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第一章:環楽園の殺人
3/1、3/2「真夜中のリスト・カット」
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3/1
上手く寝付けなかった。疲労があったのは確かなので眠れたことには眠れたのだが、しかしまた目が覚めてしまった。部屋の奥からランプの仄かな明かりが届くのみで他が一切の闇と静寂に覆われていることから、まだ深夜だと思われる。
全身に不快な寝汗をかいている。ふと杏味ちゃんの死体が脳裏をかすめ、僕は寒気を覚えた。……眠りが浅くなってしまうのも、この状況下では仕方ない。いくら平気な振りを装ったところで、睡眠によって意識があやふやになり、無意識の領域に潜在していたものが首をもたげれば、身体は正直に反応してしまうのだろう……いわゆる悪夢の原理である。
と、僕は辺りがただ静かなばかりでないことに気が付いた。
風の音はいい。それは此処に訪れて以来ずっと付き合っているもので、今更特別視する対象ではない。
聞こえるのは、啜り泣きの声だった。
「舞游……?」
僕はソファーから立ち上がり、ベッドルームに向かって短い廊下を進む。
廊下を抜け、ベッドの上に蹲っている舞游の姿を見るなり、僕はすぐになにが起きているのか察した。
部屋の隅にあるランプの明かりに照らされて、ぼおっと浮かび上がるかのように映る舞游……彼女の右手には包丁が握られており、左手からは血が滴っていた。
「舞游!」
慌てて彼女のもとに駆け寄り、その肩を掴む。
「……觜也」
彼女はいま気付いたとばかりに僕を見上げた。その頬は涙で濡れている。唇はわなわなと小刻みに震え、口からは苦しそうな泣き声が漏れている。
「お前……またやったのか?」
舞游は申し訳なさそうに頷いた。その視線はそのまま自分の左手首に固定される。無数の傷跡が痛々しく残っているなか、まだ新しいそれがひと筋あり、脈動に合わせて鮮血が少しずつ溢れ出てくる。
リスト・カット。彼女には自傷癖があり、そのひとつが自分の手首を切創するこの行為だった。だが彼女はもう最近はそれをしなくなっていたはずだ。僕と出逢ってから、彼女は少しずつだが変わった。過剰だった奇行も段々と目立たなくなり、この自傷癖だって影を潜めていった。それなのに、それなのに彼女はいま、こうして自分の手首を切ってしまった。皮肉にも、護身用として手渡された肉切り包丁を使って。
「舞游……」
「ごめんなさいっ」
彼女は押し殺すような声で、まず謝った。目をぎゅっと瞑り、悩ましげに眉を寄せ、なにかに怯えているかのように縮こまる。
責めてはいけない。いまの彼女に必要なのは、僕に優しくされることだけだ。それ以外のすべては彼女を傷付けてしまう。
「いいんだよ、謝らなくても」
僕は慎重に舞游の隣に腰掛け、その肩を抱いた。こうして彼女を慰めるのは、半年ぶりくらいだろうか。ならば、本当に彼女は長い間落ち着いていたのだ。だがもしかしたらそれは、彼女が自分の感情を抑圧していたことの証左なのかも知れない。だからその反動が、こうして来てしまった。自分の周りで人が殺され、自分にも危害が及ぶかも知れないという、この極度にストレスのかかる状況において。
「ごめん、舞游。僕がちゃんとお前を見てやれてなかったせいだ」
彼女の苦しみに気付けていれば、今頃こうはなっていなかった。今日、杏味ちゃんの死体を見た後の彼女の気の沈みようは明らかにおかしかった。あれは彼女なりのサインだったのだ。一見奔放なようでいて、実は誰よりも悩みを抱え込みやすい彼女なりの、立派な意思表示だったのだ。僕はそれを目にしていながら見過ごしてしまっていた自分の愚かさを呪った。
「ううんっ、觜也は、悪くないよ……本当に、觜也は、悪くないから……」
「舞游、自分を責めるな」
僕は彼女の顔を覗き込み、できる限り優しい声音で諭すように言葉を発する。
