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第4話 月光に長く棚引く追い人の影
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◆◆◆
その夜、恵比寿のオフィスビルから出た私は、慎重にあたりを見渡した。
仕事終わりの多くの人々が、駅の方向へと流れていく。
ざわめきのなかに、どこかほっとした穏やかな空気が漂っていた。
同僚と談笑しながら歩いているひと。
立ち止まってスマホをいじっているひと。
その中に、ノブオの顔が潜んでいないか、つぶさに観察する。
ノブオと付き合っていた頃、私のオフィスは品川にあった。
別れてから恵比寿に移ったので、ここにいることは知られていないと過信していた。
だけど鎌倉に現れたことで、甘い考えは捨てなきゃと思う。
オフィスだって転居したアパートだって、既にバレている可能性は十分ありうる。
駅に向かってぱたぱたと、精一杯の早足で歩いた。
途中、何度も後ろを振り返り、やつの姿が見えないか確認する。
恵比寿駅で、ちょうどホームに入って来た湘南新宿ラインに駆け込み、扉に近い吊り革を掴んだ。
改めて混み合った車内を見渡すが、それらしき顔は見当たらない。
ほっと息を吐いて、車窓に写った自分の顔を眺める。
なんだか酷く疲れきった顔をしていた。何か悪いものに取り憑かれてるような、そんな暗い表情だ。
長谷寺洞窟のあの一件以来、ずっと神経が過敏になってしまっている。
しばらく忘れていたが、かつて東京に住んでいた時に受けたストーキングの恐怖体験が、ふたたびトラウマとなって蘇っていた。
ああ、もういやだ……。
せっかく鎌倉に引っ越して、全てを忘れて新しい生活をスタートさせたのに。
倉橋さんと出会って、カメラのことを教わったり、不思議なあやかしと対決したり。
色々あるけど、ちょっと刺激的な毎日が始まったばかりだったのに。
やっと慣れてきた土地を離れて、また逃げ出さなきゃならないのだろうか。
そして、今後もずっと逃げ続けなきゃいけないんだろうか。
そんなのは、最悪だ……。
でも、どうすればいいんだろう。
考え悩んでいると、止まって開いた電車のドアの向こうから、鎌倉駅を告げるアナウンスがふと耳に入り、あわてて降りる。
ホームの階段へ向かおうとして、背後にその視線をはっきりと感じた。
恐る恐る振り返ると、流れ行く人の中に、ひとりのっそりと立ち尽くす男の姿がある。
とたんに心臓がばくばくと音を立て、呼吸が荒くなった。
逃げなきゃ。
全ての思考はストップして、そのことだけが警報のように頭に鳴り響く。
でもこのまま家に帰れば、アパートを知られてしまう。
そして毎晩、やつがドアの前にずっと無言で立っている姿に怯えて過ごすという、忌まわしい日々がふたたび始まるのだ。
私は階段を駆け下りると、江ノ電の連絡改札へ向かった。
ふっと頭の中に浮かんだのは、和田塚写真館。
とにかくそこへ行けば、なんとかなる。今はただその思いしかなかった。
その夜、恵比寿のオフィスビルから出た私は、慎重にあたりを見渡した。
仕事終わりの多くの人々が、駅の方向へと流れていく。
ざわめきのなかに、どこかほっとした穏やかな空気が漂っていた。
同僚と談笑しながら歩いているひと。
立ち止まってスマホをいじっているひと。
その中に、ノブオの顔が潜んでいないか、つぶさに観察する。
ノブオと付き合っていた頃、私のオフィスは品川にあった。
別れてから恵比寿に移ったので、ここにいることは知られていないと過信していた。
だけど鎌倉に現れたことで、甘い考えは捨てなきゃと思う。
オフィスだって転居したアパートだって、既にバレている可能性は十分ありうる。
駅に向かってぱたぱたと、精一杯の早足で歩いた。
途中、何度も後ろを振り返り、やつの姿が見えないか確認する。
恵比寿駅で、ちょうどホームに入って来た湘南新宿ラインに駆け込み、扉に近い吊り革を掴んだ。
改めて混み合った車内を見渡すが、それらしき顔は見当たらない。
ほっと息を吐いて、車窓に写った自分の顔を眺める。
なんだか酷く疲れきった顔をしていた。何か悪いものに取り憑かれてるような、そんな暗い表情だ。
長谷寺洞窟のあの一件以来、ずっと神経が過敏になってしまっている。
しばらく忘れていたが、かつて東京に住んでいた時に受けたストーキングの恐怖体験が、ふたたびトラウマとなって蘇っていた。
ああ、もういやだ……。
せっかく鎌倉に引っ越して、全てを忘れて新しい生活をスタートさせたのに。
倉橋さんと出会って、カメラのことを教わったり、不思議なあやかしと対決したり。
色々あるけど、ちょっと刺激的な毎日が始まったばかりだったのに。
やっと慣れてきた土地を離れて、また逃げ出さなきゃならないのだろうか。
そして、今後もずっと逃げ続けなきゃいけないんだろうか。
そんなのは、最悪だ……。
でも、どうすればいいんだろう。
考え悩んでいると、止まって開いた電車のドアの向こうから、鎌倉駅を告げるアナウンスがふと耳に入り、あわてて降りる。
ホームの階段へ向かおうとして、背後にその視線をはっきりと感じた。
恐る恐る振り返ると、流れ行く人の中に、ひとりのっそりと立ち尽くす男の姿がある。
とたんに心臓がばくばくと音を立て、呼吸が荒くなった。
逃げなきゃ。
全ての思考はストップして、そのことだけが警報のように頭に鳴り響く。
でもこのまま家に帰れば、アパートを知られてしまう。
そして毎晩、やつがドアの前にずっと無言で立っている姿に怯えて過ごすという、忌まわしい日々がふたたび始まるのだ。
私は階段を駆け下りると、江ノ電の連絡改札へ向かった。
ふっと頭の中に浮かんだのは、和田塚写真館。
とにかくそこへ行けば、なんとかなる。今はただその思いしかなかった。
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