GAOにえもいわれぬ横臥

凛野冥

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【A章:ダンサー飲ザダーク】

9「マビノギオン擬音さもなくば」

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    9


 翌日の昼過ぎ、俺は単身、タクシーを使って西戴天京支部を訪れた。

 受付で翠と面会したい旨を伝えると、三十分以上も待たされてから、応接室に通された。

「ごめんなさいね。昨日の今日で、とても忙しいんですの」

 緑色の瞳の他はすべてが真っ白な女が、白い部屋のなか、白いソファーに腰掛けている。

「そうですか。なら手短に済ませましょう」

 俺は向かいに腰掛ける。珈琲を薦められたが、口に運ぶつもりはない。

「助かりますわ。して、どのようなご用件で?」

「依頼は取り下げられましたが、良いように使われて終わるのはしゃくです。それに探偵は、真相を求めるものですから」

「と、云いますと?」

「仇鳴を殺したのは貴女でしょう?」

「オホホ、オホホホ……」

 白い歯を見せて、愉快そうに笑う翠。

「わたくしは、貴方と一緒に仇鳴様を追ったじゃありませんか」

「そのときには既に、仇鳴は死んでいました。交霊会の最中、角灯が割れて真っ暗になったとき、貴女は懐に忍ばせていた縄跳びのロープで、隣に立っていた仇鳴を殺したんです」

「オホホホホ……失礼、笑いすぎかしら?」

「構いませんよ。俺も勝手に話し続けますから」

 鞄から一冊の本を取り出して、机の上に置く。今朝に図書館で借りてきたものだ。

「ペルシュロンの『蒙古の神々と悪霊』です。心霊主義者なら必読の書ですよね。この中に記されている逸話『死んだラマ僧のダンス』も当然、知っているはずだ」

「あいにくと、わたくしは不勉強な会員ですの。どんな逸話なのかしら?」

 翠は本を手に取り、該当箇所を探す気もないくせにぺらぺらとめくる。

「ある満月の夜に蒙古の某僧院の僧達が集まり、巨大な輪となって並びました。その輪に沿って、ひとつの死体とひとりの僧が、僧が死体の脇の下を軽く支えた格好で回ります。そのうち、死体と僧の距離が徐々に離れていきます。僧は脇の下を支えていないばかりか、もう身体のどこも接触していませんでした。死体がひとりで歩いたというわけです」

「なるほど」

 本がぱたんと閉じられる。

「廊下に出た後、仇鳴様は死体となって歩いていた。そう云うのですね」

 原理はテーブル浮揚と変わらない。死体とは非生物――死せる物質と同じなので、霊媒が生命エネルギーを放出すると、霊がそこから生命流体としての特質を汲み取って自らのそれとミックスし、物質の霊的活性化――〈生物化〉を行うことができる。生命エネルギーは魂の衝動に従うため、こうして生気を帯びた物体は霊媒と霊の双方と繋がっており、両者は思考するだけでその操作が可能となる。

 触れずして物体を操る技術。俗に云う念動力に等しい。ただし、途轍もない才能と集中力を要するのは云わずもがなだ。そんな芸当ができる人間は限られる。

「仇鳴の死体を操作していたのは亜愛です。死体を操作していられる限界の距離を保ちながら、自分が移動するのに合わせて仇鳴のことも進めさせていました。そして都真子の部屋に到着したところで倒れさせたんです」

「では、天さんがわたくしの共犯というわけ?」

「そんな云い方は不本意ですが、まあ云い方の問題ですね。貴女は都真子をだしにして、自分の犯罪計画に亜愛を従わせたのでしょう。廃人状態となった都真子に会わせて、それから亜愛と二人きりで別室に這入った、あのときですよ」

 翠はわざとらしい相槌を打つのはやめて、カップを口につけた。その中身は珈琲ではなく、白いミルクだ。

「貴女が亜愛に指示したのは、まず無秩序に心霊現象を引き起こし、交霊会を失敗させることです。角灯の破裂は、どちらでもよかったでしょう。どうせあの時刻になれば、館内が一斉停電するようにセットしてあったんですからね。暗闇の中で仇鳴を絞殺できるよう、参加者をあの順番で並ばせるように仕向けたのも、貴女です。