「舞游は他人を大事にし過ぎてる。それを少しでも自分に向けてやるべきだ。それで行き場をなくした鬱憤は、僕にぶつけてくれればいい。何度も云ってるだろ。僕に関してだけは、舞游は思う存分に我儘でいていいんだ。それでも僕は絶対に舞游から離れていかない。お前が自分を傷付けてしまう方が、僕にはずっと我慢ならないんだよ」
舞游はちらちらと、僕と目を合わせては逸らすというのを繰り返しながら、僕の言葉を聞いている。
「気を遣うな。僕とお前とは、もうそんな必要がある間柄なんてとうに過ぎてるだろ。苦しいときは、云ってくれていい。寂しいときは、云ってくれていい。ここぞってときに頼ってくれないと、僕も寂しいし、苦しいんだから」
「うん……」
「僕は頼りないかも知れないけど、それでも舞游のためにできることがあれば、なんでもしてやるつもりだ。守ってやるつもりだ。……だから心配するな。僕らは絶対に生きて帰れるよ」
「……ふふ」
そこで舞游は初めて笑顔を見せた。
「でも悔しいな……觜也に守ってもらうなんて、私ともあろう者が情けない」
「おい」
僕も苦笑し、舞游の肩を軽く叩く。
舞游はまた笑って、僕に凭れ掛かってきた。
「……頼らせてもらうね、觜也」
「ああ。いざとなったら犯人と刺し違えてやる覚悟だ」
「馬鹿。究極のバッドエンドじゃん。だったら私が捨て身で觜也を守るよ」
「それじゃあ僕が格好悪すぎるだろ」
「ははっ」
それから舞游は呟くように「ありがとね、觜也」と云った。
3/2
去年の五月後半に舞游は僕と肉体関係を持った等と学校中に云いふらし、直後に僕と彼女は友人としてやっていこうなんて取り決めを交わしたわけだが(こうしてまとめてみると、本当に変な話だ)、その前日こそが僕と彼女が初めて接点を持った日であった。接点と云うなら四月の時点で同じ高校のクラスメイトだったけれど、これはそういうものとは違う特別なそれという意味である。
僕は電車の定期券を財布に入れていたのだが、その日は財布を教室の自分の机の中に入れたまま下校してしまい、駅で気付いて引き返した。
そして放課後の教室で、ひとり残っていた舞游と会ったのだ。彼女は隅の方の床で膝を抱えて座っており、その髪や衣服は乱れ、周りには布や綿が散らばっていた。その布や綿は、彼女が鞄と云い張って持ち歩いている奇妙な人形が無惨に引き千切られた残骸であった。
舞游は唇を噛み締め、静かに涙を流していた。それで僕は、彼女が酷い虐めを受けているという事実を初めて知った。教室に行く途中、廊下で数人のクラスメイトとすれ違った……男女入り混じった四、五人だったが、少なくとも今回に関しては彼らがやったのだろうと思った。
もうひとつ目に留まったのは、舞游の手首に刻まれた無数の切り傷だった。いつもは手がほとんど見えないくらいに制服の袖を長くしてだらしなく着ている彼女だし、体育は男女別だったために、僕は彼女にリスト・カットの癖があるというのを、これも初めて知ったのである。
そのとき、僕と彼女は目が合った。見て見ぬ振りで流すわけにもいかないと思い、僕は「大丈夫?」と問い掛けた。舞游は黙ったままで、どうやら僕を警戒している様子だった。これで軋轢を生むのは避けたいと思い、僕は続けて「誰にも話したりするつもりはないけど……それとも、なにか僕にできることってある?」と訊ねた。いささか飛躍した感があるけれど、それは「それとも、こういうことは先生とかに話した方が良いのかな」と云いそうになって、彼女が教師陣とも関係が良好でないことに思い至り、咄嗟に云い変えたためである。
それを受け、舞游は不思議そうにこんな質問を返してきたのだ。
「貴方は私のこと、虐めないの?」
それから教室で僕は、馘杜舞游というこのクラスメイトと初めてまともに話をした。舞游の話は文脈というものを無視してあっちこっちに飛んだので少々掴みづらいところがあったが、それまで彼女に対して抱いていたイメージからすると、それでも驚くくらいにしっかりとしていた。
直接ではないにせよ事後を見られたためだろう、舞游は隠そうとせず話してくれたのだが、やはり彼女は虐めを受けているとのことだった。しかもそれはいまに始まったことではなく、彼女は幼いころからずっと虐められ続けてきたらしい。それに対して舞游ができる唯一の抵抗が自傷行為だった。
