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第一章 出向

第8話 報せはいつも突然に

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「んで、効果は?」
「えーと、ちょいまち」

 充の言葉に、脳裏の信也はそう返す。聞こえてくるのはマウスのクリック音。検索中らしい。

「おっ、あったあった。読むぞー」
「人に渡したモンの効果ぐらい覚えとけよ……」

 数十秒後に戻ってきた彼に、充は思わず溜め息を漏らす。
 これでとんでもない地雷スキルなら、今すぐログアウトして信也を一発張り倒そう。そんなことを心に決めて、充は耳を傾けた。

「スペシャルアビリティ『ベルセルク』。効果・武器の『攻撃力』が倍増するが、防具の『防御力』は半減する。戦闘終了後、攻撃力が二十分間半減する――だとさ」
「おぉ、思ったよりシンプルだな」

 聞いてみたところそれほどトリッキーな部類のスキルでも無いようだし、使い勝手は良さそうだ。
 少なくとも、単純で脳筋な充にも上手く扱えそうに思える。

「んで、俺の武器って?」
「素手だな。ステータスん所見てみ」

 言われた通り、彼はステータス画面に目を移す。

「体力やらなんやら書いてるところ有るだろ? それが今のみつるんの能力だ」
「ほうほう」

 確かに、右端のスキル欄のすぐ下にその様なことが書いてある。

『体力・80』
『瞬発力・87』
『感覚力・50』
『魔力・30』
『闘気・88』
HPヒットポイント・75』
SPスキルポイント・68』
『装備品・無し』
『防具・ボロ布、薄い胸甲』

「……つまりこれどういうこった?」
「体力と動体視力に溢れた脳筋ってこったな。ちなみに素手での攻撃は『体力』×0.5。ここに素手格闘スキルがついてるとまた別だけどな」

 信也の説明に乗っとると、素手での俺の攻撃力は40。しかし『ベルセルク』のスキルでそれが倍増するから……

「結局80じゃねぇか」
「つまりスキルがなくても充分みつるんは狂戦士の暴走機関車ってこった」

 何故だか誇らしげに語る信也。

「俺をこんな風にしたのはお前らだからな?」
「課長、まるで哀しき怪物ですね」
「俺はフランケンシュタインか……」

 悪しきマッドサイエンティストと化した信也と、初対面でもズバズバ物怖じせず突っ込んでくる部下に挟まれ、狂戦士は頭を抱えて項垂れた。


 *


「おっと、ちょいとすまん。電話だ」

 充のステータス確認やら、所持アイテムの点検を三人で行っていたとき、ふと信也がそういって席を立つ音が聞こえた。
 あんな感じだが、一応業界最大手企業のメディカル部門の部長であり、なんなら一児の父なのだ。仕事中でも、電話はドシドシかかってくる。
 閑職に追いやられた充とは、雲泥の差なのだ。

「三浦部長、お忙しそうですね」
「流石はユメミライ三本柱の一柱。厚労省とか文科省とも付き合いあるみたいだからなぁ」

 ユメミライ、及びその中核であるユメカガク研究所は、ゲーム関連企業を含めた多くの企業、団体から多額の融資、出資、投資を受けている。
 その中には、当然日本国政府も含まれている。
 政府の掲げる計画や、新技術の独占、国際的優位を勝ち取るためなど、理由は様々あるが、一つ、一貫して当初からアピールしている点がある。
 それが、医療活用だ。
 優輝のように全盲の人間や、聴覚に異常をきたした患者、寝たきり生活を送る人々へのメディカルケアのために、フルダイブ技術を用いる。
 少なくともそう言う建前のもと、この国は至上類を見ないほどの大規模な研究投資を行ってきた。
 幼少期から充が慣れ親しんできた信也は今や、世界に大きな影響を与える存在になったのだ。

「そう言えば課長。一つ、よろしいですか?」

 信也を待っている間、優輝が充に声をかける。

「おお、どした?」

 メニュー画面から顔を上げ、彼は優輝に向き直った。

「課長って、どうしてユメカガクに合流しなかったんですか――」
「――おい二人とも、大変だ!」

 彼女がそう言い終わる前に、脳裏に焦った様子の信也が急いで戻ってそう叫ぶ。

「どうした? 何かあったか?」
「二人とも、心して聞けよ……」

 やや興奮気味で息の荒い信也はそう言ってしばし息を整え、満を持して口を開いた。


「総理大臣が、やって来る」


 *


 ――首相官邸・玄関前

「やぁ、無理言って悪いねー、大江大臣。それと、北条社長」
「いえいえ滅相もございません。総理が執務の合間を縫って、どうしてもと仰るのですから……」

 官邸前の石畳で、二人の男が談笑する。
 一人は、四角い銀のメガネをつけた中肉中背の中年男性。北条社長こと、北条繁ほうじょうしげる
 フルダイブ技術を発明した帝都大学東京キャンパス『北条研究室』の室長であり、教授であり、株式会社ユメミライ、株式会社ユメカガク研究所の社長だ。
 そして、そんな彼と向かい合うもう一方。真っ白な髪をオールバックに撫で付けた、背筋のスラッとした老紳士。日本国内閣総理大臣の、源氏朝みなもとうじとも。御年八十三歳の、至上最高齢の総理である。
 内閣の顔ぶれが目まぐるしく変化するこの国で、七十八歳の時に就任してから五年もの間、その政権を維持し続けてきた、まさに憲政の怪物。
 そんな当代屈指の強者達の固い握手を眺めながら、静は心の中で溜め息をつく。また、充達に一つ借りを作ってしまうことになるからだ。

(北条君、性格悪いからなぁ……)

 大学生の頃から、彼の事をよく知る静にとっては、とんでもなく胃が痛い案件になる。
 ……もっとも、事あるごとにお互いの胃を痛めつけ合う関係なので、お互い様なのだが。

「それではお二方、行きましょうか。ユメミライの本社へ」

 話の長い二人に、彼女は大きく咳払いをして発破をかける。

「おっと、そうですね。総理、ささ、どうぞお先に」
「これはこれは、迎え入れられる立場なのに申し訳ない……では、お言葉に甘えて」

 繁の促しに、形だけの申し訳無さを出し、国会の古狸は車に乗る。
 静と繁もその後に続き、どっこらせ、と座席に深く腰を落とした。

「向こうについたら、私が社内をご案内しましょう。丁度、うちの次男坊も居るようですから、総理にご紹介します」

 銀縁メガネをくっと上げ、繁は狸に提案する。
 やれやれこの社長、また息子に嫌われるぞ……とは、静はもちろん口に出さない。心の中で溢すだけ。性格の悪さも、存外充と似ているらしい。

「おぉー、それは嬉しいですな。息子さんのことはよく大江大臣からも聞かされていますよ……して、一つよろしいですかな?」

 がたりと小さく車体が揺れた後、車が官邸から発進する。
 蚊帳の外な静はぼーっと、車窓から見慣れた霞が関の景色を望む。

「ご長男は、何をしておられるので?」

 ピクリ。車窓に反射する繁の姿が一瞬動く。
 氏朝もそれに気付いたのだろう。咄嗟に「いや、申し訳無い。やはり今の質問はなかったことに……」と頭を下げる。
 数年に一度、有るか無いかの彼の失言。珍しいものが見えたと言う気持ちと同時に、事情を知る静の心がざわめく。
 そんな中、膠着していた繁はクスッと笑い、「いえ、大丈夫です」と前置きし、静かな声でこう言った。

「十三年も前に、死にました」

 昼下がりの都心の道を、黒い車が駆けてゆく。
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