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18.闇サイト
しおりを挟む「……へぇ、これが例の闇サイトか」
最低限の調度品しかない殺風景なマンションの一室。
窓から差し込んだ月の光で手元を照らしながら——江地甚十はスマートフォンの画面を食い入るように見つめる。
視線の先にあるのは、富裕層の中でも特に権力を持つ人間が集まると言われる闇サイトだが——そのアンダーグラウンドなサイトでは、目を疑うような取引が行われていた。
「依頼者はよほど力のある人間なのか?」
おそらく問題が起きたとしても、証拠をもみ消せるだけの人間が取引しているに違いない。
そして甚十は闇サイトの中でも、高額な依頼に目を留める。
依頼とは、とある女性に危害を加えてほしいというものだった。
「……依頼主に会ってみるか」
甚十はやや緊張しながらも、サイトに名前を書き込む。
相手がどういう人間かもわからないだけに、危険ではあったが、彼女を守るには必要なことだと思った。
そんな風に突飛な行動に出た甚十だが、闇サイトを見るきっかけとなったのは、霧生の一言だった。
***
「団長を貶めたい人間がいる」
道路橋から見える川を眺めながら、霧生はそんなことを告げた。
珍しく甚十を呼び出したかと思えば、霧生はいつになく真面目な顔をしていた。
甚十は首を傾げる。
「団長に限って、そこまで恨まれるようなことはしないと思うが……どうしてそう思うんだ? 実際にそういう人間に会ったのか?」
「……実は……俺はとある人物に脅迫されて、団長を手にかけようとした」
「呆れたな。そんなこと、霧生に出来るわけがないだろう」
「ああ、つくづく実感した。団長には敵わないってことを」
何があったのか詳しく話すような奴ではないが、霧生は不穏な言葉を吐き出しながらも、どこか嬉しそうな顔をしていた。
「その顔は……惚れたのか? 団長に」
「ああ」
「全く、ライバルが多くて困ってるっていうのに、霧生もなのか」
冗談めかして言うと、霧生は苦笑する。それ以上触れてほしくないようだった。
そして霧生は話題を変えた。
「それはそうと、俺には妹がいるんだが……」
「そうなのか? その子は可愛いか?」
「甚十さんはすぐそういうことを言う……妹は難病を抱えていてな。今入院しているんだが、たまに見に行ってくれないか?」
「どういうことだ?」
「他に頼れる人がいないんだ。俺はこれからやることがあるから、しばらく姿をくらませる」
「一人で何をするつもりなんだ? なんなら、俺も手伝おうか?」
「いや、甚十さんにもやってもらいたいことがある。俺がいなくなることで、おそらくあいつは闇サイトにでも手を出すだろう。だから、団長を守ってやってくれないか?」
「闇サイト?」
「なんでも、ブルジョワがゲーム感覚で集まるサイトらしいんだが……俺を脅迫した女が楽しそうに話していた。馬鹿な女だ」
「その闇サイトで……彩弓ちゃんをどうするつもりなんだ?」
「さあな。俺のかわりになるやつを探すんじゃないか?」
「そうか……なら、今度は俺が接触してみるよ」
「妹の件といい、迷惑をかける」
「ひとつ貸しだからな」
***
団長は俺が守ると——霧生に軽い気持ちで告げた甚十だが、実際にサイトを見たところ、予想以上に危険な様子だった。
「これは彩弓ちゃんも大変だな」
彩弓には確かに好意を寄せているが、命を張れるほど好きかと問われれば、悩むところである。
まだ会って間もない上、彩弓のことを知らない分、まだ本気で好きとは言い難かった。
だが、前世で団長から受けた恩を考えれば、進むしかないだろう。
他の騎士たちも同じような気持ちだと思っていたが——霧生が本気になっているのは意外だった。
「そのうち騎士全員が恋に落ちたりしてな」
笑いながら闇サイトに入力を終えた甚十は、さっそく彩弓を狙う人間からのアプローチに応じた。
***
「……よう、甚十さん。元気にしてたか?」
「彩弓ちゃん……相変わらずオヤジくさいけど可愛いね」
とある休日の昼間。
以前から甚十さんから二人で会おうという連絡はもらっていたが、こうして本当に二人で会うのは初めてのことだった。
洒落たモノトーンのカフェで向かい合って座った私——彩弓は、さっそく甚十さんに訊ねる。
「それで甚十さん、大事な話っていうのはなんだ?」
「彩弓ちゃんは相変わらず気が早いよね」
「甚十さんが本気で私を呼びだすなんて、珍しいからな」
「それじゃあ、今までの誘いが本気じゃなかったみたいじゃないか」
「だって、そうだろう?」
「団長は……なんでもお見通しなんだね」
