GAOにえもいわれぬ横臥

凛野冥

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【A章:ダンサー飲ザダーク】

1「自壊するこの世の模倣」

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 正午。指定された駐車場にキャンピングカーを停めて降りると、先に停まっていた白い高級車の後部座席のドアが開き、続いて白い日傘が開き、中から女性が出てきた。

「わたくし、白いものが好きなんですの」

 第一声がそれだ。白いワンピースを着て、白いヒールを履いている。肌も透き通るように白ければ、髪も白く染めており、後ろで三つ編みにしている。

すいさんですか?」

 訊ねると、彼女は「ええ」と白い歯を見せた。うりざね顔で、なかなかの美人だ。両の瞳だけ緑色なのは、カラーコンタクトを嵌めているのだろう。

「そちらのお車が事務所なんですってね。早速上がってもよろしくて?」

「どうぞ」

 車内に案内する。義吟が「わっ、真っ白な人です!」と驚いたが、翠は微笑で応えた。

「貴女の頭、それはなんですの?」

「牛さんの角です。可愛いですよね」

「オホホ……それじゃあ、お乳を搾らないといけませんわね」

「ええ? そんなことされたら困ります」

 自分の胸部を両手で覆い隠す義吟。

 俺は翠にセカンドシートを勧めたが、彼女は頭を横に振った。

「形式的なことは省きましょう。みなさま、探偵でいらっしゃるからには、死体の写真を見たところで、眉を動かすこともありませんわね?」

 白いレースの手袋を嵌めた手で、白いポーチから白いアルバムを取り出す。俺は「眉は動くかも知れませんが」と云いながら受け取った。

 開いた途端、目に飛び込んできたのは惨殺死体の数々。どこかの部屋や路地裏で、全身をめった刺しにされたり、皮を剥がれて吊るされたり、内臓を引きずり出されたり、五体をバラバラにされたりと、凄惨極まる光景が写されている。

 義吟が覗き込んでこようとしたところで、俺はアルバムを閉じた。

「なんですか、これは」

「眉、動かないじゃありませんか」

「表情筋が固いんです」

 アルバムを返すと、今度は翠が開いた。

 彼女の方は沈痛な面持ちとなって、ページをめくりながら話を始める。

「この子達はみな、わたくし達の大切な会員ですの。先月から相次いで殺害されています。写真を撮れたのは五名。同じ会員の者が発見する場合だけじゃありませんから。他にも四名が、やはりむごたらしく殺されています」

