美化委員会の不浄理論

凛野冥

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完璧なクラスに積み上がった肉片の山

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 それから二十分ほどが経過して、生徒さん達に質問して回るのを終えた委員長は云いました。

「真実が浮かび上がりました。飼葉先生、お話してもよろしいですか?」

「本当に? 早いわね」

「できるだけ迅速に、とのご要望でしたので」

「そうね。ええ、聞かせて頂戴」

「分かりました」

 委員長はまるで先生のように教卓に手をついて、話を始めました。わたくしは廊下側、飼葉先生はグラウンド側に立って、それを聞きます。生徒さん達(全員が本人であると、既に飼葉先生によって確認されていますわ)も清聴しています。

「このクラスの生徒は全員、模範的です。うん、実に模範的だ。飼葉先生が云うところの模範的というやつを体現していますよ。不良生徒なんてひとりもいません。反抗的な態度だって豪も見せないことでしょう。全員が勉学に励み、一位を目指して邁進しています。理想的ですね。うん、理想的だ。素晴らしい。まさに火津路高校一優秀なクラスです。まあすべては仮初かりそめですがね」

「なんて? 御加賀くん、今、なんて云ったの?」

 飼葉先生の表情が険しくなります。そんな飼葉先生を、委員長は掌を向けて制します。

「ご清聴願いますよ、飼葉先生。話は静かに聞くものだ。生徒さん達を前に、貴女がまず模範的でなくてどうするんですか?」

 飼葉先生が歯を食いしばるのが分かります。まったく委員長ったら、あからさまな挑発なんて感心しませんわ。

「貴女は優秀な先生ですね、飼葉先生。生徒ひとりひとりを大切にし、洩れなく全員を模範的で理想的で優秀な生徒にしようとしている。妥協は一切なし。全員に百パーセントの力を出させるよう、このご時世に体罰だっていとわない、情熱溢れる先生です。まあそれもすべて仮初めですけどね」

「一体なにが云いたいの、御加賀くん! それ以上は私も――」

「事実でしょう、飼葉先生。貴女は生徒たちを信用していません。ひとりひとりを尊重するようなポーズを取るだけで、実際は彼らを人間扱いすらしていません。生徒は全員、ひとり残らず、貴女にとっては貴女の考える模範的なクラスをつくるための、貴女の考える理想的なクラスをつくるための、貴女の考える優秀なクラスをつくるための、いわば駒でしかありません。だから全員の個性を潰し、こうやって均一化している。彼らはもう機械と変わりませんよ。貴女が提出する課題を次から次へとこなすだけの機械。此処は極めて非生産的な機械工場です。貴女は人間である彼ら全員を殺したに等しい」

「いいえ! 私は彼ら全員を大切に――」

「ならどうして彼らを疑うのですか? 何の疑問も抱かずに疑うのですか? 貴女は自分の生徒たちをまったく信用せず、この中に犯人がいると決め付けた。犯人が外部の人間である可能性だって充分にあるのに、貴女は自分の生徒の中に殺人犯がいる、あるいは全員が共謀して津田さんを殺害したと思っている。違いますか? 違わないでしょう? 貴女の発言を振り返ってみれば明白なことです。貴女は生徒ひとりひとりを尊重なんてしていない。大切になんてしていない。貴女ほどに自分の生徒たちを群体としか見做していない教師はそういないでしょう。貴女は和を乱す反乱分子を徹底的に粛清する。そのことをひとりひとりを熱心に教育しているということだと思い込んでいる。ひとりでも貴女の尺度における出来損ないが生じそうになると、手段を選ばず矯正し、模範的に仕上げようとする。暴力的な、野蛮な躾です。今では貴女に反旗を翻そうとする生徒はいないでしょう。全員、殺されてしまった。貴女の奴隷、いえ、傀儡くぐつと化してしまった」

 委員長の話を聞きながら、わたくしは涙が溢れるのを止められません。

 改めて生徒さん達を見ます。椅子に座り、前を見据え、微動だにしない彼ら。機械のような彼ら。瞳は生気を失っていて、それが再び宿ることは未来永劫ないのだと思い知らされます。身体を細切れにされずとも、彼らはもう既にみな死んでいるようなもの……そんなの、あんまりですわ……。

「しかし、それもあくまで表向きは、だったのですよ」

 委員長の言葉に、怒りで顔を真っ赤にして小刻みに震えている飼葉先生が、怪訝そうな表情を浮かべました。

「彼らがほとんど死んでいるようなものだったのは事実でしょう。貴女による無慈悲で冷酷な調教のせいで、ほとんど殺されたようなものだったのは事実でしょう。しかし、まだ完全じゃなかったのです。彼らはそう簡単に生存を諦めたりはしなかったのです。表向きは貴女に従うようにしながらも、こっそりとそこから逃れるために行動していたのです。まだ辛うじてひとかけらだけ残っていた自我によって。ひとかけらだけ残っていた人間性によって。彼らは切実に、此処から逃れたいと願っていたのです。思春期というのは実に厄介な時期です。生活環境も心理状態も閉塞的へいそくてきになりやすい。視野が狭まり、世界観が狭まり、ちょっとした問題が世界の破滅そのものと直結しているかのようなスケールに感じられてしまう。壱年戌組の生徒たちにしてもそうだったのでしょう。彼らは全員で叛逆はんぎゃくしても、貴女には敵わないと考えた。でもひとりなら、ひとりだけなら、貴女の支配するこの箱庭から逃げられるんじゃないかと考えたのです。ひとりくらいなら、貴女の手から逃れることができるんじゃないか……自由を獲得できるんじゃないか、とあまりにも矮小ながらあまりにも巨大な希望を抱いたのです」

