを浮かべていた。

「こんなときでも誘惑しようとしてるのか? 本当によく訓練されているな」

 無意識の状態でこの行動をできるようになるまでにどれほどの地獄をくぐり抜けてきたのだろう。天性の資質と言ってしまえばそれまでだが、ミゲルのこの能力はおそらく先天的な才能を後天的に進化させてきたものなのだろう。そうしなければ生き延びられなかったミゲルの過去にロバートは少なからず同情していた。

 ミゲルのことを調べさせた探偵の調査報告書にはミゲルの壮絶な過去も記載されていた。青年へと成長した現在のミゲルの美しさから幼少期の見目を想像すると、相当の美しさだったのだろうと簡単に想像できる。そして美しい少年を異様なまでに好む大人の男たちはいつの世にも存在する。もちろん眺めて愛でるだけではない。彼らの愛で方には性行為も含まれる場合が多い。何の後ろ盾も持たない孤児だったミゲルはそんな大人たちに弄ばれ、搾取され、凌辱され続けて大人になった。非力な子どもが明日を生き延びるには、そんな大人たちに従うしかなかった。
 そんな環境で育ったミゲルは、大人たちを手玉に取る方法を徐々に身に付けていった。

 誘惑し、執着させ、自分の身体と引き換えに要求を飲ませることを覚え、次第に搾取される側から搾取する側へと立場を変えていった。

 バスローブに包まれて気持ちよさそうに眠りに落ちているミゲルをロバートは軽々と抱き上げ廊下へと出た。長い廊下をゲストルームへと進む間にもミゲルは心地よさそうに眠っている。

「魔性の男がこんなに無防備で大丈夫なのか」

 ミゲルのこの態度にロバートは少々呆れていた。警戒心がなさすぎて心配になるくらいだ。
 心を許しているというよりは、ロバートを無害な人間と認定して警戒する必要がないと判断しているためだろう。人との関わりにおいて感情よりも利害で判断するミゲルの特性をロバートは痛いほど理解している。それは自分も同族だからだ。

 ロバートはミゲルを抱えたままゲストルームに入ると、ベッドにミゲルを寝かせ、ミゲルを起こさないようにそっと部屋を出て自室に戻った。
 自室に戻ったロバートは床に散らばった二人分の服をチラリと見たが、片付ける気力はあっさりと睡魔に負けてしまい、ベッドに潜り込むとすぐに眠りに落ちた。

     ****

 ノックの音が意識の遠くから聞こえてきた。

「おはようございます、旦那様」

 ドアの外から聞こえてくるジェームスの声にロバートは「おはよう、ジェームス」と答える。
 あるじの声を確認したジェームスがドアを開けて部屋に入ってくる。
 床に散らばった服を見たジェームスは昨夜ここで何があったかをすぐに察したが、表情には出さず淡々と二人分の服を拾い上げていく。

 ベッドに情事の相手の姿がないことに気づいたジェームスが「ミゲル様は?」と短く尋ねると、眠りからまだ覚めていないロバートは「部屋に運んで寝かせた」と目を閉じたまま答えた。
 少し楽しそうに「お疲れのようですね」とジェームスに言われたロバートは、今更隠し事などできないことは分かっていても衝動的な情事の痕跡を見られていささかの気まずさを感じていた。

「朝食の準備ができております。ダイニングでお召し上がりになりますか、それともこちらにお持ちしましょうか?」
「ダイニングで」とロバートが答えると、ジェームスは「かしこまりました」と一礼して部屋を出ていった。

「今日はやけに身体が軽いな。まさかミゲルとのセックスのお陰か?」

 身体が軽いと頭まで冴えてくる。こんなに気持ちよく朝を迎えたのは何年ぶりだろう。
 ミゲルに執着する者たちはこの感覚を得たくて群がってくるのかもしれない。スティーブンもその一人だったのだろう。

「中毒性の強い麻薬みたいでたちが悪いな」

 精神的に弱い者や心に隙のある者ならあっという間に絡め取られて身を持ち崩すだろう。
 ロバートは自分がそのような者でないことに心底ほっとした。

     ****

 白のコットンシャツとダークグレーのリネンパンツに着替えたロバートがダイニングルームに入ると、そこにはすでに朝食を食べ始めているミゲルがいた。

 ロバートに気づいたミゲルが笑顔で「おはよう」と声をかけてきた。その声には企みの色はなく、ネガティブな響きもなかった。何かが吹っ切れた清々しさだけがそこにある。

「おはよう。よく眠れたか?」

 席に着きながらロバートが尋ねると、「お陰様で」と少し含みのある目配せをしながらミゲルが答えた。
 昨夜のセックスはミゲルにとっても何かしらの効果があったようだ。
 スティーブンに襲われてから身体の奥底に淀んで溜まっていた悔しさや苛立ちがミゲルの心を蝕んでいたが、昨夜のセックスがミゲルに浄化作用をもたらしたようだ。
 ミゲルの場合は少し落ち込んでいるくらいの方が周りに犠牲者が出ることもなく世の中が平和になるが、ロバートはミゲルの狡猾だが魅惑的で、どこまでも自分の欲求に正直に行動する性格を嫌いにはなれなかった。

「スティーブンの事件も片がついたし、僕の役目はもう終わったよね?」
 ミゲルが朝食を美味しそうに食べながら訊いてきた。

「ジョンソン刑事に確認してみればいい」とロバートが答えると、ミゲルが不満そうに「そっちの役目じゃなくてあんたの計画の方の役目だよ」と突っかかってきた。

「何のことかな?」
 顔色一つ変えずにロバートが言う。

「とぼけなくていいよ。あんたが僕を理由もなくここに滞在させることはあり得ない」
「私には純粋な善意がないと?」
「善意はあるだろうね。でも純粋とは程遠い。あんたの行動にはすべて合理的な理由がある。逆を言えば合理的な理由がない場合は行動しないよね」
 ロバートはミゲルの話を黙って聞いている。

「僕のことを調べて、空港に迎えを寄越して自宅に滞在させるなんてどれだけ大きな合理的理由があるのかと僕は考えたよ」
「それで?」と余裕の笑顔でロバートが促す。
「辿り着いた答えは、あんたの計画には僕という存在がどうしても必要だった」

「なるほど……で、その計画とは何かな?」

 ロバートの冷たい微笑みがミゲルに向けられた。
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