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22.優しさのあり方
しおりを挟む嫌に静かな部屋で、甚十と伊利亜は睨み合う。
周囲には砕けたガラスが散乱していて、ぽっかり空いた窓からは風がそよそよと流れてきていた。
甚十の部屋に遊びに来た私——彩弓は、豹変した甚十に何やら服を脱がされそうになっていたわけだが。
ちょうどその時、伊利亜が乱入してきたのである。
……というか、伊利亜はどうやってこの部屋まで来たのだろう。
窓ガラスを蹴破ったのはいいが、ここ十階なんだが……。
ぐるぐるとそんなことを考えていると、なぜか伊利亜は私に説教を始めた。
「お前、どうしてもっと本気で抵抗しないんだよ!」
「……なんで伊利亜がここに?」
「そんなことはどうだっていいだろ——それより、言っただろ? 自分を粗末に扱うなと。後悔するのは団長なんだからな」
「わ、私はっ! 自分を粗末になど扱っていない!」
「霧生先輩の時といい、簡単に流されやがって」
「なな、どうして霧生先輩とのことを知っているんだ?」
「本当に団長はしょぼいやつだな」
「しょぼい団長言うな!」
「逆キレするなよ。いいか、あんたが甘い顔をするから、男はつけあがるんだ。甚十さんがこんな風になったのは、あんたのせいでもあるんだ。もっと他人との距離感を考えろよ。覚悟もないくせに相手の懐に飛び込むな」
「なんで甚十じゃなく、私が怒られるんだ! 私は何もしてないぞ!」
「しただろ、キスとか。お前は攻撃だと思っているかもしれないが、それが問題なんだよ」
「……伊利亜だってしたじゃないか」
「あれは……違う」
「何が違うんだ?」
「……俺のは攻撃だと思っていい」
「攻撃と攻撃じゃない接吻の区別がつかない。どう違うんだ?」
私が真面目に訊ねると、伊利亜は狼狽えて目を泳がせた。
だがちゃんとした答えを出さずに、伊利亜は私に背を向ける。
「あんたもあんただ! 未成年相手に何してるんだ?」
伊利亜にたしなめられて、甚十は青い顔をしていたが——そのうち、いつもの優しい顔に戻る。
甚十は頭を抱えながら、大きく息を吐いた。
「……そうだな。お前たちの話を聞いていたら、ようやく頭が冷えたよ」
そう告げた甚十は、さっきとは別人のようだった。
何が彼をそんな風にしたのだろう。私が疑問に思っていると、伊利亜が今度は優しい声で告げる。
「何があったかは知らないが、あんたにも事情があるんだろ?」
「……そうなのか? 甚十」
伊利亜の言葉に、私が目を瞬かせていると——甚十は自嘲する。
「てっきり非難されるかと思ったが、伊利亜も前世とは違うんだな。血気盛んだったあの頃とは大違いだ」
「俺のことを誰がどう思おうと勝手だが……甚十さんも自分を大事にしろよ。一歩間違えれば犯罪だぞ」
「そうだな……だが彩弓が殺されるよりマシだと思ったんだよ」
「私が殺される……?」
「ああ、先日俺に彩弓の誘惑を依頼してきた女の子が……」
事情を言いかけたその時、甚十はハッとした顔で言葉を途切る。
「どこからか、視線を感じる」
「殺意の間違いだろ」
伊利亜の言葉に、私も同意する。
「誰かが見ているな? 遠くから」
私たちがいっせいにガラスのない窓を見た瞬間、何かがキラリと光った。
「あぶない、団長!」
その声に驚いて、振り返る私だが——次の瞬間、甚十が私を突き飛ばして、そのまま静かに倒れた。
「甚十?」
「……くっ」
苦しそうに呻く甚十。
伊利亜は恐る恐る窓の外を確認する。
「――くそ、どこにいやがる」
「甚十!」
甚十の肩から流れる血を見て、ようやく我に返った私は、慌てて救急車を呼んだ。
***
——三日後。
「本当に大丈夫なのか? 甚十」
病院の個室で、私は白いベッドで横になる甚十に声をかける。
病衣を着た甚十は上半身を起こすと、まるで何もない風に笑った。
「ああ、大丈夫だよ。彩弓に怪我がなくて良かった」
「本当の本当に大丈夫なのか?」
「だから大丈夫だって……そんなに心配してくれるなんて、また期待しちゃうよ?」
とろりとした視線を送ってくる甚十に、私が目を瞬かせていると、隣から盛大なため息が聞こえた。
「懲りないやつだな」
同じく見舞いに来た伊利亜は、そう言って頭を抱えていたが——そのうち顔つきを変えて甚十に訊ねる。
「まさか狙撃されるなんて……警察には言ったのか? 闇サイトのこと」
「いや、言ってないよ。彩弓が狙われている以上、うかつに喋るのはやめたよ。それよりも割れたガラスについて説明するのが大変だったよ」
「ガラス代くらいは弁償する」
「そういう問題じゃないよ……しかもうち十階だからね。どうやってガラスを破ったんだ?」
「……普通に、屋上からぶらさがって蹴破った」
当然のように言う伊利亜に、私は思わず大きく見開く。
