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【A章:ダンサー飲ザダーク】
4、5「ヘリクリサムの香る心」
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4
亜愛と俺は幼馴染で、幼いころからよく一緒に遊んでいた。
そして十三歳のとき、俺が覚えたての催眠術をかけた際に偶然、亜愛の霊媒としての才能が目覚めた。亜愛は話を聞きつけた〈死霊のハラワタ〉に迎え入れられ、俺も催眠術者として同じく入会した。
特に〈自己分離〉を行う霊媒は、催眠術者の助けを借りる場合が多い。だから〈死霊のハラワタ〉には催眠術者も在籍する。霊媒と催眠術者の親和性が高いほどに交信の確度と質は高くなるのだが、その点、亜愛と俺は一種の血縁関係にあると云えた。
俺達は二人で数々の心霊実験を成功させて有名人となった。若き天才霊媒とその相方。傍目からは、さぞかし輝いて見えていたことだろう。
会の内外を問わず、多くの公開実験をおこなった。各界の要人を前にパフォーマンスすることもあった。俺達と面会するために連日、数えきれないほどの人達がやって来た。他の霊媒に対して指導もするようになっていた。
葵都真子は、そのときに俺達が指導した霊媒のひとりだ。
「亜愛様のレッスンを受けられるなんて光栄です! 亜愛様は私の憧れです!」
歳は俺達の二つ下。素直で、愛嬌があって、いつも一生懸命な子だった。霊媒としての素質は充分だが、交霊では緊張のために上手く力を発揮できないことが多かった。そこで亜愛が、落ち着きを持って交霊に臨めるように様々なコツを教えていた。
俺も何度か、彼女の交霊を催眠誘導でサポートしたことがある。
「すごいです、荻尾様! 三十分以上も入神できたのなんて初めてです!」
「都真子ちゃんの力だよ。俺はそれを引き出しただけ」
「でも私ひとりでは、自分の意識をあんなふうに切り離せません。亜愛様からは、もっと支配霊に意識を預けるように云われているんですけど……」
「俺から催眠を受けたときの感覚は、身体に残ってる?」
「はい、残ってます! すーっと、空に摘まみ上げられるみたいでした!」
「次は、それをひとりで再現するように意識してみればいいよ」
「なるほど! ありがとう御座います。頑張ります!」
本人の熱意と努力もあり、彼女の成績は徐々に上がっていった。俺達が彼女と会うのは一週間に一度ほどだったけれど、そのたびに彼女は嬉しそうに成果を報告し、何度も礼を述べて、最後には亜愛への憧れを口にするのだった。
「亜愛様の交霊は生きている人だけじゃなくて、霊のことまで救います。私もそういう霊媒になりたいんです。私がそうしてもらったみたいに!」
彼女が〈死霊のハラワタ〉に入会したのは、事故で亡くなった両親と交信するためだった。それを叶えたのが亜愛だ。
生死の境界を越えて一家が再会したその場で、亜愛は彼女達の魂が救われるように取り計らった。都真子だけではない。娘を置いて亡くなった両親の魂もまた、苦しんでいた。
「心霊主義における交霊は、それまで十五世紀に渡って行われてきた魔術としての降霊とは違うわ。霊を支配することを目的とするのではなく、霊との交信では和解、さらには救済まで可能なの。与えられることだけを求めては駄目。私達は、互いに与え合うのよ」
亜愛のその言葉に、都真子は感銘を受けたのだろう。
だから後に自分にも霊媒の才能があることが分かると、彼女は亜愛を手本として、その才能を磨くと決めたのだ。それが自分の進むべき道であると信じて。
5
コンクリートに囲まれた狭い部屋で、白い拘束衣を着せられた女が、簡易ベッドに座っている。伸びきった前髪の隙間から覗いている左目は濁り、焦点が合っているか怪しい。口はだらしなく半開きとなっている。肌は蒼白く、荒れていて、必要な肉まですべて削ぎ落されたみたいに痩せ細っている。
「こちらが、都真子様です」
奇峰がそう述べた。都真子の側近をしているという、スーツ姿の女性だ。
俺と亜愛は、部屋の入口に立ったまま呆然とする。
その間を割って、仇鳴が室内に這入っていく。
「潰れてしまったと云っただろう。このとおり、もはや廃人だ。交霊は期待できない」
仇鳴が隣に立っても、都真子は動くことがない。俺と亜愛に対する反応も一向にない。その顔からはすべての表情が欠落し、時折ゆっくりと瞬きするだけだ。