思えば、そのいくつかは僕も以前から目にしていたのだ。彼女は教師から叱られたり周りからからかわれたりするたびに、自分の髪や衣服を切り裂いたり、自分の身体を血が出るまで引っ掻き回したりしていた。他者とのコミュニケーションを断って孤立するのも、奇行を繰り返して奇異の目で見られるのも、見方を変えれば自傷行為と云えるかも知れない。
彼女はああやって、ずっと戦っていたのだ。ああしなければ、自分の意思を示せなかったから。しかし周囲はそれを面白がり、必然、彼女は際限なく傷付いていくばかりとなる。ひたすらにその繰り返し……。
なんという悪循環だろう。舞游の辿ってきた人生とは、つまりそういうものだった。
そもそも彼女が虐められるようになった理由も彼女が変わり者だったかららしいというのが本人の言だったが、その虐めがさらに彼女の奇人ぶりに拍車を掛けたのだろうとは想像に難くなかった。そうなると卵が先か鶏が先かという話で、やはり負のスパイラルに嵌ってしまったと云う他ない。
彼女は世界のすべてを敵に回して生きているようなものだった。
だがそれを知っても、その場ですぐになにか妙案が浮かぶはずもなかった。せっかく舞游が本来だったらできるだけ知られたくないだろうことを打ち明けてくれたのに、これといって返すものがないというのは申し訳なかったし、それ以上に情けなかったけれど、時間も遅くなっていたので僕はとりあえずその日はなにもできないままに帰った。もちろん慰めの言葉みたいなものはいくらか掛けたが、それほど気の利いた内容だったとは思えないし、具体的にどんなことを云ったかも憶えていない。
でも僕が彼女を助けてやりたいと考えていたのは確かだった。鈍い僕なので彼女が虐められっ子だなんてその日までは思ってもみなかったが、あの鮮烈に個性を放っている女の子が実は大きな苦悩の中でもがき苦しんでいて、しかもその一端を初めて目にするしおらしい態度で語ってくれたのだ……いくら人情味の薄い僕でも、それでなにも感じないはずがない。
しかし一体なにをしてあげられるだろう……。そして、その答えは出せないままに翌日登校した僕に知らされたのが、舞游が僕と肉体関係を持ったと云いふらしているということだった。
上手く寝付けなかった。疲労があったのは確かなので眠れたことには眠れたのだが、しかしまた目が覚めてしまった。部屋の奥からランプの仄かな明かりが届くのみで他が一切の闇と静寂に覆われていることから、まだ深夜だと思われる。
全身に不快な寝汗をかいている。ふと杏味ちゃんの死体が脳裏をかすめ、僕は寒気を覚えた。……眠りが浅くなってしまうのも、この状況下では仕方ない。いくら平気な振りを装ったところで、睡眠によって意識があやふやになり、無意識の領域に潜在していたものが首をもたげれば、身体は正直に反応してしまうのだろう……いわゆる悪夢の原理である。
と、僕は辺りがただ静かなばかりでないことに気が付いた。
風の音はいい。それは此処に訪れて以来ずっと付き合っているもので、今更特別視する対象ではない。
聞こえるのは、啜り泣きの声だった。
「舞游……?」
僕はソファーから立ち上がり、ベッドルームに向かって短い廊下を進む。
廊下を抜け、ベッドの上に蹲っている舞游の姿を見るなり、僕はすぐになにが起きているのか察した。
部屋の隅にあるランプの明かりに照らされて、ぼおっと浮かび上がるかのように映る舞游……彼女の右手には包丁が握られており、左手からは血が滴っていた。
「舞游!」
慌てて彼女のもとに駆け寄り、その肩を掴む。
「……觜也」
彼女はいま気付いたとばかりに僕を見上げた。その頬は涙で濡れている。唇はわなわなと小刻みに震え、口からは苦しそうな泣き声が漏れている。
「お前……またやったのか?」
舞游は申し訳なさそうに頷いた。その視線はそのまま自分の左手首に固定される。無数の傷跡が痛々しく残っているなか、まだ新しいそれがひと筋あり、脈動に合わせて鮮血が少しずつ溢れ出てくる。
リスト・カット。彼女には自傷癖があり、そのひとつが自分の手首を切創するこの行為だった。だが彼女はもう最近はそれをしなくなっていたはずだ。僕と出逢ってから、彼女は少しずつだが変わった。過剰だった奇行も段々と目立たなくなり、この自傷癖だって影を潜めていった。それなのに、それなのに彼女はいま、こうして自分の手首を切ってしまった。皮肉にも、護身用として手渡された肉切り包丁を使って。
