名探偵・桜野美海子の最期

凛野冥

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3日目

4「ダイイングメッセージ」

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 僕が無花果ちゃんを連れて来て、新たな殺人現場には生き残っている全員が揃った。出雲さんだけはサロンのソファーでぐったりしているが。

 新たな殺人現場――二重扉の間にある空間は、幅・長さ共に一メートルくらいであるため、香奈美ちゃんの下半身は外にはみ出ていた。首の後ろからはナイフの刃が突き出していて、口からは柄が覗いている。どうやら喉を一突きにされたらしい。ナイフは厨房にあるものと同じだった。周囲は血まみれで、その乾き具合からも殺されたのが夜中のうちらしいとは分かる。

「そこ、気になるわね」

 杭原さんが指し示したのは壁の低い位置で、血がべったりと塗り付けられていた。飛び散っただけの痕跡とは明らかに異なる。

「香奈美ちゃんが、もがいた痕でしょうか」

 僕は見たまんまを述べた。それは横たわっている香奈美ちゃんの手が届く範囲であり、事実、彼女の掌は真っ赤だ。

「あたしの印象では違うわね。何度も左右に、まるで車のワイパーみたいな動きじゃない。こんな奇妙なもがき方をするかしら」

「じゃあ……犯人が香奈美ちゃんの手を借りてやったことですか」

「ええ、ダイイングメッセージを消すためにね」

 ダイイングメッセージ。この塗りつけられた血の下に、もとは何か文字が書かれていたのか。香奈美ちゃんがそれを残した……残そうとしたのに、犯人に気取られてしまった。

「馬鹿馬鹿しいです。血文字の一部でも残っていたならともかく、こんなもの、いくらでも解釈の余地があります」

 無花果ちゃんは付き合いきれないとばかりに云った。基本的に無表情の彼女だが、その感情の機微が段々と読み取れるようになってきた僕である。

「そうだねぇ。死の淵にある人は意味不明な行動を取るものだし。何かを掴もうとして手を壁に這わせたら、ちょうどこんな感じになるんじゃないかな」

「貴女が食いつかないとは意外ね、美海子ちゃん」

「これについては考えても仕方ないからね。それより寒くて堪らないよ」

 扉が開けっ放しなので、外気が流れ込んできていた。外は雪が降っている最中で、肌がピリピリ痛くなる極寒だ。桜野と無花果ちゃんはもう死体を見る必要はないと判断したのか、単に寒いだけか、サロンの奥へと引き返して行く。入れ替わりで足元の覚束おぼつかない出雲さんがやって来た。

「出雲さん、顔色がとても悪いですよ。無理しないでください」

「でも塚場さん、これで外に出られるじゃないですか」

 そうだった。なぜそれを真先に考えなかったのだろう。この白生塔で探偵達に囲まれ、僕の感性も異常なものへ変容してしまっていたらしい。

「駄目よ」

 杭原さんと琴乃ちゃんが立ち塞がった。

「ここで逃げるのは許さないわ」

「なに云ってるんですか。こんなに人が殺されてるんですよ!」

 これには僕も頭にきて、出雲さんの手を引いて強引に二人の間を突破した。

「少なくとも、出雲さんだけは帰してあげるべきです。彼女が犯人でないのは明らかですよね」

 香奈美ちゃんの死体を跨ぐようで申し訳ないけれど、それは仕方がない。

 僕と出雲さんは三センチくらい積もっている雪を踏み締め、車を目指した。外に出た途端に風が吹きつけ、一瞬で身体の芯まで冷えきってしまう。降雪は激しいわけではないが、遠くまでは見通せない。

「出雲さん、車の鍵は持ってますか?」

「は、はいっ。ずっとポケットに入れておりますので」

 積雪が厄介だが、車が走らないほどではない。いや、でも山道でスリップしたら危険では……。前が見えにくいのも、山道では致命的だ……。この凍てつくような寒さで頭が冷やされたせいか、段々と現実的な思考が押し寄せてくる。

 しかも僕らは、車まで辿り着いて、さらなる難題にぶつかった。

 二台ある車の両方――計八個のタイヤが潰されていた。
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