「都真子?」と、亜愛がようやく、その名前を呼んだ。
それでも反応はない。俺達の記憶から、あまりに変わり果てた姿。しかし面影はある。彼女が葵都真子であるということを否定できない程度には。
「お前達が逃げ出した後、こいつは素晴らしい才能を開花させた。縁あって私が預かることになったのだがね。この五年間、西戴天京支部をよく支えてくれたよ」
「交霊を繰り返すと、こんなふうになってしまうのですか?」
困惑顔の義吟が訊ねた。
「残念ながらな。下級霊の重く不健康な流体は霊媒に悪影響を及ぼして、狂気へと導く。ことに入神は自分の身体に他の魂が幾度となく出入りするため、錯乱を来しやすいのだ」
「それだけじゃないだろ」
俺は黙っていられなかった。義吟に対して真実を伝える。
「こいつらが無理な開発をしたんだ。霊媒の能力は、身体の健全性と反比例する場合が多い。優秀な霊媒ほど、神経過敏やヒステリーに悩まされている。あるいは、まだ小さな子供とか、死期が近づいた老人とか……そこでこいつらは、霊媒をそんな状態に追い詰める」
「云いがかりだな。霊媒は私達にとって貴重な財産だ。その故障を早めるような愚を犯すかね? これは、葵都真子が自ら望んだ結末だよ」
仇鳴が詭弁を連ねる間、亜愛は静かに都真子のもとまで進み出た。その場で床に膝を着いて目線の高さを合わせる。互いに言葉はない。俺からは亜愛の後頭部しか見えないけれど、都真子の濁った左目を見詰めているのだろうか。
亜愛は当時、自分を慕ってくる都真子のことを特に可愛がっていた。俺の記憶の奥に眠っていた二人の会話が、不意に思い出される。
『都真子、貴女はきっと良い霊媒になるわ』
『ほ、本当ですか?』
『ええ。その純真な気持ちを忘れなければね』
『忘れません! ああ――』
『どうしたの』
『いえ――本当に嬉しいです。亜愛様にそう云っていただけて』
『照れすぎよ。顔が真っ赤だわ』
『すみません。あの、こんなことを云ったら、ご迷惑かも知れないんですけど……』
『いいわ。気にしないで云って』
『いつか私が、もっと上手に交霊できるようになったら、亜愛様とご一緒してもいいでしょうか? 一緒に、同じ交霊会を……』
『なんだ、そんなこと? もちろんいいわよ』
『あっ、ありがとう御座います! 私、もっともっと精進します!』
『頑張ってね。私も楽しみにしているわ』
目を輝かせていた都真子と、彼女に優しい眼差しを向けていた亜愛。
あれから六年。二人の再会が、こんなかたちになるなんて。
「天さん」と、後ろに控えている翠が声を掛けた。
亜愛が振り向く。唇を噛み締めて、感情を表に出さないようにしている。
「貴女と二人で話したいことがあるのですが、いいかしら?」
亜愛が答えるよりも先に、仇鳴が「なにを話すのだね」と訊き返した。
「仇鳴様、ここはわたくしにお任せください」
自信ありげな翠。仇鳴も彼女を信頼しているらしく、「分かった。任せよう」と答えた。
亜愛も応じた。俺がいなくて平気だろうか。心配だが、彼女は俺に頷いてみせた。
二人が近くの適当な部屋に這入っていくと、一方でコンクリートの部屋には都真子だけが残され、扉が閉じられた。二秒ほどして、オートロックの音がカチャンと響いた。
廊下には、俺、義吟、仇鳴、奇峰の四人だ。
此処は、羽衣の生活領域のさらに奥――やはり特別なカードキーを使って開錠する扉の先にある、都真子の生活領域である。廊下もコンクリートが打ちっぱなしで、殺風景というよりもいっそ荒涼としている。普段は都真子と奇峰の二人しかいないらしい。
亜愛が外しているうちに、俺は奇峰に都真子のことを色々と訊ねた。都真子の側近を務めて三年になるという彼女は、いずれも事務的な口調で答えた。
この区画には外に通じる扉や窓がなく、ただ一か所の区画への出入口は内側からでもカードキーなくしては開閉できない。そのキーを都真子は持っていない。つまり彼女は、此処にずっと監禁され、その能力を〈死霊のハラワタ〉のために使われてきたわけだ。
完全に潰れてしまったのは二週間ほど前だが、一年前には既に、外部からの刺激に対する反応がかなり鈍っていたらしい。視力や聴力が低下し、交霊を除いては発話することも極端に減っていた。自分の意思や感情を表に出すことは皆無。あるいは、内側からして感情を失っていたのかも知れない。それでも、交霊だけは続けられていたとのことだった。
