GAOにえもいわれぬ横臥

凛野冥

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【O章:表ラブホの裏ビジホ】

6「二重の解法に自由の解放」

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 俺と友餌が体験したこと。多字原や宇摩が語っていた内容。それらの記憶が飛んでいなくて助かった。いくらか飛んでいるかも知れないが、重要な内容は揃っていた。

「此処――六〇九号室に、あんたはスパイ疑惑のある奈田綾瀬を拘束のうえ閉じ込めていた。ホテル側もグルだな。いわばあんたは、このホテルの裏ビジネスのお客様ってわけだ。

 そしてあんたらは、俺達が此処に侵入して奈田を殺害したと思っているようだが、それは違う。俺達は普通の客として偶然にこのホテルに這入って、受付で受け取った六一〇の鍵を使って、六一〇号室に這入っただけだ。そこには既に奈田の死体があった。

 これは六一〇に案内された客に奈田殺害の容疑を被せるためのトリックだ。それがあんたと因縁のある俺だったことは偶然だよ。トリックの中身は単純で、六〇九と六一〇を二度、入れ替えたんだ。犯人は二人。特定の二人だけが、それを可能とする。

 清掃員の宇摩と、俺達の前に六一〇を利用していた客――仮に犯人Aとしようか。この二人だ。

 まず、犯人Aが六一〇にチェックインする。こいつは部屋番号を指定でもしたんじゃないか? 受付の多字原に確認してみるといい。

 次に登場するのは清掃員の宇摩だ。宇摩は部屋の清掃のためにマスターキーを預けられているから、それを使って六〇九号室を開けることができる。仇鳴、あんたはこのホテルが自分の支配下だと思って錠の交換をしなかったんだろうが、誰かを閉じ込めるような使い方をするなら、マスターキーの対策も講じておくべきだったと思うよ。

 宇摩か犯人Aのどちらかが、六〇九号室で犯行に及んだ。だがそれからチェックアウトするだけでは――死体発見のタイミングが遅れれば犯人Aは特定されないかも知れないが――マスターキーを持つ宇摩の方は真っ先に疑われるだろう。そこで問題のトリックが使われた。

 ドア横の壁に取り付けられた、部屋番号が書かれたプレート。これを入れ替えたんだよ。俺はそこまで見てなかったが、どうせネジ留めがなにかで、簡単に取り外せるだろう?

 さらに犯人Aがチェックアウトする際、六一〇の鍵とマスターキーを交換したんだ。これも六一〇と刷り込まれたキーホルダーをマスターキーに付け替えるだけで済む。フロントに返却されたのは、実はマスターキーだったということだよ。

 それから俺達が――ああ、そもそも犯人Aについてだが、深夜二時とか三時にチェックアウトするなんて不自然じゃないか。しかし犯人Aからすれば、犯行後は迅速に部屋を去る必要がある。次の客に容疑を被せる前に死体が発見されるようなことがあっては台無しだからな。一方で、もっと早い時間では客の出入りがある。マスターキーが六一〇の鍵としてフロントにある間、宇摩は他の部屋に這入れないから、この時間帯でないとリスクが高かった。たしか多字原が満室だと云っていたな。少なくとも朝まで出て行く客は他にいないだろうし、終電後も開いている飲み屋の多い茜条斎なら、這入ってくる客はいる――それが俺達だった。

 俺達は六一〇のキーホルダーがついたマスターキーを持たされて、六一〇のプレートが取り付けられた六〇九号室に、そうと知らずに這入ったんだよ。

 奈田は手足を縛られていたから、もともと部屋は乱れていなかっただろう。荷物はクローゼットに隠されていたし、俺達はこの部屋から違和感を覚えることはなかった。浴室の死体を発見するまで、多少の時間はある。その間に、俺達が部屋に這入るのを見ていただろう宇摩は廊下で、六〇九と六一〇のプレートを再交換し、元の状態に戻しておいた。