 委員長はそして、津田さんの席を指差しました。

「そしてようやく逃げ出せたのが、津田さんなのですよ。彼女は殺されていません。むしろ唯一の生存者です。貴女による教育という名の虐殺から逃れられた、たったひとりの生存者なのです」

「な、何を云っているの。さっきから、一体なにを云っているのよ!」

「まだ分かりませんか、飼葉先生。その肉片の山は津田さんの死体ではなく、津田さんを逃がすために此処にいる生徒たち全員が払った代償の山なのですよ。彼らの肉片なのです、それは」

 飼葉先生は絶句した様子です。その顔から血の気が引いていきます。

「ただ逃げるのでは駄目だったのです。貴女は絶対に逃がさないでしょう。すぐに捕まってしまうのが目に見えている。だから殺されたのだと思わせて消えるしかなかった。殺されたと思わせるためには、死体が要ります。しかし死ぬわけにはいかない。そこで他のクラスメイト全員の肉片を集め、ひとりの人間のバラバラ死体のように見せる方法が考案されたのです。ひとりひとりが致命傷とならない範囲で自らの担当する部位を切除し、津田さんの机の上に置く。だから津田さんの首はないし、手首や足首、さらには心臓などの臓器もないのです。ところで、貴女はこの殺人事件を絶対に揉み消すことでしょう。そのために何があったかを迅速に確実に把握するために、未だしかるべき連絡はせずに僕らなんかを連れてきた貴女です。だから貴女にさえ自分が殺されたのだと思わせられれば、この監獄そのもののクラスからの脱出は成功する」

 すっかり顔を真っ青にしてしまっている飼葉先生。

「なぜ逃げたのが津田さんで、他のみながそれに協力したのかといえば、津田さんがテストで一位だったからでしょう。脱出の権利をかけて、生徒たちは死にもの狂いの努力を重ねていたのですよ。彼らは辛うじてこのクラスから脱出できるだろうひとりをテストの結果で決めることにしていたのです。そして津田さんがその座を獲得した。うん、生徒たちは貴女の教育のおかげで必死に勉強していたのですね。貴女の暴力的な、脅迫的な教育から逃れるためだけに、必死に勉強していたのですね。この優秀なクラス、理想的なクラス、貴女のつくり上げた理想郷は、仮初めに過ぎなかったのです」

「ふ……ふ、ふざけないでっ!」

 飼葉先生が喉を限界まで絞るかのように、怒鳴りました。

「出鱈目よ! ひどい出鱈目だわ! そうでしょう、貴方達!」

 先生の問いかけに生徒さん達が「分かりません、先生」と声を揃えます。

「誤魔化すんじゃないわよ! 分からないなんて許さないわ! ちゃんと答えなさいよ、貴方達! じゃないと――」

「彼らはもう、本当に分からないのですよ」

「…………どういう、ことよ」

 委員長は改めて、お利口に着席している生徒さん達を見回します。

「全員、もう完璧に死んでいるのです。さっき云いましたでしょう。この生徒たちはひとかけらだけ自我を持っていた、と。貴女によって人間性を削ぎ落とされ、機械のようにされながらも、なんとかひとかけらだけは自分を守り抜いていた、と。でもそのひとかけらすら彼らはもう失ってしまったのです。なぜなら、そのひとかけらというのが、津田さんの机の上に積まれた肉片なのですよ。だから彼らはもう、ただの機械です。貴女が望んだ、貴女の傀儡です。模範的で理想的で優秀な、それだけの人形です。意思なんてありません。感傷もありません。かつて此処から逃げ出したいと願ったことも、結果として逃げ出す権利を得た女子生徒のために代償を払ったことも、何もかも憶えていません。分からないのですよ。そういう人間らしい部分はひとつも残っていないのですから」

 しばらくの静寂の後、飼葉先生は突然奇声を発すると、津田さんの机の上に積み上がっていた肉片をぶちまけました。無数の肉片が宙を舞います。飼葉先生はよろめき、津田さんの机に縋り付くような格好になります。あの理知的な姿は面影もなく、呼吸は乱れ、肩が大きく上下しています。

「ただ、それでも、確認する方法はありますよ。貴女が、この貴女の傀儡たちに、制服を脱ぐように命じればいいのです。そうすれば、一部が欠損した身体をこの生徒の人数分、見ることができるでしょう」

 飼葉先生ははっとしたような顔になり、すぐにそのとおりの命令を発そうとしましたが、

「でもいいのですか、飼葉先生」

 委員長のその言葉に、また怪訝そうにし、直後、今度こそ茫然自失といった様子になりました。

「それを見れば、貴女は認めることになりますよ。生徒たちがそうまでしてひとりでもクラスから逃げ出させようとしたという真実を。自分が生徒たちをそこまで追い詰めていたという真実を。生徒たちは貴女のことが大嫌いで、感謝も尊敬もしていなくて、ただ恐れて従っていたのだという真実を。自分がそんな最低の教師だという真実を。この模範的で理想的で優秀なクラスが仮初めに過ぎなかったという真実を。自分だって生徒ひとりひとりを大切になんてしていなくて、自分の理想郷を築き上げることにしか興味がなかったのだという真実を。僕がいま語ったすべてを、貴女は認めることになりますよ。本当にそれでもいいのですか」

 飼葉先生は微動だにしません。生徒たちと同じく、彼女も単なる機械になってしまったかのように。

 委員長は告げます。

「選ぶのは、貴女です」

 それは壱年戌組の教室に、どこまでも虚しく響きました。
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