「そんな――酷いです」
義吟はそう云うが、云うだけ無駄だ。仇鳴には響かない。
俺は何某か、ひどく打ちひしがれる思いだった。怒り、驚き、戸惑い、哀しみ、それらすべてが、どうしたらよいか分からずに宙に吊られているような感覚だ。
「なにを深刻な顔をしているのだね、荻尾。さきほど名前を出されるまで、葵都真子のことなど忘れていただろう?」
「……ああ。こんなことになっているなんて、想像していなかったからな」
「ならば自分の貧相な想像力を恨むのだな。それよりも、出てきたようだぞ」
亜愛と翠だ。別室に這入ってから五分ほどだろうか。
亜愛は俯いており、翠は満足そうな表情を浮かべている。
「天さんが、交霊をしてくれるとのことですわ」
その報告に、仇鳴は「そうか」と頷いた。
「それでは早速、準備に入ろう。ついて来たまえ。誂え向きな部屋がある」
来た道を引き返していく仇鳴と翠。
亜愛は顔を俯けたまま、俺の隣までやって来た。
「本当にやるのか?」
訊ねると、彼女は俺に向けて顔を上げた。ひどく痛切な表情だ。その唇から、俺にだけ聞こえる声で言葉が吐き出された。
「都真子は、私の代わりにああなったのよ。そう云われたわ……」
それとこれとは話が別だ――とは、返せなかった。亜愛が引き受けると決めたなら、俺には否定できない。責任を感じる気持ちも、俺には分かってしまう。
亜愛の代わり……。つまりはカリスマ霊媒たる羽衣のために、裏で無茶な交霊をやらされていただけではないのだ。きっと〈死霊のハラワタ〉がその最深部において進めている秘儀にも、利用されていたのだろう。
それは、いわば神々の招霊。野心的な心霊サークルは歴史上の偉人や賢人を招霊しようと試みるものだが、その比ではない。人間に神を降ろそうなんて狂気の沙汰に、真剣に取り組んでいるのだから。心霊主義の境界を越えて、明らかな魔術の実践である。
六年前、亜愛がそんな酔狂に巻き込まれていることに、俺はしばらく気付けなかった。俺達は別行動を取らされ、亜愛も俺に打ち明けることができない状態にされていた。だが、ある切っ掛けから俺はようやくそのことに気付き、亜愛を連れて組織から逃げ出した。そして事件は起き、俺達はすべてを失った……。
亜愛と俺は幼馴染で、幼いころからよく一緒に遊んでいた。
そして十三歳のとき、俺が覚えたての催眠術をかけた際に偶然、亜愛の霊媒としての才能が目覚めた。亜愛は話を聞きつけた〈死霊のハラワタ〉に迎え入れられ、俺も催眠術者として同じく入会した。
特に〈自己分離〉を行う霊媒は、催眠術者の助けを借りる場合が多い。だから〈死霊のハラワタ〉には催眠術者も在籍する。霊媒と催眠術者の親和性が高いほどに交信の確度と質は高くなるのだが、その点、亜愛と俺は一種の血縁関係にあると云えた。
俺達は二人で数々の心霊実験を成功させて有名人となった。若き天才霊媒とその相方。傍目からは、さぞかし輝いて見えていたことだろう。
会の内外を問わず、多くの公開実験をおこなった。各界の要人を前にパフォーマンスすることもあった。俺達と面会するために連日、数えきれないほどの人達がやって来た。他の霊媒に対して指導もするようになっていた。
葵都真子は、そのときに俺達が指導した霊媒のひとりだ。
「亜愛様のレッスンを受けられるなんて光栄です! 亜愛様は私の憧れです!」
歳は俺達の二つ下。素直で、愛嬌があって、いつも一生懸命な子だった。霊媒としての素質は充分だが、交霊では緊張のために上手く力を発揮できないことが多かった。そこで亜愛が、落ち着きを持って交霊に臨めるように様々なコツを教えていた。
俺も何度か、彼女の交霊を催眠誘導でサポートしたことがある。
「すごいです、荻尾様! 三十分以上も入神できたのなんて初めてです!」
「都真子ちゃんの力だよ。俺はそれを引き出しただけ」
「でも私ひとりでは、自分の意識をあんなふうに切り離せません。亜愛様からは、もっと支配霊に意識を預けるように云われているんですけど……」
「俺から催眠を受けたときの感覚は、身体に残ってる?」
「はい、残ってます! すーっと、空に摘まみ上げられるみたいでした!」
「次は、それをひとりで再現するように意識してみればいいよ」
「なるほど! ありがとう御座います。頑張ります!」