「舞游……」
「ごめんなさいっ」
彼女は押し殺すような声で、まず謝った。目をぎゅっと瞑り、悩ましげに眉を寄せ、なにかに怯えているかのように縮こまる。
責めてはいけない。いまの彼女に必要なのは、僕に優しくされることだけだ。それ以外のすべては彼女を傷付けてしまう。
「いいんだよ、謝らなくても」
僕は慎重に舞游の隣に腰掛け、その肩を抱いた。こうして彼女を慰めるのは、半年ぶりくらいだろうか。ならば、本当に彼女は長い間落ち着いていたのだ。だがもしかしたらそれは、彼女が自分の感情を抑圧していたことの証左なのかも知れない。だからその反動が、こうして来てしまった。自分の周りで人が殺され、自分にも危害が及ぶかも知れないという、この極度にストレスのかかる状況において。
「ごめん、舞游。僕がちゃんとお前を見てやれてなかったせいだ」
彼女の苦しみに気付けていれば、今頃こうはなっていなかった。今日、杏味ちゃんの死体を見た後の彼女の気の沈みようは明らかにおかしかった。あれは彼女なりのサインだったのだ。一見奔放なようでいて、実は誰よりも悩みを抱え込みやすい彼女なりの、立派な意思表示だったのだ。僕はそれを目にしていながら見過ごしてしまっていた自分の愚かさを呪った。
「ううんっ、觜也は、悪くないよ……本当に、觜也は、悪くないから……」
「舞游、自分を責めるな」
僕は彼女の顔を覗き込み、できる限り優しい声音で諭すように言葉を発する。
「舞游は他人を大事にし過ぎてる。それを少しでも自分に向けてやるべきだ。それで行き場をなくした鬱憤は、僕にぶつけてくれればいい。何度も云ってるだろ。僕に関してだけは、舞游は思う存分に我儘でいていいんだ。それでも僕は絶対に舞游から離れていかない。お前が自分を傷付けてしまう方が、僕にはずっと我慢ならないんだよ」
舞游はちらちらと、僕と目を合わせては逸らすというのを繰り返しながら、僕の言葉を聞いている。
「気を遣うな。僕とお前とは、もうそんな必要がある間柄なんてとうに過ぎてるだろ。苦しいときは、云ってくれていい。寂しいときは、云ってくれていい。ここぞってときに頼ってくれないと、僕も寂しいし、苦しいんだから」
「うん……」
「僕は頼りないかも知れないけど、それでも舞游のためにできることがあれば、なんでもしてやるつもりだ。守ってやるつもりだ。……だから心配するな。僕らは絶対に生きて帰れるよ」
「……ふふ」
そこで舞游は初めて笑顔を見せた。
「でも悔しいな……觜也に守ってもらうなんて、私ともあろう者が情けない」
「おい」
僕も苦笑し、舞游の肩を軽く叩く。
舞游はまた笑って、僕に凭れ掛かってきた。
「……頼らせてもらうね、觜也」
「ああ。いざとなったら犯人と刺し違えてやる覚悟だ」
「馬鹿。究極のバッドエンドじゃん。だったら私が捨て身で觜也を守るよ」
「それじゃあ僕が格好悪すぎるだろ」
「ははっ」
それから舞游は呟くように「ありがとね、觜也」と云った。
3/2
去年の五月後半に舞游は僕と肉体関係を持った等と学校中に云いふらし、直後に僕と彼女は友人としてやっていこうなんて取り決めを交わしたわけだが(こうしてまとめてみると、本当に変な話だ)、その前日こそが僕と彼女が初めて接点を持った日であった。接点と云うなら四月の時点で同じ高校のクラスメイトだったけれど、これはそういうものとは違う特別なそれという意味である。
僕は電車の定期券を財布に入れていたのだが、その日は財布を教室の自分の机の中に入れたまま下校してしまい、駅で気付いて引き返した。
そして放課後の教室で、ひとり残っていた舞游と会ったのだ。彼女は隅の方の床で膝を抱えて座っており、その髪や衣服は乱れ、周りには布や綿が散らばっていた。その布や綿は、彼女が鞄と云い張って持ち歩いている奇妙な人形が無惨に引き千切られた残骸であった。