「どんな会なんですか」

「〈死霊のハラワタ〉と云います。もちろん、ご存知ですわね?」

 その言葉に、場の空気が一瞬にして張り詰めた。

 しばしの沈黙。義吟が「央くん……」と、俺の名前を呼ぶ。

 俺は「分かってる」と云って頷く。翠と睨み合いながら。

「俺達は貴女個人のことは知りませんが、貴女は俺達を知っていて来たようですね」

「ええ。荻尾央さん、それから天亜愛さんもいまして?」

 緑色の瞳が車内の奥へと向けられる。亜愛は大丈夫だろうか。

「しかし、遺恨は横に置いてくださらない? わたくしは依頼に参ったんです」

「その連続殺人についてですか? 警察には――まあ、頼めないでしょうね。自分達にもやましいところがある貴女達では」

「あら、やましいところなんてなくってよ」

「じゃあ――」と言葉を続けようとしたとき、車のドアが外から開けられた。

「分からんな。この最後のやつだけが、どうにも分からんよ」

 這入ってきたのは仇鳴だった。平然と、それが当たり前であるかのように。

 三日前にホテル〈オケアの巣〉で会ったときと同じ服装で、手には折り畳んだ雑誌を持っている。

「口にした瞬間になくなるもの。〈く〉で終わる四文字の言葉なんだが、分かるかね?」

 こちらに向けられたページには、クロスワードパズルが載っていた。

「口にした瞬間になくなるもの、だ」

 翠が「それはー……」と少し考えてから、「沈黙ではないかしら?」と答える。

「なるほど、そうか。沈黙と云った瞬間、もはや沈黙ではない。頭が柔らかいな、翠は」

「オホホ……恐縮ですわ」

「暗躍もありますよ!」

 義吟が負けじと主張した。

 仇鳴は「ふむ」と自分の顎を撫でる。

「云いたいことは分かるが、しっくり来ないな。それよりも誰だね、お前は」

 品定めするみたいに義吟を眺める。俺は彼女の手を引いて、距離を取らせた。

「仇鳴……どういうつもりだ」

「よう、荻尾。先日は災難だったな。亜愛は奥かね?」

 その足が一歩進むのを見て、俺は自分の身体で通路を塞ぐ。奥からはガサガサと音が聞こえる。数秒の後、仇鳴は詰まらなそうに鼻を鳴らし、セカンドシートに腰を下ろした。

「義吟、亜愛のところにいてやってくれ」

 耳打ちする。義吟は仇鳴を知らないが、〈死霊のハラワタ〉のことは知っている。それで色々と察したらしく、大人しく引っ込んでいった。

「こんな窮屈なところで暮らすなど、私には我慢できんな」

 仇鳴は車内を見回してから、馬鹿にしたような視線を俺に投げる。

「翠の説明はひと通り終わったかね?」

「あんたらの依頼なんて受けないぞ」

「酷いな。写真を見て、心が痛まないのか」

 白々しく云うと、彼は雑誌を翠の手にあるアルバムと交換した。

「先日の一件を翠に話したところ、この件についても依頼したらどうだと云われてね。採用することにした。紹介が遅れたが、彼女は昨年から私の秘書をしている」

「他をあたれ。俺達よりも適任がいくらでもいるだろ」

「そうかね? お前達はたしかに打ってつけと思うがな。〈悪魔のイケニエ〉とかいう馬鹿げた集団についても詳しいのだろう?」

「それがどうした」

 訊き返すと、仇鳴は翠を一瞥いちべつした。「まだ話せていないんですの」と彼女。

「写真もまだか? 写真は見た。ふむ。それなら気付いてほしいものだが」

 アルバムがテーブルの上に広げられる。先ほどは死体にばかり目がいったけれど、改めて見れば他にも奇妙なものが写されていた。

 簡易的な祭壇と、そこに架けられた逆さの十字架。幾本も立てられた蝋燭の残骸。引き裂かれた聖書。空になった酒瓶。赤黒く染まったワイングラス。ナイフとフォーク。バイブやディルドといったアダルトグッズ。縄。鞭。注射器……

「黒ミサ――サバトとも云うのだったか。なんにせよ、愚かしい所業だ」

「……これらが〈悪魔のイケニエ〉による犯行だと?」

「いかにも。逆十字や引き裂かれた聖書なんて象徴的だろう。そして犯人は女だ。遺体に性的暴行の痕はあるが、精液は残っていない。さしずめ、魔女と云ったところか。同じ女を蹂躙した挙句に惨たらしく殺害し、その血を飲み、肉を食らい、悪魔に捧げる。十六世紀フランスの法学者ジャン・ボダンを知っているかね? 彼は魔女が悪魔の教唆きょうさによって犯す十五の罪を挙げている。そらでは云えんが――翠、」

 指名された真っ白な女は、携帯の画面を見ながら音読する。

「魔女は、神を否認し、神を呪い、悪魔を崇敬してこれに犠牲を捧げ、悪魔に子供を供し、受洗前にこれらの子供を殺して悪魔に献じ、生まれる前から子供を悪魔に捧げ、魔女のセクトに人々を熱心に誘い込み、悪魔の名にかけて誓い、近親相姦の罪を犯し、受洗前の子供を殺して種々の飲料をこしらえ、人肉を食し、呪術を使って毒殺したり殺したりし、家畜を死なせ、大地の生む糧を枯れさせ、悪魔と性的に交わる」

 それらは後の十七世紀において、でっち上げと結論されている話だ。ジャン・ボダンが著した『魔女の悪魔狂』だって、ギイ・パタンに『一文の価値もない』と評された。

 しかし二十世紀以降、絵空事であったはずの悪魔主義は現実のものとなる。小説、漫画、映画、音楽……あらゆる娯楽がそれをモチーフに使い、その影響からか、歴史的な文脈を踏まえることもせず、実践する者達が出現した。虐待事件や殺人事件まで多数起きている。

「先日捕まった〈悪魔のイケニエ〉構成員――ミヤと云ったかな? 彼女もサバトと称して乱交にふけり、仕舞いには殺した女の肉を料理して食おうとしたそうじゃないか」

 やはり仇鳴も、その情報を掴んでいた。

 俺の中で話が繋がる。

「そのミヤは、あんたのとこの会員である巻乃木真月――本名は奈田綾瀬から、媚薬を買っていたそうだな。あんたは奈田綾瀬をスパイだと云って、あのホテルに監禁していた。彼女から〈悪魔のイケニエ〉のことを訊き出すつもりが、まんまと逃げられて、手掛かりを失ったというわけだ」