本人の熱意と努力もあり、彼女の成績は徐々に上がっていった。俺達が彼女と会うのは一週間に一度ほどだったけれど、そのたびに彼女は嬉しそうに成果を報告し、何度も礼を述べて、最後には亜愛への憧れを口にするのだった。
「亜愛様の交霊は生きている人だけじゃなくて、霊のことまで救います。私もそういう霊媒になりたいんです。私がそうしてもらったみたいに!」
彼女が〈死霊のハラワタ〉に入会したのは、事故で亡くなった両親と交信するためだった。それを叶えたのが亜愛だ。
生死の境界を越えて一家が再会したその場で、亜愛は彼女達の魂が救われるように取り計らった。都真子だけではない。娘を置いて亡くなった両親の魂もまた、苦しんでいた。
「心霊主義における交霊は、それまで十五世紀に渡って行われてきた魔術としての降霊とは違うわ。霊を支配することを目的とするのではなく、霊との交信では和解、さらには救済まで可能なの。与えられることだけを求めては駄目。私達は、互いに与え合うのよ」
亜愛のその言葉に、都真子は感銘を受けたのだろう。
だから後に自分にも霊媒の才能があることが分かると、彼女は亜愛を手本として、その才能を磨くと決めたのだ。それが自分の進むべき道であると信じて。
5
コンクリートに囲まれた狭い部屋で、白い拘束衣を着せられた女が、簡易ベッドに座っている。伸びきった前髪の隙間から覗いている左目は濁り、焦点が合っているか怪しい。口はだらしなく半開きとなっている。肌は蒼白く、荒れていて、必要な肉まですべて削ぎ落されたみたいに痩せ細っている。
「こちらが、都真子様です」
奇峰がそう述べた。都真子の側近をしているという、スーツ姿の女性だ。
俺と亜愛は、部屋の入口に立ったまま呆然とする。
その間を割って、仇鳴が室内に這入っていく。
「潰れてしまったと云っただろう。このとおり、もはや廃人だ。交霊は期待できない」
仇鳴が隣に立っても、都真子は動くことがない。俺と亜愛に対する反応も一向にない。その顔からはすべての表情が欠落し、時折ゆっくりと瞬きするだけだ。
「都真子?」と、亜愛がようやく、その名前を呼んだ。
それでも反応はない。俺達の記憶から、あまりに変わり果てた姿。しかし面影はある。彼女が葵都真子であるということを否定できない程度には。
「お前達が逃げ出した後、こいつは素晴らしい才能を開花させた。縁あって私が預かることになったのだがね。この五年間、西戴天京支部をよく支えてくれたよ」
「交霊を繰り返すと、こんなふうになってしまうのですか?」
困惑顔の義吟が訊ねた。
「残念ながらな。下級霊の重く不健康な流体は霊媒に悪影響を及ぼして、狂気へと導く。ことに入神は自分の身体に他の魂が幾度となく出入りするため、錯乱を来しやすいのだ」
「それだけじゃないだろ」
俺は黙っていられなかった。義吟に対して真実を伝える。
「こいつらが無理な開発をしたんだ。霊媒の能力は、身体の健全性と反比例する場合が多い。優秀な霊媒ほど、神経過敏やヒステリーに悩まされている。あるいは、まだ小さな子供とか、死期が近づいた老人とか……そこでこいつらは、霊媒をそんな状態に追い詰める」
「云いがかりだな。霊媒は私達にとって貴重な財産だ。その故障を早めるような愚を犯すかね? これは、葵都真子が自ら望んだ結末だよ」
仇鳴が詭弁を連ねる間、亜愛は静かに都真子のもとまで進み出た。その場で床に膝を着いて目線の高さを合わせる。互いに言葉はない。俺からは亜愛の後頭部しか見えないけれど、都真子の濁った左目を見詰めているのだろうか。
亜愛は当時、自分を慕ってくる都真子のことを特に可愛がっていた。俺の記憶の奥に眠っていた二人の会話が、不意に思い出される。
『都真子、貴女はきっと良い霊媒になるわ』
『ほ、本当ですか?』
『ええ。その純真な気持ちを忘れなければね』
『忘れません! ああ――』
『どうしたの』
『いえ――本当に嬉しいです。亜愛様にそう云っていただけて』
『照れすぎよ。顔が真っ赤だわ』
『すみません。あの、こんなことを云ったら、ご迷惑かも知れないんですけど……』
『いいわ。気にしないで云って』
『いつか私が、もっと上手に交霊できるようになったら、亜愛様とご一緒してもいいでしょうか? 一緒に、同じ交霊会を……』
『なんだ、そんなこと? もちろんいいわよ』
『あっ、ありがとう御座います! 私、もっともっと精進します!』
『頑張ってね。私も楽しみにしているわ』