 次はさっき話したとおり、混乱に乗じて仇鳴を操作し、都真子の部屋まで歩かせること。亜愛は一度通ったときに道順と、それぞれの直線の歩数を数えておいたのでしょう。仇鳴が暗闇の中で進むことができた理由も、これで分かります。

 また、仇鳴を追うのが亜愛、俺、貴女だけとなるように、貴女は峻嶺に指示して他の者は避難させましたね。さらには仇鳴が『呼ばれてる』と呟いたなんて云っていましたが、他にそれを聞いた者はいません。仇鳴があの時点で生きていたと思わせるための嘘です。

 同様の嘘を吐いた者が、もうひとりいます。仇鳴に指示されて都真子の区画に通じる扉を開けたと云った奇峰です。彼女は共犯者でしょう。扉を開けて仇鳴の死体を通しただけでなく、あらかじめ都真子の部屋の扉を開けっぱなしにしたのも彼女です。

 都真子の部屋にやって来ると、貴女は隠し持っていた縄跳びのロープを床に置きました。亜愛も手伝い、あれは俺に対して、もとから部屋に落ちていたように演出されました。いつも手袋を嵌めている貴女なので、ロープに貴女の指紋はありません。都真子の指紋は、あらかじめ一度握らせたものを使えば足ります。もっとも、この事件については、あれの指紋が採られるような真っ当な処理は為されないでしょうが」

「それでは、天さんが私達に語った内容はなんだったのかしら?」

「決まっているじゃないですか。それが貴女が彼女に指示した最後の事柄ですよ。心霊主義の理論を用いて、都真子が仇鳴を殺したという話をみなに納得させること。既存の科学が及ばない心霊現象では、ある程度のこじつけは明確に否定できません。

 しかし、廃人状態の都真子が、その魂だけはあのように複雑な犯罪を実行するだけの意識と能力を残していたとは思えないですね。自己分離、他者への憑依、ポルターガイスト、さらには物品引き寄せ。縄跳びのロープを狙って出現させるなんて、聞いたことがありません。あるいは亜愛なら可能かも知れませんが、心霊現象を使わずに済ませられる部分は、そうしたことでしょう。

 今回、都真子はなにもしていません。交霊会中、亜愛が都真子に憑依されたとして語った内容も出鱈目です。暮れの羽衣ではないですが、本物の交霊を知る亜愛は当然、それを偽ることだってできます」

 翠はまた、カップの中のミルクを啜った。

 その余裕の物腰は、いささかも崩れていない。

「はじめから、貴女が仇鳴殺害のために練り上げたシナリオだったんですよ。仇鳴が俺達に依頼をしたのも、貴女が提言したという話でした。仇鳴は貴女を信頼しているようでしたから、貴女が思いどおりに事を運ぶのに、さほど苦労はなかったはずです」

「その状態をつくり上げるまでには、苦労がありましたわ」

 カップを皿の上に置いて、翠は俺に微笑みかけた。

「なんてね。仇鳴は色仕掛けに弱いので、取り入るのは簡単でした。ところで荻尾さん、真相を知って、貴方はどうしようと云うのかしら?」

「どうもしませんよ。亜愛が手を貸しています。俺達に告発することはできませんし、貴女も同様です。貴女が云った共犯者という表現は、これについてはそのとおりですね」

「オホホ、そうでしょう?」

「ただし二つ、質問させてもらいます。そのくらいの働きはしたと思いますので」

「もちろんですわ。どうぞ、お訊ねになって?」

 微笑みを浮かべたまま、首を傾げ、両手を差し出す翠。

「都真子はこの後、どうなるんですか」

「まだ決定ではありませんが、適切な医療機関に渡します。仇鳴は彼女を秘密裏に処分するつもりでした。そうさせないことを条件に、わたくしは奇峰さんと天さんの協力を取り付けています。奇峰さんはずっと世話役を務めていましたから、葵都真子に情がわいていたんですよ。既に彼女達も犯行に手を貸したとはいえ、約束を違えば捨て身の告発に出られないとも限りませんから、わたくしは最善を尽くします」