「監禁とは人聞きが悪いが、おおむねそのとおりだ。ああ、奈田を逃がしたあの清掃員も〈悪魔のイケニエ〉だったよ。私達で保護している。しかしあの娘はなにも知らんな。使い捨ての駒だ」

 仇鳴は話しながら、翠に目配せをした。翠の方は携帯を操作する。

「話を戻そう。悪魔的儀式を模した連続殺人だ。どういうわけか、連中は私達を標的としているらしい。それに連中との内通者は、奈田だけではないようだ。被害者には幹部メンバーも多くてね、私達の内情をよく知らなければならん。親玉のスパイがいるのだよ」

「それを俺達に見つけろと云うのか」

「そうだ。お前達が〈悪魔のイケニエ〉の支部をいくつか壊滅させたという話も知っている。そのうえ〈死霊のハラワタ〉の元会員だからな、こちらも気を遣うことがない。これで理解できたかね? 話の流れを」

 運転席のドアが開いて、知らない男が乗り込んできた。男は仕切りのガラス窓を開けると、仇鳴に茶封筒を手渡す。仇鳴はそれをテーブルの上に放る。

「三十万だ。親玉のスパイを暴いてもらえればいい。成功報酬には追加で七十万出そう」

「まあ! 大金ですわ!」と、翠がわざとらしく喝采する。

 俺は運転席の男を指差した。前を向いて、シートベルトを締めてやがる。

「それよりも、そいつを其処から降ろせ」

「聞けないな。運転席に座らずに、どう運転するのだね?」

 キーは差しっぱなしだ。やられた。直後、車が発進する。

「央くん!」という声。義吟が通路を歩いてくる。俺も運転席へ向かおうとするが、眼前に尖った先端が突き付けられた。翠の持つ日傘だ。

「オホホ……運転中は暴れてはいけませんわ。危険じゃありませんか」

「翠の云うとおりだ。座りたまえよ、荻尾もそっちの女も」

 カーブするのに、車が大きく揺れる。俺は不承不承、サードシートに腰を下ろした。

「どこに向かってる」

「私が預かる西戴天京支部だ。ほら、金を受け取らないのかね」

「連れて行くのは俺だけにしろ。亜愛と義吟まで来る必要はない」

「ふん。亜愛がいなくてどうすると云うのだ」

 仇鳴は隣に座った翠の肩に腕を回して、俺に見下げた視線を向けた。

「探偵業とは考えたものだ。亜愛の才能があれば造作もないだろう。死者の霊に犯人を訊けばいいのだからな」

「そんな便利なものじゃない。あんたも知ってるだろ」

「どうかな。亜愛は私達の最高傑作だぞ?」

「亜愛がお前らの施設に行けるはずが――」

「行くわ」

 すぐ近くからその声がして振り向けば、亜愛が通路を抜けて姿を現した。

 唇を引き結び、眉根を寄せた険しい顔で、仇鳴を見据えている。

「お前――亜愛か? 随分と地味になったものだな」

 仇鳴は珍しく、本当に驚いた様子を見せた。

 それから目を細め、その視線を亜愛の足元から頭の天辺まで、舐めるように這わせる。

 亜愛の方は、そうされても動揺を一切、表に出さないでいる。

「まあいい。大事なのはお前の才能だ。衰えていないだろうな?」

「おかげさまでね」

 気丈に応える亜愛。

 義吟が「亜愛ちゃん……?」と心配そうに声を掛けても、彼女は仇鳴を見据えたままだ。

 正面から、身体の向きも、視線も、まったく逸らさずに対峙たいじしている。

「さて、どうするのだ、荻尾」と、仇鳴が俺に向かって顎をしゃくった。

「……亜愛がそう云うなら、引き受けよう」

 彼女がいま、どれほどの恐怖と嫌悪に耐えているのか。

 それが分かる俺は、彼女の決意を尊重することにした。

「ただし、ひとつ条件がある。金はこの三十万でいい。成功報酬は別のものだ」

「なんだね?」

「知っていることを話してもらう。俺達が組織を抜けたときの、あの事件について」

 仇鳴は天井を見上げて、しばし考えた。

 その視線が俺へと戻り、答えが出る。

「いいだろう」
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