目を輝かせていた都真子と、彼女に優しい眼差しを向けていた亜愛。
あれから六年。二人の再会が、こんなかたちになるなんて。
「天さん」と、後ろに控えている翠が声を掛けた。
亜愛が振り向く。唇を噛み締めて、感情を表に出さないようにしている。
「貴女と二人で話したいことがあるのですが、いいかしら?」
亜愛が答えるよりも先に、仇鳴が「なにを話すのだね」と訊き返した。
「仇鳴様、ここはわたくしにお任せください」
自信ありげな翠。仇鳴も彼女を信頼しているらしく、「分かった。任せよう」と答えた。
亜愛も応じた。俺がいなくて平気だろうか。心配だが、彼女は俺に頷いてみせた。
二人が近くの適当な部屋に這入っていくと、一方でコンクリートの部屋には都真子だけが残され、扉が閉じられた。二秒ほどして、オートロックの音がカチャンと響いた。
廊下には、俺、義吟、仇鳴、奇峰の四人だ。
此処は、羽衣の生活領域のさらに奥――やはり特別なカードキーを使って開錠する扉の先にある、都真子の生活領域である。廊下もコンクリートが打ちっぱなしで、殺風景というよりもいっそ荒涼としている。普段は都真子と奇峰の二人しかいないらしい。
亜愛が外しているうちに、俺は奇峰に都真子のことを色々と訊ねた。都真子の側近を務めて三年になるという彼女は、いずれも事務的な口調で答えた。
この区画には外に通じる扉や窓がなく、ただ一か所の区画への出入口は内側からでもカードキーなくしては開閉できない。そのキーを都真子は持っていない。つまり彼女は、此処にずっと監禁され、その能力を〈死霊のハラワタ〉のために使われてきたわけだ。
完全に潰れてしまったのは二週間ほど前だが、一年前には既に、外部からの刺激に対する反応がかなり鈍っていたらしい。視力や聴力が低下し、交霊を除いては発話することも極端に減っていた。自分の意思や感情を表に出すことは皆無。あるいは、内側からして感情を失っていたのかも知れない。それでも、交霊だけは続けられていたとのことだった。
「そんな――酷いです」
義吟はそう云うが、云うだけ無駄だ。仇鳴には響かない。
俺は何某か、ひどく打ちひしがれる思いだった。怒り、驚き、戸惑い、哀しみ、それらすべてが、どうしたらよいか分からずに宙に吊られているような感覚だ。
「なにを深刻な顔をしているのだね、荻尾。さきほど名前を出されるまで、葵都真子のことなど忘れていただろう?」
「……ああ。こんなことになっているなんて、想像していなかったからな」
「ならば自分の貧相な想像力を恨むのだな。それよりも、出てきたようだぞ」
亜愛と翠だ。別室に這入ってから五分ほどだろうか。
亜愛は俯いており、翠は満足そうな表情を浮かべている。
「天さんが、交霊をしてくれるとのことですわ」
その報告に、仇鳴は「そうか」と頷いた。
「それでは早速、準備に入ろう。ついて来たまえ。誂え向きな部屋がある」
来た道を引き返していく仇鳴と翠。
亜愛は顔を俯けたまま、俺の隣までやって来た。
「本当にやるのか?」
訊ねると、彼女は俺に向けて顔を上げた。ひどく痛切な表情だ。その唇から、俺にだけ聞こえる声で言葉が吐き出された。
「都真子は、私の代わりにああなったのよ。そう云われたわ……」
それとこれとは話が別だ――とは、返せなかった。亜愛が引き受けると決めたなら、俺には否定できない。責任を感じる気持ちも、俺には分かってしまう。
亜愛の代わり……。つまりはカリスマ霊媒たる羽衣のために、裏で無茶な交霊をやらされていただけではないのだ。きっと〈死霊のハラワタ〉がその最深部において進めている秘儀にも、利用されていたのだろう。
それは、いわば神々の招霊。野心的な心霊サークルは歴史上の偉人や賢人を招霊しようと試みるものだが、その比ではない。人間に神を降ろそうなんて狂気の沙汰に、真剣に取り組んでいるのだから。心霊主義の境界を越えて、明らかな魔術の実践である。
六年前、亜愛がそんな酔狂に巻き込まれていることに、俺はしばらく気付けなかった。俺達は別行動を取らされ、亜愛も俺に打ち明けることができない状態にされていた。だが、ある切っ掛けから俺はようやくそのことに気付き、亜愛を連れて組織から逃げ出した。そして事件は起き、俺達はすべてを失った……。
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