環楽園の殺人

凛野冥

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第二章:結鷺觜也の黙示録

7/2「環楽園の理論分析」

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 僕は錯綜した状況を少しでも整理できれば思って、部屋にあった紙と万年筆を使って〈今回の八日間〉を表にまとめてみた。実際はまだ六日目――〈七日目〉だが、有寨さん達が予定している今後のことまで記してみる。

〈八日間〉といっても〈四日目〉と〈五日目〉が結合して四日目を成しているため、実際には七日間である。なので行は『一』『二』『三』『四、五』『六』『七』『八』の七行とした(今日は六日目だから表の『七』に該当するわけだ)。それからそれぞれの人物について表中に『始点』と『終点』を記し、存在していない日については塗り潰した。



 こうして見ると、かなり分かりやすくなった。

 前半の〈四日間〉において南館で殺害されたのが『1』の四人である。この四人は北館に潜んでいて、自分が殺すか殺されるかの時がくると南館にやって来て各々の役割をまっとうしたとの話であった。杏味ちゃんと霧余さんが殺されたのは死体の状態から推測して、日付が変わった後の深夜であったから『二』と『三』を終点とした。有寨さんが殺されたのが日付の変わる前だったのか後だったのかは分からなかったけれど、さっき僕の前に現れた彼は自分にとって今日が七日目、すなわち〈八日目〉であると云っていた……それはつまり霧余さんが終わるのと同じ日ということだから、この『有寨1』の終点も『霧余1』と同じ『三』とした。

『2』の四人は、基本的に僕の前で生活している(またはしていた)四人である。前半の〈四日間〉におけるこの四人は『1』の自分が殺されると同時に北館に身を潜め、四日目(〈五日目〉)に僕と再会した。僕がずっと行動を共にしているのもこの『舞游2』ということになる(彼女の始点は表の上端、終点は下端だ)。『霧余2』と『有寨2』の終点はさっき有寨さんから聞いたとおり『七』とした。杏味ちゃんについてはその限りではなかったが、しかしきっとこれで正しい。なぜなら〈前半の四日間〉と〈後半の四日間〉はアフガン・バンド・トリックによって〈対〉となっているので、同一人物の死の点もそれぞれ対応しているはずだからである(先程『有寨1』の終点を『三』と判断したのも同じ理由だ)。

 そして『1』が殺されると同時に発生したのが『3』だ。状況的に、この四人も基本的に僕から身を隠していたと考えていい。僕が北館にやって来た時点で彼らは既に皆が発生した後だったはずだが、僕が再会した相手はやはり『2』の四人だったからだ。

 また『4』についてだけれど、これは表をつくった甲斐があった点で、僕は漠然と〈八日間〉において登場する四人はそれぞれ三人ずつとイメージしていたために(僕が現在別個に目撃したのはおそらく最高で三人と思っていたからだ。無論杏味ちゃんと霧余さんである)、それが『4』まで登場して少し驚いた。この『4』については〈七日目〉である現在では杏味ちゃんと霧余さんが発生していることになる。有寨さんの言と合わせて考えると、さっき廊下で僕の目の前に現れ、部屋の中には這入ってこなかった方の二人がこれだ。そして部屋に這入ってきた方の二人は『3』の二人だった。考えてみればこれは当然で、有寨さんが霧余さんを殺害して切断してきた後だったということは杏味ちゃんと霧余さんはもう二人殺されているということで、ならばああして生きている二人がそれぞれいた以上、総計はそれぞれ四人ずつとなる。つまり僕が未だに生きている姿も死んでいる姿もおそらく直截は目にしていないだろう個体は『有寨3』と『舞游3』だけというわけだ(『有寨4』はまだ始まっていない)。

 最後に『僕』についてだが、これは『舞游2』と同じなのだと結論した。僕が定めた始点と終点というものは『舞游2』を基準としたそれなのだろう。この〈八日間〉で舞游だけ『4』が登場しないのもそのためだ。また、『舞游1』の終点と『舞游3』の始点こそが〈四日目〉と〈五日目〉の境界だったのだとも分かる。

