灰被り姫は皇妃を歩む!

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ゴーリカ! ゴーリカ! ゴーリカ!

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 じゃーんじゃじゃじゃーん! じゃーんじゃじゃじゃーん!!


 まばゆく光を放つ宮殿の中を、喧騒けんそうが包みこむ。
 そこでは白い虎が火の輪をくぐり、二足で立つ白熊がボールをもてあそぶ。あるいはきらびやかな衣装をまとう踊り子たちが舞を披露ひろうしていた。
 翼の形をしたグースリが音を奏で、あるいは楽師がバラライカをはじく。それに合わせ少女たちが叙述詩を口ずさんでいる。
 白を基調としながらも、黄金色に輝く景色にリーナはいくどもまばたく。

(これがセーヴェルなの……?)

 故郷ザーパトでは考えられない光景に声も出ない。ただ呆然と紫の瞳があたりを見つめる。
 あまりに現実感がなく、むにっとほおをつまんだ。

「……痛い」

 けれどどうやら夢ではないのだろう。うずくほっぺをさすりながら、彼女は吐息した。
 と、冷たい風がほおをなで、数本の髪がふわりと舞う。

「……」

 ついで紫水晶のような瞳が、手すりの下を一瞥いちべつし、肩を縮ませる。
 それはまさに――絶景。
 白銀の世界が一面に広がり、まばらに街や村がいろどるながめ。山河がたたずみ、針葉樹林タイガがまるでキャンパスに描かれた絵のようだ。
 つまり……

(空に浮いている……のよね?)

 いまだ信じられないといった面持ちで、再度見返す。
 けれど、やはり宮殿は大空を飛んでいた。
 いわゆる天空の城、というものだろうか?
 なんにせよ、理解がおぼつかない。

(これが文明の差、なのかな?)

 だって今いるのは、世界に君臨する超大国が所有する宮殿なのだから。
 ゆえに、何が出てきても不思議ではないといえる。万物が集う地と呼んでも差し支えなかった。
 きらびやかな衣装に、考えもしなかっ曲芸サーカス
 豪華絢爛ごうかけんらんな建築様式に、飛空する城。とてつもない技術だと言わざるを得ない。
 でも何よりリーナを驚かせたのは、テーブルに並べられたフルコースだ。
 所狭しとひしめくごちそうの行列。
 湯気を立てる水餃子ペリメニに、小籠包ヒンカリ。あるいは甘い匂いをただよわせる串焼きシャシリク。それにふしぎな香りを放つつぼ焼きガルショーク。肉がたっぷりと入ったスープソリャンカ
 だけでなく、薫るお菓子ブリヌイが山と積まれている。
 そしてたっぷりと添えられたスメタナサワークリームが、食欲を誘う。
 かと思えば、ブドウにメロンやベリーまでが並ぶ。麦酒ピーヴァ葡萄酒ヴィノー蒸留酒コニャックまでがこちらを待っているかのよう。

「……」

 見ているだけでほっぺが落ちてきそうだ。
 ザーパトの、肉団子汁レバークネーデル・ズッペ腸詰ヴルストとは違う趣に目が輝く。ゴクリ、とのどを鳴らして。
 と――

「っ!?」

 キンキラキンの法衣が目に飛びこむ。
 おそらくは神官だろう。真っ白な髪を長くたらし、ヤギみたいなひげをたくわえた初老の男。その横に立つのは新郎。すなわちセーヴェルの皇帝だった。
 ピンと立つ先の尖った耳。天を衝く黒いタテガミ。そして突き出た口からは真っ赤な舌と、鈍く光る牙がこちらをにらむ。
 かなり長身で、しかもガッチリとした武人を連想させる体躯たいく。それに空色と琥珀こはくという色違いの眼。

(ほ、本当に皇帝陛下だったのね……)

 それ自体が、あたかも冗談のように思えて仕方がない。
 でも、これは夢でも幻でもない現実なのだ。
 ついで自身を見て、手で触れる。なめらかな布地――まとうのは真っ赤なサラファン。と青と白をあしらった頭飾りココシニク
 誰に訊ねても、満場一致で新婦と答えるだろう格好。
 だけど……

「……」

 相手は少なくとも四回目の結婚となるはず。
 そんな不安がリーナをざわつかせていく。
 まして頭が人ならざる者オオカミなのだから。

(こ、こういう時は、何か楽しいことを想像して――)

 けれどそんな思い出などあっただろうか?
 人は大抵、嫌な出来事ばかり覚えているもの。
 ためらう彼女だったが、しかし時間は決して待ってなどくれない。

「さぁ、新たな皇妃誕生の瞬間ときですぞ!!」

 しわがれた声が宮殿の中をかけていく。それは彼らにとっては始まりの、リーナからすれば終わりの鐘の音!
 直後、ざわめきが会場を包みこむ。
 男たちのけたたましい叫びがこだまし、女たちの嬌声きょうせいがひびきわたる。
 思わず耳をふさぎたくなったが、でも今は耐えるしかなかった。

「……」

 考えてみれば、ここは異国の地なのだ。故郷にもいなかったが、友人どころか知人すらおらず、言葉だっておぼつかない。
 なのに話だけが勝手に進められていく。
 と――

「っ!?」

 ぎゅむ。
 骨ばった感触がリーナの手を包みこむ。それは間違いなく、人間のものだ。
 紫の瞳が見つめたのは、ガッチリとした大きな手。よく見れば傷だらけの指。その向こうにあるのは長身で、かつ武人を思わせる体躯たいく。しかもそれは超大国を統べる皇帝のもの。それが小さく華奢きゃしゃなリーナの手にぎる。

(え、や、やだ……!?)