「本当ですね?」

「まあ。怖い顔をなさらないで? 心配はいらないでしょう。霊媒として使えなくなった葵都真子は、〈死霊のハラワタ〉にとって価値がありません。彼女に行われた非人道的な開発についても、死人に口無しも同然ですから、彼女を外に出す妨げとはなりません。仇鳴が亡きいま、わたくしに反対する人間はいませんわ」

 今更の話ではある。今更、都真子が恢復かいふくするとは思えない。

 しかし必要なことだ。都真子のためにも、そして亜愛のためにも。

「二つ目の質問です。貴女はどうして仇鳴を殺したんですか? 話を聞いていても、貴女には都真子に対する思い入れはないようですが」

「あら、分からない? あんな気色の悪い男、殺さない理由がないじゃありませんか」

 茶化すような笑い声が続く。

「例の媚薬も、仇鳴が秘儀の他にどんな使い方をしていたのか、聞きたいかしら?」

「聞きたくありませんね。俺が聞きたいのはそんなことじゃない。貴女は、〈悪魔のイケニエ〉でしょう?」

「あら、どうしてそんなことを?」

「〈死霊のハラワタ〉に潜んだ〈悪魔のイケニエ〉の構成員――その親玉は〈ハラワタ〉でも重要なポストに就く人間という話でした」

「わたくしの他にも候補者はたくさんいますわ」

「〈悪魔のイケニエ〉による連続殺人は、貴女が俺達を仇鳴殺害に巻き込むために欠かせない材料となっていました」

「順序が逆ですわ。連続殺人があったから、貴方達を利用する方法を思い付いたんです」

「だとしても、結果的に上手くいったとはいえ、今回の犯罪は無理が大きかったですよ。仇鳴を殺すなら、もっと良い方法がいくらでもあったはずです」

「そうかしら? 荻尾さんも仰ったとおり、心霊現象は真相を隠すのに絶好です。そこで天さんを使うのは、それほど不自然な発想ではありません」

「この支部にいる他の霊媒を使っても、小規模な心霊現象で仇鳴殺害のシナリオを練り上げることはできるでしょう。しかし亜愛――いや、俺達を巻き込むことにこだわる連中がいる。それが〈悪魔のイケニエ〉なんです」

「証明にはなりませんわね。理屈と膏薬こうやくはどこへでもつきますわ」

 こればかりは、翠も簡単に認めようとしない。

 たしかに、俺に云えるのはここまでだ。証拠は押さえられていない。

「……お前達は〈死霊のハラワタ〉の奥にまで根を張って、なにをしようとしているんだ?」

「恐れ入りますが、わたくしはそろそろ戻らなくてはなりません」

 卓上に置いていた真っ白な時計を、翠は左手首に嵌めた。

 俺も「分かりました」と云って、『蒙古の神々と悪霊』を鞄に仕舞い、立ち上がる。

 だがきびすを返したところで、「荻尾さん」と呼び止められた。

「〈悪魔のイケニエ〉のことは知りませんけれど、わたくし達はこれからも、協力し合えるとは思えませんか?」

「どうして、そんなことを思うんです」

「だって知りたいのでしょう? 六年前、荻尾さんと天さんが組織から逃げ出して、お二人の家族は皆殺しにされたんですってね。貴方達が真に求めている真相とは、そのことなのでしょう?」

「そうですが、貴女と協力なんてしませんよ」

「オホホホ……真面目な人ね? オホホホホホホホ……」

 その黒い笑い声は耳にこびりつき、西戴天京支部を出てからも離れなかった。





【A章:ダンサー飲ザダーク】終。
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