バッド・ロマンス【連作短編】

七条楓華@Unsweet(アンスイート)

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ルースエンド【SIDE: ヴァレンチン】

借金取りの日常

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 その安アパートの薄暗い玄関ホールに足を踏み入れると、腐った野菜を煮詰めたような生活臭が鼻を打った。絶望と倦怠がおりみたいに降り積もっていた。
 エレベータがないので三階まで階段を上らなければならなかった。目的の部屋の扉には鍵がかかっていなかった。俺たちはノックなしで中へ入り込んだ。

「口答えするんじゃねえ、くそ売女ばいたが」

 いきなり、酒で潰れただみ声が響いた。

 室内ではタンクトップ姿の大男が、髪の長い女の口元を、バックハンドで殴りつけているところだった。
 女は悲鳴を上げて色あせたカーペットの上に倒れた。
 男は俺たちの侵入に気づかない様子で、右足を持ち上げて女を蹴ろうとした。

 俺は一瞬もためらわなかった。雇い主から支給されたばかりの銃を抜き、男の左脚を撃った。

 皮一枚かすらせただけだ。重傷を負わせるつもりはない。そんなことをしたら後が面倒だからな。
 だが男は、発情期の野良猫も真っ青の雄叫びをあげて転がった。

 俺は舌打ちせずにはいられなかった。

「ぎゃあぎゃあわめくんじゃねーよ、腰抜け野郎。大げさなんだよ」

 怪我の重さという点でいえば、口の端から血を流している女の方が重いはずだ。
 俺はずかずかと歩み寄り、まだ叫んでいる男の胸を思いきり踏みつけた。

「ユロージヴイ金融の者だ。あんたに貸した金の返済期限は先月だったはずだが、いつになったら返すつもりだ? 家で女をいじめてる暇があるなら、金策に駆け回れよ、靴底すり減らして」
「……ユロージヴイ、金融、だと!? おまえみたいなガキがか?」

 男はわめくのをやめて、驚いたように目を見開いた。
 俺はきっぱりと答えた。

「若い人間が貸金回収をやっちゃいけないって法律はねーよ。『借りた金は返す』。ガキでもわかる、単純な話だ。難しいことなんか何もない。そうだろ?」
「……」
「言っとくが、俺の銃の引金はとても軽い」

 俺は男の鼻を銃口で押し上げた。
 男が唾を飲み込んだ拍子に、その喉仏が大きく動くのが見てとれた。

「三日やるから、何とかして金を用意しろ。言い訳は一切聞かない。盗みでも強盗でも何でもやって金を作れ。もし三日後までに返済できなきゃ……俺はあんたを解体ばらして、使えそうな内臓を生体部品パーツ屋に売る。心配すんな。俺は解剖学の教育を受けてるから、あんたのパーツを一つも無駄にはしない。全部きれいに取り出して、金に換えてやる。殺してから解体するか生きてるうちに切り刻むかは、そのときの俺の気分次第だ。……わかったな?」




「おまえ、いったい何なんだ?」

 アパートの建物を出て、陽光の降り注ぐ舗道へ足を踏み出した瞬間、耐えきれなくなったようにボリスラフが叫んだ。
 俺は肩をすくめてやった。

「えーっと……取り立て界の期待の新人、かな?」

 ボリスラフは腕組みをし、「いきなり撃つか、普通? ムチャクチャだ」と口を尖らせた。

 この中年にさしかかった男は、ユロージヴイ金融の中堅社員だ。長年やくざな稼業に携わってきたせいか、死んだ魚のような目つきで、口元も永遠の不機嫌にひん曲がっている。
 ボリスラフは、新しく雇われたばかりの俺に取り立ての仕事を教えるため同行している、はずなのだが。実際のところ、教育係としては役立っていない。俺がタンクトップ男を脅している間、この男はいるのかいないのかわからないぐらい静かだった。仕事のやり方は一度も見せてもらっていない。

「銃を渡されてる、ってことは、撃ってもいいって意味だろ? 他に何に使うんだよこんな物」

 俺はうんざりしているのを隠さずに言い返した。仕事もせずに小言ばかり垂れ流す教育係なんか要らない。

 ボリスラフの「へ」の字に固定された唇がひくひくと動いた。

「……おまえ、『こういう仕事は初めて』だなんて、絶対に嘘だよな? 慣れてるよな、絶対?」
「採用面接のときに『経歴不問』って言われたぜ。あんたも人の前歴なんか知りたがるなよ」

 ――新しい街では堅気かたぎの暮らしをしよう、と誓ったはずだった。ギャングとかそういうものとは縁を切って、普通に働き、まじめで地味な生活を送ろう、と。
 だが、どこへ行っても同じだ。身分証明書(ID)がなければそもそも堅気の職には就けない。ちゃんとした事業者は、身元もわからない怪しい奴を雇ったりはしないのだ。
 [研究所]で作られた人造人間である俺には戸籍も社会保障番号もない。お手上げだ。

 金さえ出せば、「本物の」戸籍を闇で買うことができる。その金を手に入れるためには、結局、こういう堅気とはほど遠い仕事をするしかないってことだ。

 ボリスラフがようやく口をつぐんだので、俺は日光の温かさやビルの谷間に吹く春風の心地よさを存分に味わった。
 周囲は光に満ちている。人生そう捨てたものでもない、と錯覚できる瞬間だ。

 俺たちは今日の三人目の債務者の家へ向かった。
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