探偵・渦目摩訶子は明鏡止水

凛野冥

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【水の章:聖なる夜へ向けた計画】

6「くもりのない鏡と静かな水のように」

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 覇唐眞一郎の死に、俺は何も感じなかった。

 慣れてしまったのか。それとも〈活字の死〉に何かを感じられるはずがないのか。

「これも、『渦目摩訶子は明鏡止水』に書かれているとおりなのか?」

 摩訶子は「そうだ」と首肯した。

「君が今語った内容も、『渦目摩訶子は明鏡止水』に書かれているとおりに話したのか?」

 彼女は今度は応えなかった。この夜のように、静謐せいひつと佇んでいた。

 もはや寒さも感じられない。生きている心地はなく、かと云って死にゆく心地もない。

 ただ、俺のこれまでの人生とは一体、何だったのだろうかと思う。

 俺が考えていた事柄、悩んでいた事柄、喜びも悲しみも、どれほど取るに足らなかったのだろう。

 彩華に対する想いすら、この事件のために幼少期から植え付けられた設定に過ぎなかったのだろうか。少なくとも彩華はきっと、俺のことを想っていたのではない。そうと定められていただけだ。

 何もかもが偽り。だが偽も真も、おしなべて等価だと云う。きっとそうなのだろう。

「ひとつだけ、教えてくれないか」

 俺は摩訶子の横顔を見る。薄闇の中に、そのシルエットだけが浮かんでいる。

「君は最初から、『渦目摩訶子は明鏡止水』を読んでいたんじゃないのか?」

 俺はともかくとして、彼女が何も知らなかっただなんて、そんなのあり得るだろうか。

 それでいて、この事件がこのとおりに成り立っただなんて、そんなのあり得るだろうか。

 自らに与えられた台詞を知っていた者は、あえてそれとは違う言葉を話すこともできたのではないだろうか。

「茶花くん、忘れてしまったのかい?」

 彼女は俺へと顔を向けた。穏やかな微笑みを湛えていた。

「私が何の探偵だか、何度も云ってきたではないか」

「………………そうか」

 渦目――摩訶子――は――明鏡――止水――。

 そういうこと――だったのだ――はじめから――そういうこと――だったのだ――。

 ならば――何をした――ところで――すべては――定められた――とおりのこと――。

「俺はもう……疲れたよ……」

 摩訶子の頭へと手を伸ばして、カチューシャをそっと外した。

 はらりと垂れる前髪。探偵の任を解かれ、彼女本来の、自然な姿へと戻る。

 その頬に手を当てて、指先で、耳から顎にかけて、ゆっくりとなぞった。

 今宵は聖なる夜。彼女に対する愛情が、沸々と湧いて、冷えきった心と身体を温める。

「できるだけ、優しく……お願いする……」

「ああ……分かってる……」

 それから陽が昇るまで、俺と摩訶子は〈つがいの館〉で愛し合った。



 ※本作品はフィクションであり、実在の個人・団体などとは一切関係がありません。





【水の章:聖なる夜へ向けた計画】終。
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