探偵・渦目摩訶子は明鏡止水

凛野冥

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【明の章:あみだくじの殺人】

3(1)「その十二時間のうちに起きたこと/上」

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 摩訶子は皆に、自室あるいは使用している客室に戻り、内側から錠を掛けて待機しているよう注文した。順番に回っていくから、そのときは質問にできるだけ正直に答えてほしいとも云い添えた。

 そうして食堂に二人きりとなったところで、まず俺の方から彼女に訊ねた。

「俺を助手に指名したのは、どういうわけだ?」

「最適だったからだよ。助手の年齢が自分よりひと回りもふた回りも上ではやりづらいだろう。たしか君は私と同い年だったな、茶花くん。森蔵から見て曾孫の代は、孫以上のそれと比べて山野部家のしがらみに囚われていないというのも大きな理由だ。今度の事件は山野部家の中に被害者がいて山野部家の中に犯人がいる。助手には、なるたけその中心から離れた立ち位置の人間が望まれる」

 流水のように淀みなく言葉が出てくる。俺はまた面食らった。彼女とはこれまで数える程度しか会話を交わしていないとはいえ……やはり別人にしか見えない。たたずまいから、強い――と云うよりも、深い――自信が伝わってくる。

「そういう意味では彩華も候補者に挙げられたが、声を発せられない娘では効率が悪い。助手に足を引っ張られては本末転倒だよ。体力的に男の君の方が頼りにもなる。この説明で納得できたかい?」

 しかも、あまりに遠慮なく物事を述べるじゃないか。悪意は感じられないが、俺はやや反感を抱いた。もっとも、それを口に出して軋轢あつれきを生もうとは思わない……それこそ足を引っ張るようなものだろう。俺はただ、助手というやつに徹することを求められている。

「それで、具体的には何をすればいいんだ?」

「安心したまえ。別段、大したことは要求しないよ。ただ、探偵には語り部的な存在がいなければならないというのが私の美学でね。古き良き探偵小説の如くだ。ワトスン役を排除したエラリィ・クイーンを私は気に入っていない。そこから云うと、山野部森蔵はとてもよく心得ていたな。君はどうだい?」

「俺?」

「うん。君も推理作家を志していると聞いたよ。どんな作風なのだろうか。偉大な曾祖父のことは意識しているのかな?」

「ああ……たしかに推理作家志望だが、まだちゃんとした作品を仕上げたことはないんだ」

「そうか。まあ、多かれ少なかれ推理小説への理解はあるのだろうから、その点でもやはり助手には君が相応しかったのだよ。さて、本題に入ろう」

 印象の修正が追いつかない。想像していたよりも饒舌だし、程良い身振り手振りを交えながら話すあたり、こうした振る舞いに慣れている観もある。落ち着きのある美人というだけでない、少々エキセントリック……それを云うなら、この歳で探偵なぞをしているという時点でだいぶ変わっているのだ。

 どうやら、渦目摩訶子とはこれが初対面とでも考えた方が良さそうである。大丈夫。風変わりな人間の相手なら、俺も多少は慣れているつもりだ。ついて行かなければならない。モタモタしていては新たな被害者が出る、いまはそういう状況なのだから。

「これまでの事件の経過を整理したい。君の口から話してくれたまえ。とりあえずは私見を排し、要領良く頼むよ。要所要所で、私から気になる点を指摘したり質問したりする。これから関係者をひとりひとり訪ねていくにあたって、欠かせない前段階だ」

 彼女は椅子ごとこちらへ向き直ると、真っ直ぐ目を合わせ、掌を差し向けた。

 俺は助手をやることを改めて決意する意味も籠めて、首を縦に振った。

「分かった。益美さんが殺されたところからだな……」



 昨夜、八時半に食堂にて夕食を済ませた一同は、就寝までの時間を各自、思い思いに過ごしていた。俺は割り当てられた客室にいたのだが、すると十時半頃、廊下から「皆、来てくれ!」という林基の声が聞こえた。彼は妻・益美が西の浴場で死亡しているのを発見したのだ。

 同室でもあった彼の証言によると、益美が浴場に向かったのは九時半過ぎだったそうだ。その直前には、入浴を済ませた秋文が二人の部屋にやって来て、浴場が空いたことを報告していた。また、益美は浴場へ向かう途中、圭太と瑞羽の客室に寄ってそれを伝えていた――このとき、二人は部屋にいたらしい。ちなみに西側のメンバーでは、入浴を終えていたのは俺と秋文だけだった。

 九時半から十時半までのアリバイについては、確固たるそれを持つ者がいない。林基と秋文と摩訶子はずっと部屋でひとりだった――秋文はお祈りを済ませると十時には就寝していたと述べている。圭太は九時五十分から十時二十分まで図書室で調べものをしていて、その間は瑞羽も部屋でひとり。俺も十時まではひとりで読書していた。

