環楽園の殺人

凛野冥

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第二章:結鷺觜也の黙示録

6/9、6/10「神々の理に抗うこと」

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  6/9


 舞游の手を引き、駆け足で部屋に戻った。部屋の錠をかけ、部屋の中を隅々まで確認して回った後にバリケードを拵えた。南館の客室と違って上手くソファーをどこかに引っ掛けるようなことができなかったので、ソファー、テーブル、椅子、棚と部屋中のものをかき集めて扉を完全に封鎖した。

「有寨さん達は殺人を続けるつもりだ。何度も何度も同じ工程を用いて、際限なくアフガン・バンド・トリックによるプレーローマを創造し、環楽園を維持するつもりなんだ」

 どこかに落ち着いて腰掛けるなんてとてもできず、僕はリビングを歩き回りながら言葉を紡いでいく。

「残っていた私達四人でも〈メビウスの帯〉をつくるってこと……だよね」

 舞游はバリケードに使われずに残っているアームチェアの上で膝を抱えている。その顔からは血の気が引いていた。

「きっとそうだ。〈メビウスの帯〉は百八十度ひねられているから、殺人リレーが完遂する以前に四人の分岐が起こるという〈因果の捻じれ〉を性質としている。もういま現在、この屋敷には生きた四人が二人ずつ存在しているんだ」

「じゃあ……」

「ああ、舞游も他にひとり発生しているはずだ。それに、そうなっている以上、お前はまた殺し、殺されなければいけない……」

〈八日間〉で終わるなんて、僕はなんて間抜けな勘違いをしていたのだろう。有寨さん達がその程度で満足するはずがない。そうだ、〈ウロボロスの蛇〉そして〈メビウスの帯〉が象徴しているのは〈永遠〉ではないか。プレーローマも充満世界であり、超永遠世界。有寨さん達はこの環楽園で永遠の時を過ごすつもりなのだ。可能だ。理論的に、それは可能になっている。

〈メビウスの帯〉にアフガン・バンド・トリックを行使してオグアドスのプレーローマを創出するのに必要な死体は四つだ。つまり対の四人は生き残る。ならばその生き残った四人でまた同じことをすればいい。そのときにまた分岐が起こり、これもまた四人の生き残りを生む。次はその四人……その次、その次、その次その次その次その次その次その次その次その次その次その次その次その次…………環楽園は終わらない。

 ……いや、分岐は四日の間隔をおいて起こり続けるから、時は進むのか? ……待て、それは望めないだろう。だって後半の四日間とは前半の四日間と同一であり、その後半の四日間を次に前半の四日間としてまた後半の四日間を生み出すというのが繰り返されるのだから、すなわち四日間が永遠に引き延ばされていくことを意味する……現実世界の時間はいつまで経ってもそれ以上は経過せず、外から助けが来る可能性は皆無だ。……いや、それも待て、待て待て待て……それでも此処で生活する有寨さん達にとっては、あくまで分岐と分岐の間に四日間があるのだから、歳は取っていくんじゃないか? 老いるということである。ならそれがこの永遠における唯一の限界なのか? しかし、僕らが死ぬまで、現実世界と隔絶されたこの超自然空間に閉じ込められ続けるのは変わらない。だって有寨さん達には現実世界なんていう唯物の世界……悪の世界、偽の世界に一抹いちまつの未練もないのだ。僕と舞游だけが解放されたいと願っても、彼らはそれを許さない。舞游は殺人リレーに組み込まれてしまっているのだから。

「嫌だ……嫌だよ、觜也……」

 痛切な表情で僕を見上げる舞游。

「殺したくない……殺されたくない……もうこんなの嫌だよ……」

 僕は舞游に駆け寄り、その両肩に手を置いて、彼女を真っ直ぐ見つめた。

「守ってみせる。僕が舞游を絶対に守ってみせる。舞游には誰も殺させないし、誰にも舞游を殺させない」

「觜也……」

「大丈夫だ。舞游が誰も殺さなければ、殺人リレーは成立しない。有寨さん達がどんな手を打ってくるかは分からないけれど、そのときは僕がお前を守る。そうしてしのぎ続ければ、ほころびが生まれるはずだ。四日間はまだ八日間に増えただけ、杏味ちゃんがああして分岐していた以上さらに四日間が上乗せされているとも考えられるけど、でもその日数を耐え抜けば、現実世界の時間も進み始めるわけだろ? そうすれば外から助けが来るのを望めるし、そうじゃなくても吹雪と積雪がどうにかなれば二人で脱出できる。決してお前を有寨さん達の好きにはさせない」

 僕は舞游を抱き締めた。自らをも鼓舞こぶするように、強く強く抱き締めた。

 試合放棄なんて認められなかったのだ。舞游のため、僕に敗走は許されない。僕は戦わなければならない。あの恐ろしい三人の神的存在――この環楽園のアイオーン達を相手取って、勝利しなければならない。


  6/10


 バリケードを築いた以上、有寨さん達は部屋に這入ってこられない。殺し殺された四人とそれに付随する時間や物が二つに分裂する等という超常現象が起こる環楽園だけれど、その超常現象には理論がある。壁抜けであるとか、そういった物理法則を好き勝手に無視するような真似が自由にできるわけではないのだ。

 だから僕と舞游は、もちろん完全にとは云えないけれど、少なくともいまは安心して寝ていい。僕らはベッドの上で、いつぞやみたく僕が舞游を包み込むように抱く格好で横になった。

「この屋敷に来てから酷いこととか怖いこととかばっかだけど、でも觜也にこんなふうに抱き締めてもらえるようになったのだけは、私、良かったと思うんだ」

 僕の腕の中で舞游は、言葉を探りながら、少したどたどしい調子で言葉を紡ぐ。

「此処に来なかったら、觜也との仲、みたいなものは、こんなには深まらなかったと思うし……觜也が私のために悩んでくれる姿も、戦ってくれる姿も、ちょっと不謹慎だけど、それ自体はすごく嬉しくて、幸せなの。だからそれだけは、良かったなって」

 それは僕からしても、たしかに認められることだった。気休めでそうとでも思わなければやっていられないという話でなく、その点だけは純粋にそのとおりだと思う。こんな壮絶な環境だからこそ、僕と舞游は互いの気持ちを素直に伝えられたし、それをこうしてかたちにもできている。

「觜也、大好き」

 舞游は僕の背中に回した女の子らしい細い腕に力を籠めると、照れ隠しするようにすぐ「おやすみなさい」と続けた。

「ああ、おやすみ。僕もお前が大好きだよ、舞游」

 絶対に彼女を守り抜く。僕は彼女の頭を撫でながら、もう一度心の内で堅く誓った。
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