「お前、そんな危ないことをしたのか!?」
「仕方ないだろ。他に方法がなかったんだ。部屋を訪ねても出てこないだろうしな」
「彩弓にこんな保護者がいたら、うかつに手も出せないね」
「何が保護者だよ。俺は帰るからな」
「待て、私もそろそろ帰らないといけない」
「そうか……彩弓、ごめんね」
ぽつりと言った甚十に、私はかぶりを振る。
「気にするな。あれも私を守るためだったんだろう? 私の代わりに怪我をさせてしまって、こっちが申し訳ないくらいだ」
「君を守るためというのは、言い訳だったんだ。俺は完全に自分を見失ってた」
「私もジェットコースターを前にすると自分を見失うことがある。きっとそんな感じなんだろう?」
「確かに、団長のジェットコースター好きはひどいよね」
「元気になったら、みんなで遊園地に行こうな」
「ごめん、それはもう出来ないかもしれない」
「どうしてだ?」
「こんな俺をみんな許さないだろうから」
そう言って暗い顔をする甚十に、私が声をかける前に伊利亜が口を開く。
「甚十さんはバカだな。言わなければいいだけだろ」
「伊利亜?」
「一人で罪悪感を背負いながら遊園地に行けばいい。それが彩弓を襲ったペナルティだ」
「……年下のくせに、言うよね」
「あんたが弾丸を受けたことで、こいつを守りたいという気持ちはじゅうぶん伝わったからな」
「俺のこと、軽蔑しないんだな。本当に……騎士団はどこまで優しいんだ」
「気持ち悪いことを言うな。俺は帰る」
「あ、待て!」
病室からさっさと出て行った伊利亜を私も慌てて追いかけたのだった。
***
街灯はあっても、薄暗い住宅街。
学校帰りに寄り道したこともあって、すっかり陽も暮れていた。
私と伊利亜は無言で歩いていたが、そのうち沈黙に耐えられなくなった私が先に口を開く。
「おい伊利亜、どうして甚十の部屋でのことがわかったんだ? 私の声が聞こえたのか?」
「ああ、団長のうるっさい声は外までダダもれだったからな」
「そうか! さすが伊利亜だな」
「まさか俺の名前を呼ぶなんてな」
「騎士団で二番目に強いのが伊利亜だからな」
「一番目はお前か?」
「いや、わかってるだろ? キレた時の尚人だ」
「……あいつは強いというより、手がつけられないだけだろ」
「そうだが」
「じゃあ、尚人先輩を呼べば良かったんじゃないか?」
「いや、伊利亜を呼んで良かったと思ってる——いつもありがとうな」
「そういうことを言うから……本当にあんたはどこまでもバカだな」
「頭が悪いのは自覚しているが、バカと言うのはダメだぞ」
私が不満をもらすと、伊利亜はふと足をとめる。
そして私をまっすぐに見つめた。
「いつかあんたにも、好きな相手ができるんだろうな」
「そうだな。いつになるかはわからないが、きっとその時には大人になっているだろうな」
「まだ飲み屋の女将のことを引きずっているのか?」
「あの頃、本当に好きだったんだ」
「……そうか」
「だが、伊利亜に好きな相手ができたら、もう呼ぶことも出来ないんだろうな」
「何をいうかと思えば、そんなことを心配しているのか?」
「だが、大人になるまではまだ時間があるからな。まだしばらくは私の伊利亜だ」
「本当に、人の気も知らないで……」
「ああ、伊利亜を見ていると伊利亜ジュニアに会いたくなってきた。早く帰るぞ!」
「……俺はお前にどこまで翻弄されないといけないんだ」
「じゃあ、またな! 明日また音楽室に来るんだぞ!」
「さあな」
マンションの前で私が大きく手を振ると、伊利亜は背中を向けたまま、ひらひらと手を振った。
***
彩弓をマンションまで送ったあと、伊利亜は建物の陰に隠れるようにして、スマートフォンで通話を始めた。
「……俺です」
その声は彩弓相手とは違い、やや緊張を孕んでいる様子だった。
そして、伊利亜が声をかけて間もなく、スマートフォンの向こう側から高く落ち着いた声が響く。
『団長は無事に帰ったようだな』
「はい。問題なく送り届けました」
『いつも済まないな、こんな役ばかり押し付けて』
労いの声をかけられて、伊利亜は相手がスマートフォンにもかかわらず頭を下げてしまう。
「……いえ、自分で選んだことですから」
『団長がもっとしっかりしてくれれば、余もこんな心配をせずに済むのだが』
「……お察しします」
『団長を狙う輩がいる以上、このまま見張るしかないな』
「そうですね。団長は盗聴器の存在にも気づいていないようなので、今回のようなことがあれば、また駆けつけることは出来ます」
『頼んだぞ、グクリア……いや、伊利亜』
「陛下の御心のままに」
そう告げた伊利亜は、射殺すような目で、遠くを見つめた。
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