 東側のメンバーに話を移すと、まず九時半から東の浴場を使っていた彩華は、五十分頃に其処から出て、次に入ると云っていた菜摘にそれを知らせた――このとき、部屋には夫の名草もいたそうだ。それから彼女は西側の俺の客室に来た。これが十時のことであり、それから「皆、来てくれ!」の声まで俺と彼女は一緒にいた。菜摘は彩華が訪ねてきた直後に浴場へ向かい、林基が皆を呼び集めたころに丁度、洗面所で髪を乾かしていた。名草は菜摘が出て行ってひとりになったが、十時十五分に父・木葉に誘われると、娯楽室で共にビリヤードに興じていたと云う。その木葉はどうやら暇を持て余していたらしく十時頃にひとりで娯楽室に行ってダーツを投げたりしていたが、相手が欲しくなったので木葉を誘いに行ったのだという話だ。それまでの彼は部屋で妻・未春と共にいた――つまり未春の方は十時頃から部屋でひとりだったということになる。彩華以前に入浴を済ませていた史哲と稟音の夫婦は、九時半過ぎには消灯していて、十時半頃に林基がやって来るまで眠っていた。最後に、使用人のかしこは、九時前から調理室で皿洗いをしており、十時からは自室で休憩していたそうだ。

 そして死体発見の経緯だけれど、これは十時二十分に図書室から部屋に帰った圭太が瑞羽に、益美がまだ入浴中なら時間が掛かり過ぎではないかと云って、林基のところへ行った。ソファーで微睡まどろんでいた林基も圭太に云われて、一時間ほどが経過していると気付き、様子を見に浴場へ――そこで発見、というわけだったらしい。

 死体には紐状のもので首を絞められた痕があり、絞殺と思われる。凶器は見つかっていない。死亡推定時刻なんかは、素人の俺らでは分からなかった。林基が触れてみたところ冷えきっていたそうだが、シャワーから冷水を浴びせられている格好だったこともあって、判断材料としては曖昧だ。普段は入浴にせいぜい三十分程度しか掛からない益美だったと云うから、状況的に九時半過ぎから十時十分くらいまでには絞られるものの、大して条件は変わらない。



「……と、こんなところでどうだ」

「優秀だな、茶花くん。よくまとめられているよ」

 摩訶子は音を立てずに拍手の身振りをした。

「昨夜――日付は今日に変わっていたけど――皆の話を聞いて部屋に戻ってから、自分なりにまとめていたんだ」

「結構。アリバイの成り立つ者がいないというのもそのとおりだね。絞殺は上手くやれば一分ほどで済む。出血がないから後始末も必要ない。その程度の時間的余裕なら、誰しもにあった」

 俺はうなづく。あくまで可能性から論じるなら、彩華だって菜摘と名草の前に顔を見せてから俺の客室を訪れるまで余白があるし、眠っていたと云う史哲と稟音はどちらかが部屋を抜け出しても分からなかっただろう。潔白の証明には至らない。

「ところで、何か死体発見時に気になったことはあるかい?」

「うん? ……そう云えば、家系図のことを忘れていたな」

 死体の傍らに残されていたものだ。山野部家の家系図が印刷された、一枚のコピー用紙。水に濡れないようラップフィルムで覆われていた。犯人が残したと見て間違いない。

「あれの意図についてもちょっと考えてはみたが……よく分からないというのが正直な感想だ。家系図もわざわざ作成されたものらしいけど、他にメッセージは添えられてなかったし、解釈の幅が広すぎる」

「もちろん、それもこの事件の重要なファクターだ。貴重な物的証拠のひとつでもある。しかし私がここで訊ねたいのは、死体を見た皆の反応についてだよ」

「……よく憶えてないな。俺も初めて人間の死体を見て驚いていたから、周りをよく観察してはいなかった」

 摩訶子はあの時点で、冷静にそれをおこなっていたのだろうか。俺が視線で先を促すと、彼女はまた耳に心地良い口調で話し始めた。

「益美の死に最も強い反応を示したのは史哲だった。稟音もヒステリックに喚いていたが、あれは益美の死そのものを嘆き悲しんだのではない。山野部家の歴史に傷が付いたと考え激昂げっこうしたのだ。他の面々にしても多かれ少なかれ動揺はしていたものの、それらは事態に対する衝撃や混乱、そうでなければ自分の身や体面を気にしているだけと見られた。強いて云うなら未春は『お母さん』と呟いて苦しそうに胸を押さえていたがね――真っ先に益美の亡骸に駆け寄り、それを抱きかかえて涙を流したのは、夫の林基でも子の秋文と未春でもなく、史哲だったという事実。君はこれをどう捉える?」

「うーん……あまり不自然には、映らなかったかな」

 少し考えた後に、説明を加える。

「史哲さんだって長年、益美さんと同じ屋根の下で暮らしていたんだ。林基さんはあのとおり、どこか悟ったようなところがある人だし……感情を表に出さないだけで、内心では悲しんでいたんじゃないかと思う。稟音さんは悲しみよりも怒りが先に立ったんだろう。そこには益美さんを殺した者に対するそれも含まれていたはずだ」

「なるほど。君は案外、人間を健全さから理解しようとするらしいね。その優しさが私にはいささか心配だが――ここでは話を先に進めよう。さっきのように頼むよ、益美の死体発見後からだ」

 摩訶子には既に確信を抱いている考えがあって、それを隠しながら俺を試しているような節がある……とは、俺の穿うがち過ぎだろうか? 彼女の澄んだ瞳を見ていると、意識をぐううと引き寄せられ、そのまま吸い込まれてしまいそうな気がする。

 まあいい。ある意味で、試しているのはこちらも同じなのだ。その底知れない雰囲気が、ただの思わせぶりな演出ではないことを証明してもらわなければ困る。

 俺は咳払いをして、話を再開した。

「益美さんの死体はそのままにして……」
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