舞游は唇を噛み締め、静かに涙を流していた。それで僕は、彼女が酷い虐めを受けているという事実を初めて知った。教室に行く途中、廊下で数人のクラスメイトとすれ違った……男女入り混じった四、五人だったが、少なくとも今回に関しては彼らがやったのだろうと思った。
もうひとつ目に留まったのは、舞游の手首に刻まれた無数の切り傷だった。いつもは手がほとんど見えないくらいに制服の袖を長くしてだらしなく着ている彼女だし、体育は男女別だったために、僕は彼女にリスト・カットの癖があるというのを、これも初めて知ったのである。
そのとき、僕と彼女は目が合った。見て見ぬ振りで流すわけにもいかないと思い、僕は「大丈夫?」と問い掛けた。舞游は黙ったままで、どうやら僕を警戒している様子だった。これで軋轢を生むのは避けたいと思い、僕は続けて「誰にも話したりするつもりはないけど……それとも、なにか僕にできることってある?」と訊ねた。いささか飛躍した感があるけれど、それは「それとも、こういうことは先生とかに話した方が良いのかな」と云いそうになって、彼女が教師陣とも関係が良好でないことに思い至り、咄嗟に云い変えたためである。
それを受け、舞游は不思議そうにこんな質問を返してきたのだ。
「貴方は私のこと、虐めないの?」
それから教室で僕は、馘杜舞游というこのクラスメイトと初めてまともに話をした。舞游の話は文脈というものを無視してあっちこっちに飛んだので少々掴みづらいところがあったが、それまで彼女に対して抱いていたイメージからすると、それでも驚くくらいにしっかりとしていた。
直接ではないにせよ事後を見られたためだろう、舞游は隠そうとせず話してくれたのだが、やはり彼女は虐めを受けているとのことだった。しかもそれはいまに始まったことではなく、彼女は幼いころからずっと虐められ続けてきたらしい。それに対して舞游ができる唯一の抵抗が自傷行為だった。
思えば、そのいくつかは僕も以前から目にしていたのだ。彼女は教師から叱られたり周りからからかわれたりするたびに、自分の髪や衣服を切り裂いたり、自分の身体を血が出るまで引っ掻き回したりしていた。他者とのコミュニケーションを断って孤立するのも、奇行を繰り返して奇異の目で見られるのも、見方を変えれば自傷行為と云えるかも知れない。
彼女はああやって、ずっと戦っていたのだ。ああしなければ、自分の意思を示せなかったから。しかし周囲はそれを面白がり、必然、彼女は際限なく傷付いていくばかりとなる。ひたすらにその繰り返し……。
なんという悪循環だろう。舞游の辿ってきた人生とは、つまりそういうものだった。
そもそも彼女が虐められるようになった理由も彼女が変わり者だったかららしいというのが本人の言だったが、その虐めがさらに彼女の奇人ぶりに拍車を掛けたのだろうとは想像に難くなかった。そうなると卵が先か鶏が先かという話で、やはり負のスパイラルに嵌ってしまったと云う他ない。
彼女は世界のすべてを敵に回して生きているようなものだった。
だがそれを知っても、その場ですぐになにか妙案が浮かぶはずもなかった。せっかく舞游が本来だったらできるだけ知られたくないだろうことを打ち明けてくれたのに、これといって返すものがないというのは申し訳なかったし、それ以上に情けなかったけれど、時間も遅くなっていたので僕はとりあえずその日はなにもできないままに帰った。もちろん慰めの言葉みたいなものはいくらか掛けたが、それほど気の利いた内容だったとは思えないし、具体的にどんなことを云ったかも憶えていない。
でも僕が彼女を助けてやりたいと考えていたのは確かだった。鈍い僕なので彼女が虐められっ子だなんてその日までは思ってもみなかったが、あの鮮烈に個性を放っている女の子が実は大きな苦悩の中でもがき苦しんでいて、しかもその一端を初めて目にするしおらしい態度で語ってくれたのだ……いくら人情味の薄い僕でも、それでなにも感じないはずがない。
しかし一体なにをしてあげられるだろう……。そして、その答えは出せないままに翌日登校した僕に知らされたのが、舞游が僕と肉体関係を持ったと云いふらしているということだった。
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