 死体を発見した俺達は、遅かれ早かれ、フロントに行くことになる。客室として使われていないこの部屋には電話機がないからだ。携帯で警察に通報するよりも、まずはホテルに知らせるのが普通だな。このとき、ひとりが死体と一緒に部屋に残るとはまず考えられない。部屋は無人になる。しかも几帳面に錠を掛けて出ることもないだろう。

 宇摩はこの間に部屋に這入り、六一〇のキーホルダーを本物の六一〇の鍵に付け戻しておいた。鍵はたしか、ローテーブルに置いていたと思う。このタイミングで鍵を戻せなかったら次の機会を狙っただろうが、なんにせよここまで成功した時点でトリックは成立だ。

 相手が俺のような探偵でなかったら、こんなふうに真相を看破することもできず、混乱しているうちに事態は決定していただろう。この事件はどうせ、まともな処理の仕方はされないんだから」

 仇鳴は、左右の手からそれぞれ金属を床に落とした。途中からカチャカチャという音は止んでいて、知恵の輪は解かれ終わっていた。

「時間切れしていたが、興味深いので聞いてやったよ。なるほど、説明はついているな。だがそんな解釈も可能というだけで、なにか証拠に基づいているわけではない」

「もっと興味深い話がある。あんたに聞くつもりがあるなら」

「話してみたまえ」

「この事件はまともな処理の仕方をされない。であれば、死亡推定時刻、死体のDNAや指紋を調べることもないんじゃないか? すると死体が奈田綾瀬でなくても気付けないな」

「……それは、死体の顔が潰されていることに着眼しているのかね?」

「そうだ。ビニール袋を被せての撲殺。返り血対策だけとは思えない。首を絞めて殺した方がずっと簡単だ。これも多字原に訊いてみるか、防犯カメラの映像を確認してみるといい。宇摩と犯人Aの犯行からして廊下にはカメラがないようだが、フロントやエレベーターには付けているだろう?

 もしも犯人Aが大きなスーツケースかなにかを持っていたなら、決まりだ。来たときには、その中には顔を潰された死体が入っていた。出るときには、奈田綾瀬が生きて潜んでいた。

 要するに、口封じのための殺人でなく、救出劇だった可能性だよ。

 持ち込んだ死体に奈田の服を着せれば、それで入替完了だ。奈田が殺されたのだと錯覚させれば、それ以降は追われることがなくなる。

 しかも奈田殺害の容疑が俺達に被せられた場合、犯人が現場から立ち去っていない以上、奈田が一緒に脱出したという可能性にも考えが及ばないわけだ」

「よく考えたものだな。死体が奈田本人かは確認することにしよう」

 仇鳴は床に落とした三つの金属を拾い上げると、それらを再び繋げ始めた。

「もうひとつ。昨夜に不自然だったのは、深夜に退室した六一〇の客だけじゃない。宇摩ともうひとり来るはずだったところ、無断欠勤したという清掃員だ。そいつに来られたら犯行計画が破綻するのだから当然、無断欠勤となるようになにかされただろう。しかも、それが事後的にでも判明したら都合が悪い。そこで一石二鳥の策がある。

 奈田の身代わりとして殺害されたのが、そいつかも知れない。

 女性で、体格が似ているということなら、まず間違いないよ。そいつと宇摩が二人となる夜を選んで、犯行が実施されたんだ。そうそう、宇摩は最近入ったばかりの新人という話だったが、はじめから奈田の救出を目的として潜り込んだのは明らかだな」

 再びひとつとなった知恵の輪が、幹節に投げつけられた。大男はキャッチした。

「幹節、宇摩という清掃員を連れて来たまえ。既に帰っていたとしても、至急やるのだ」

 大男は頷いて、部屋を出て行った。友餌の身体から力が抜けるのが見て取れた。

 仇鳴は面白くなさそうな顔で俺を見下ろしている。

「こじつけと云って片付けることができないレベルには達していると判断した」

「そりゃどうも」

 認めたくないが、こいつも馬鹿ではない。今回に関しては、それが幸いだった。
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