「エジンは真面目な話をする時、言葉数が少なくなるクセがあったからな。どうでもいい時ほど多弁になるだろう?」
「本当に、よく見てるよね」
「それで、話とはなんだ?」
「実は驚かないで聞いてほしいんだけど」
「ああ」
私が承知すると、甚十さんは咳払いをする。
「実は……団長を陥れようとする人間がいるみたいなんだ。もしかしたら命すら狙われているかもしれない」
「そうか」
「反応はそれだけ?」
「いや、これまでにさんざん狙われてきたからな。そういう輩がいるんだろうとは思っていた」
「それで、実際に団長を陥れようとしている人物に接触を試みたんだけど。結局、代理人という人にしか会えなくて、そのまま契約してきた」
「契約?」
「彩弓ちゃんを誘惑する契約」
「それはまた、面白い契約があるもんだな」
「俺も拍子抜けしたよ。殺せって言われたらどうしようかと思ったけど」
「で、私を誘惑する契約をして、どうするつもりなんだ?」
「とりあえず、彩弓ちゃんを誘惑できたらいいみたいだから、彩弓ちゃんも俺に落とされたふりをしてくれないかな?」
「なるほど……って、は!? 私が甚十さんに惚れたふりをするってことか!?」
「そうだよ。そうすれば、彩弓ちゃんも安全に生活を送れるみたいだし。相手が満足するまで、俺と付き合うふりをしてくれればいいよ」
「私と甚十さんが付き合う……それは、接吻なども含まれているのか?」
「まさか彩弓ちゃんの口からそんな積極的な言葉を聞くとは思わなかったよ」
「最近、伊利亜に怒られたんだ。自分を粗末に扱うなと」
「伊利亜は意外と紳士だね。でもまあ、無理はさせないつもりだけど」
「そうか……なら、甚十さんの提案に乗ろう」
「そんな簡単に決めていいの?」
「ああ。甚十さんが私の身を案じて言ってくれたことだからな」
「どこから話が漏れるかわからないから、騎士団のメンバーにもこの話は内緒にしてもらいたいんだけど」
「騎士団の前でもつきあっているふりをするということか?」
「そのほうがいいと思うよ」
「なるほど、わかった」
「じゃあ、決まりだね。これからよろしく、彩弓ちゃん」
「その……彩弓ちゃんというのはやめてほしいんだが」
「じゃあ、彩弓でいいかな?」
「そのほうが有難い」
「彩弓も俺のことを気軽に兄さんって呼んでよ。あ、でも恋人で兄さんはおかしいかな」
「兄さんは嫌だ」
「即答だね」
「兄貴と呼びたいくらいだ」
「やっぱり甚十でいいよ」
***
「ねぇ、見た? 今朝の彩弓さん」
「見た見た! 大学生くらいの人に車で送ってもらってたのよね!」
「そうそう、やっぱりあの噂は本当だったんだ?」
「他にも付き合ってる人がいるって噂だけど」
「やっぱりそうなんだ?」
廊下から漏れる話し声が、間近に聞こえているようだった。
音楽室に響くほど大声で喋る女子たちに、健は半ばうんざりしながら肩を竦める。
「女の子って噂が好きだよねぇ」
「同じようなことを男子も言ってたよ」
尚人が憮然とした顔で言う中、彩弓がドアを開く音とともに音楽室にやってくる。
「よう、みんな。今日も元気か?」
「ああ、彩弓。大学生と付き合ってるって本当なの? しかもその大学生って甚十さんみたいな顔してたんだけど」
健が棒読みで告げると、彩弓は目を瞬かせる。
「見てたのか?」
その言葉に答えたのは、尚人だった。
「うん。車で登校は目立つからね」
「実は昨日から……付き合っているんだ」
「へぇ、やっぱり噂は噂……——って、えええ!?」
意外な彩弓の答えに、大袈裟に驚く健の傍ら、尚人が怪訝な顔をする。
「嘘……嘘だと言ってよ、彩弓」
「本当なんだ」
「何につられたの? ケーキ? それともぬいぐるみ?」
健がうろん気な目で訊ねると、彩弓は慌てて否定する。
「何かにつられたわけじゃない。きちんと同意の上だ」
「……信じられないな。何か裏があるんじゃないの?」
尚人は信じられないというより、信じたくないようだった。
だが、彩弓は断言する。
「裏なんてない。ただ、甚十の誠意に応じただけだ」
「……そうなんだ」
切なそうに肩を落とす尚人に、健は声をかけようとしてやめる。
そして尚人が音楽室を出るのを見て、健も慌てて追いかけていった。
残された彩弓は、部屋の隅で気配を消して立っていた下級生に声をかけようとするが——。
「そうだ、伊利亜——」
最後まで言う前に、伊利亜は無言で彩弓の横を通り過ぎていった。
「なんだろう……胸がチクチクする」
とうとう一人になった彩弓は、そこからしばらく動けなかった。
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