 なぜ、ドキドキするの、と胸を高鳴らせ、正視できない。
 頭の中が真っ白になるとは、こういうことなのだろうか?

(わたし、男の人と手をつないでる、んだよね……?)

 実の父であるミヒャエルにも、してもらったことがないことを。
 ウラジーミルにいざなわれ、彼女は赤い絨毯じゅうたんを歩いていく。

(これって、幸せなのかな?)

 古人はいう。
 幸福な形はいつも同じだが、不幸はそれぞれだ、と。
 では、幸福とは?
 ある人は言った。
 裸同然でくらし、リンゴひとつを分け合い、それを楽園だと信じこむことだ、と。
 幸せだと思いこめば、あるいは?
 ただ一つたしかなのは、リーナの進むべき道がひとつしかないことだが。
 だから、空想の中でセーヴェル人が彼女へとささやく。

 ――オオカミと暮らすなら、オオカミのように吠えろ。

 と。
 たとえ敵対的な状況だったとしても、変えられない以上そこになじむしかない。
 そして、足が止まり……

「こほん!」

 と神官の咳払いにうながされ、空色と琥珀の双眸が新婦を見つめた。

「陛下、妃殿下の指に……」

 ウラジーミルの手に指輪が光る。

(銀? ……いえ、プラチナ?)

 だけど、どうも違う。

(まさかの鉄……とか?)

 遥か古代には、金よりも価値があったというけれど。

(って、まさかね?)

 と――
 突き出た口が、指輪へと息を吹きかけた。
 直後、ふわりと宙を舞い、ぐにゃりと形を変え――

「っ!?」

 あたかも生き物のように、小さな薬指へと絡みついたのだ。

(え……!?)

 驚きからか、紫の瞳が見開きいくどもまばたく。

(な、に……これ?)

 理解を超えた現象に、頭が真っ白になってしまう。
 同時に歓声が宮殿を包みこむ。
 けれど、これで終わりではない。むしろ始まったばかり。
 神官は言った。

「これから永遠とわの愛をちかう二人は、まずこれを口にするのです!」

 しわのある手が差し出したのは、杯に注がれた透明な液体。

(こ、れ……!?)

 ツンとした刺激が鼻を突き抜け、リーナは顔をしかめる。
 でもすぐに作り笑いを浮かべ、彼女は杯に映る自分を覗きこむ。

(……お酒よね?)

 それもかなりキツイ度数の。おそらくは蒸留酒。
 ウィスキーかブランデーか?
 まさかのコニャック!?
 いや、そんなはずはない。そもそもだが、いずれも色つきだ。
 とすれば……?
 もちろん、オーデコロンではないだろう。

「酒の辛さを味わったのちに、甘い口づけを交わすのです!!」

 年季の入った顔が、ニコリと笑み厳かにささやいた。

「その際には、皆でこう投げかけるのです。酒が辛い、苦いゴーリカ・ゴーリカ、と!!」

 神官の言葉に、観衆たちは拍手し、滂沱ぼうだの涙が流れていく。うるむ無数のまなざしが、皇帝とその妃を凝視して。彼らは二人が時代を紡ぎ始める瞬間を、今か今かと待ち望んでいる。
 紫に光るうつろな瞳が、初老の神官、ついで皇帝を一瞥いちべつし息をのむ。
 もはやこうなった以上、はらをくくるしかない。
 一歩を踏み出す勇気。それが今のリーナに求められる心。
 ここで唇を重ねればどうなるだろう?
 狼男があらふしぎ、呪いが解けて美青年に!?
 だけど、それに不可欠なのはいわゆる真実の愛のはず。

(わたしには……)

「では一口――」

 彼女の思考をさえぎるように、ウラジーミルの声が耳をつんざく。
 そのせつな、幼げな瞳が釘づけとなった。

(え……!?)

 ぱっくりと開いた口。とそこからこちらを覗く真っ赤な舌と、鈍く光る牙。

(か、被り物じゃないの……?)

 あれが素顔、ととまどいを隠せない。

(いえ、きっと――)

 原理は不明だが、手品である可能性もかすかにある。
 ゴクゴクと酒を吞み干していく姿に、新婦は立ち尽くす。

「次はリーナ妃殿下ですぞ!」

 神官にうながされ、彼女はふとうつつへと戻され、杯を手に取った。

(や、やっぱり……)

 どこから見ても透明な液体。いうなら水のよう。なみなみと注がれた杯を見つめ、グッとそれをつかむ。
 それから意を決し――

 ゴキュっ!!

 リーナもまた一息のもとに呑み干したのだ。

「――!?」

 スーッとした冷たい感触がのどを通っていく。遅れて痛いような、辛い味が口の中に広がる。クラっとしためまいとともに。
 ついで観衆たちが叫ぶ。

「「「ゴーリカ! ゴーリカ! ゴーリカ!」」」

 彼らの声に背を押されながら、突き出た口と少女の唇が近づいていく。
 チュ……
 そして重なった。
 同時にぽわ~っとした銀色の光があたりをおおう。
 酔いに頭がハッキリとしない中、リーナの視界に映し出されたのは知らない青年。

(え、だ……れ?)

 銀髪に灰色の目をした、精悍せいかんな容姿。スッと通った鼻筋。無邪気そうな笑み。
 きっと酒のせいだろう。
 リーナはそう、自身へと言い聞かせた。
 何せ、自分はまだ11歳だったのだから、と。
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