 ……この表を眺めながら、僕はさらに細部について思考していく。

 僕の存在が便宜上それを定めているだけで、この環楽園には始点も終点もない。人によって始点と終点は異なるからだ。ならば、僕が始点と終点に定めた『舞游2』のそれというのは、如何様なものなのか。

 この屋敷に到着した直後から始まったのではないだろう。それだったら皆に共通している。百八十度のひねりが〈因果の捻じれ〉に該当するせいで順番が前後したとはいえ、あくまで大元においてはまず四人による殺人リレーこそがあったわけで、その始まりにおいて僕らは現実世界から隔絶されたというわけだ。なら、どのタイミングで僕は現実世界と切り離され、この環楽園における〈八日間〉を開始したのか……。

 僕の記憶では、僕はこの屋敷に到着し、簡単に南館の内部を案内された後に、自分の客室でしばらく眠った。たぶん、あそこで切り離されたのだ。そして目が覚めたときには既に〈八日間〉の〈一日目〉が始まっていた。始点において僕は眠っていたのである。『舞游1』が殺された〈四日目〉と〈五日目〉の境界という時刻(僕はこのときも眠ってしまっていた)も、僕が〈一日目〉に眠っていた時間に重なっているから、まず間違いない。

〈一日目〉で僕が目覚めたとき、傍らに舞游がいたのも憶えている。彼女も僕も始まったばかりであり、過去の繰り返しについても一切の記憶を持っていなかったから、当然ながら、あれが屋敷に到着した初日と続いていると思い込んだのだ。他の『2』の三人はあの晩が〈一日目〉ではなかったけれど、僕と舞游に話を合わせていた。

 有寨さんと霧余さんと杏味ちゃんについても発生した時点で過去の繰り返しについての記憶はないはずだけれど、これはおそらくすぐに他の人間が接触して事情を話す段取りとなっているのだと想像できる。僕ではそれぞれが屋敷の中のどこで発生するかまでは推測できないが、有寨さん達は僕とは比べ物にならない量の情報を持っているので(なにせ仕掛け人側だ)、その限りではないだろう。

 ……こうして表を眺めていると、僕は否応なしに『舞游1』と『舞游3』について意識させられた。僕と行動を共にしない舞游(『舞游1』は一度だけ『舞游2』と入れ替わったことがあったので、そのときに少しだけ一緒にいたわけだが)……彼女は一体、どうしているのだろうか。……きっと僕と一緒にいる舞游とは違って、彼女は完全に有寨さん達の云いなりなのだ。けれど彼女も馘杜舞游であることに違いはない。僕は彼女を放っておいていいのか? 『舞游1』は殺されてしまったけれど『舞游3』はいまもどこかにいる……有寨さん達によって半監禁状態なのかも知れない。『舞游3』はそして、この次の〈八日間〉における『舞游1』となり、また僕とほとんど共に過ごすことなく円卓の上で切断される……。

 考えれば考えるほど、頭がどうにかなりそうだった。事実、もう既におかしくなっているのだろう。正気を保っていては、この状況下で発狂しない方が変だ。僕はもう常識も感性も倫理観も、狂気のそれに変えられてしまっているに違いない。

 余計な方向に思考が進んでいくのに気付いて、僕は自分の頬を叩いた。いまは舞游を守るためのすべを見出すことだけに集中しろ。時間がないのだ。もうじき夕方になろうとしている。表を見れば分かるとおり、有寨さんは今晩に舞游によって殺されなければならない。だから彼らがなにか手を打ってくる時というのも、もう間近まで迫っているのだ。

 僕と共にいる舞游を守り、環楽園に綻びを生じさせれば、それはいま別の場所にいる舞游を救うことにも繋がるはずだ。だから僕は、とにかくいまは、この舞游を守ることだけを考えるべきなのである。

 舞游はいま、アームチェアの上で膝を抱え、ボーッと部屋の壁を見詰めている。このままでは、この舞游も壊れてしまう。

 させない。絶対にさせない。

 有寨さん達の握っている策がどんなものなのかは未だ見当がつかないけれど、それがどんなものであれ舞游が有寨さんを殺す展開を回避するためには、どうすればいいのか……。

 この環楽園にどこか、弱点……付け入る隙はないものか……。

 不意に閃きがやって来たのは、そのときであった。
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