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第一話 あまりに自然な不自然

(二)

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【下校途中】

一度それぞれ家に帰って荷物を置いてから集まろうという話になったので、まだ日の高い春の陽気の中、竜次は少し足早に帰路についていた。

家の近所 駄菓子屋 店先 茶髪 男 30代後半? ガチャガチャ 

「ぬわー!嘘だろなんでこればっかり出てくるんだ、同じの何個持ってると思ってんだよ!ありえてたまるかこんなん、ちょっとあの婆さんに文句言ってやる!」

カプセルトイの機械の前で腰を下ろして、景品を開けていた男が激高して立ち上がった時、尻のポケットから二つ折りの財布がポロリと落ちた。しかし男はよほど頭に血が上っているのか、その音には気づかずに、古びた駄菓子屋の中に入っていった。

細い道路の反対側でふと立ち止まって一部始終を見てしまった竜次は、短い逡巡の後、その財布を拾い上げ、茶髪の男に続いて駄菓子屋の中に入った。

「だーかーらー、毎日回しに来てるのにどうしておんなじモンしかでないのかって聞いてんの!もう七回連続いかれてんだよこっちは!」

「んあ?」

「都合の悪いことだけ聞こえないふりすんじゃないよ!知ってんだぞあんたが地獄耳だってのは!」

まるで小学生低学年のように騒ぎ立てるいい大人の姿がそこにあった。こうはなりたくないという見本を目の前にして、竜次は回れ右をしようとしたが、右手の財布を思い出して泣く泣く声をかけた。

「あの、すみません。これ、そこで落としましたよ。」

「ん?こっちは取り込みちゅ……」

男はイラつきながら振り向いたが、自分の財布を見た途端、吃驚して尻のポケットを手探りで確認した。

「あれっ、あはは、ホントだ。悪いね少年、助かったぜ」

男は気恥ずかしそうに財布を受け取った。

「いまどきの子にしてはいい奴じゃないか。そうだ、お礼になんか買ってやるよ、ちょっとまってな……あり?」

竜次が「いえそんな」と言って足早に立ち去ろうとしたとき、男は財布の中を見て顔を曇らせた。

「……そっか、さっきので使っちまったんだった。」

(残念すぎる。いい年してもはや不憫とか可哀そうと思えるレベルだ。)

「……あっ、これやるよこれ!」

そう言うと男はポケットから、さっきダブった商品であろうキーホルダーを自慢げに渡してきた。中身だけ。カプセルもなく中身だけ。

「……ありがとうございます。」

ぎこちなく受け取った手の平にぽとんと袋に入ったキーホルダーが落とされる。

神話・伝説の武器vol.3 『トライデント』

一見したところおもちゃのフォークみたいな形状をしていたが、よく見てみると細部まで結構こだわった装飾が施されている銛のようなものだった。確かにこれならほかの種類が気になるのも少し納得がいかなくもない。

竜次がとりあえずそれをポケットにしまうと、目の前の男は満足げな表情で頷いて、出口に歩いて行った。

「じゃあな、ちゃんと親の言うこと聞くんだぞ!」

一体どの口でそんなことを、と考えざるを得なかったが、反面教師としてはかなりの説得力があった。

「……やっといなくなったかい。さてと、カモの餌を注ぎ足しにいこうかね。」

竜次は何も聞かなかったことにして店を後にした


【滑川家】 

「ただいっ、ごはっ!」

衝撃が竜次のみぞおちあたりに走った。

玄関の扉を閉じると同時に現役ラグビー選手並みのタックルで母親が抱き着いてきたのだ。というか勢いで背中を扉に強打してるから普通に危ないし痛い。

「おかえりー!!どうだった今日の学校は?」

「別に、普通、いつも通りだよ。」

「……いつもより口角が2ミリくらい上がってる。なにかいいことあったんじゃない?もしかして女の子?」

「(なんでこうも察しが良いんだ?)」

「やだ、どうしよう息子の初彼女なんてどうお出迎えすればいいのかしら、やっぱり彼氏のお母さんとして落ち着いた雰囲気で?それとも親しみやすいように砕けたスタイルで接した方が……。」

一人で妄想シミュレーションを始めた実の母親を玄関に置き去りにして、竜次は二階にある自分の部屋に荷物を置くと、その後再び階段を下りた。その時には母の妄想がすでに孫の名前の話にまで到達していたが、とりあえずスルーしてリビングに向かう。

扉を開けると父親がソファーに座ってお茶を飲みながら新聞を読み込んでいる最中だった。

「おっ、おかえり竜次。」

「ただいま、親父今日はやけに早いんじゃないか?」

ソファーの横に大型のキャリーバックが2つ並べて置かれている。

「(そっか、明日から海外って言ってたな。)」

その通り、と言わんばかりに父はうんうんと首を縦に振った。

「あれ、親父って英語話せたっけ?」

「……Yes, we can.」

(不安でしかない。)

外国人相手にぺこぺこしまくっている一人称の分裂した父の姿が竜次には簡単に想像できた。飲み物を取りにキッチンに向かう途中で、肌色が隠しきれてない父の頭頂部が目に入る。

「親父、最近ちょっとハゲかかっ……」

「竜次、父さん涙が出るから言わないでほしい。」

「……ごめん。」

明日から海外に行かなければいけない父親の地雷を踏みかけてしまった。いや、ほとんど踏み抜いた。

(日本に帰ってきたときにでも育毛剤をプレゼントしよう。)

「竜次、とりあえず料理の方は任せたぞ。お母さんに頼むと、ほら、あれだから。」

「わかってるよ。」

滑川家では基本的に家事はそれぞれが分担して行っているが、料理は父の担当だった。物心ついてからわずか数回、母がキッチンに立ったとき、残りの二人は一週間ほどトイレから距離を置けない暮らしを強いられたのだった。

コップに注いだ水を飲んでいると、千年の妄想からついに解放された母親が入ってきた。

「パパ、竜次ったら学校で女の子といいことがあったらしいわよ。」

目を丸くした父親が興味深そうにこちらに視線を投げかけてくる。

(これは早めに逃げた方がよさそうだ。)

「竜次、女の子は難しいぞ。性格はコロコロ変わるし、何を考えているか全然わからない。お母さんだって昔は今と違って……」

父の首がさびついたロボットかのようにゆっくりと動いた。そこには黒いオーラを漂わせ、笑顔で指をボキボキ鳴らしている母の姿があった。

「違ってどうしたの、パパ?日本出る前に悲しい思い出作りたいの?」

「いえ、今も昔もこれからも、内面外面ともに申し分ないほど麗しい女性です。」

あまりにも自然な父の土下座を横目に、竜次はそそくさと扉へと向かう。

「じゃあ、俺ちょっと出かけてくるから。」

「あらっ、そうなの?もしかして噂の彼女とデート?」

「違う。」

「暗くなるまでには帰ってくるんだぞ。」

今さっき文字通りプライドを底辺に擦り付けた父が頭だけを持ち上げてそういった。メガネの奥の小さな黒目が少し心配そうにこちらを見やった。

「へいへい。」

(高校生になっても扱いはたいして変わらないもんだな。)
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