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24.弱音を吐いたあとに
しおりを挟む朝食をとって間もなく。
自宅にいた私——彩弓は、やることもないので、コの字型のリビングソファに寝転がっていた。
が、そこへ姉がやってきて深刻そうに告げる。
「彩弓ちゃん、学校でいったい何があったの?」
学校に行かなくなってすでに五日。最初は何も聞かずに見守ってくれていた姉も、とうとう口を出さずにはいられなくなったらしい。
のんびりスマホを見ていると、姉にスマホを取り上げられて——私は慌てて起き上がる。
「大したことじゃないから、姉さんは心配しなくていいと言っているだろう」
「しばらく学校に行かないって言うんだから、心配にもなるわよ!」
「父さんも母さんも快く承諾してくれたぞ」
「あの人たちは自由人だから、何も言わないけど……」
「大丈夫、今回の件が解決したらちゃんと言うから」
「本当に大丈夫なの? 彩弓ちゃんが解決できるようなことなの? もし助けを必要としているなら、お姉ちゃん、学校でもなんでも乗り込む覚悟があるからね!」
「いや……それだけはやめてほしい」
「とにかく、どうしても辛いことがあるなら、お姉ちゃんに真っ先に言うのよ? いいわね?」
「ああ、わかった。わかったから」
「約束よ?」
「ああ」
素直に頷いた私に、姉はスマホを返してくれた。
そこでふと、画面に映ったとある人物を見て、私は大きく見開く。
「……これは……霧生先輩?」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。姉さんは早く会社に行ってくれ」
「なるべく定時で帰ってくるからね」
「私のことはいいから、早く行ってくれ」
姉がリビングを出たあと、私はスマホ画面を食い入るように見つめる。
ニュース動画を初めから再生し直すと、医療法人の男を保険金詐欺で訴える集団が映っていた。
いわゆる集団訴訟というやつだが、弁護士やら訴訟団体がインタビューを受ける中、ひっそりと佇む霧生先輩を見て、私は目を細める。
「あいつ……突然いなくなったかと思えば、こんなところにいるとは。何をやってるんだ……」
だが画面は別のニュースに切り替わると同時に、霧生先輩の姿も見えなくなった。
***
彩弓が自宅でくつろいでいた頃、松澤ルアは大邸宅ともいえる自宅の応接室に足を踏み入れる。
応接室の窓際には、スーツを着た男性の背中があった。
「パパ、話ってなあに?」
ルアが声をかけると、初老の男性は振り返る。それと同時に、娘であるルアの目をじっと見据えた。
「どうして呼ばれたのか、わかっているだろう?」
「いいえ」
「だったら、聞くが……お前、最近私の部下を使って闇サイトで遊んでいるらしいな」
「……遊んでいるわけじゃないわ」
「よほどのことがなければ私も口出しはしないが……今は難しい時期だからな、下手な騒ぎを起こされても困るんだよ」
「わかっているわ。パパを困らせるようなことはしないから、また部下を貸してね」
「いいか? 人の命はオモチャではないんだぞ?」
「……そうね」
「罪深い行いは思わぬところで影響が出る。それをなかったことにするのは骨が折れるものだ。そんなものに時間をかけるくらいなら、もっと有意義なことに時間を使いなさい。学生の本文は勉強だろう?」
「これでも常に学年で十位以内をキープしているわ」
「お前なら、もっと上を目指せるだろう」
「そうね。でも今は、どうしても欲しいものがあるから、勉強は少しだけ待ってほしいの」
「欲しいものとは、なんだ?」
「力を誇示できるだけの犬たちよ」
「つまらないな」
「パパにだって、信頼できる右腕や左腕がいるでしょう?」
「信頼できる者を犬とは呼ばん」
「パパはロマンチストなのね。だから裏切られるのよ」
「お前はまだ子供だ」
「いいえ、大人よ。見てて、私はパパを越えてみせるから」
「……部下にはお前の遊びに付き合わないよう、伝えておく」
「どうして!?」
「私はお前が心配なんだ」
「パパの臆病者!」
「……せいぜい、自分だけの力で人を動かしてみるんだな。それができたら、いくらでも部下を貸してやろう」
「パパ!」
父親は試すように言ったあと、ルアの顔を見ないようにして部屋を出たのだった。
***
「結局、学校に来てしまった……」
私——彩弓が登校しなくなって一週間が経った頃、結局じっとすることができずに登校してしまった。
といっても、授業には参加せず、放課後に音楽室を見にきただけなのだが。
私は久しぶりの校舎をじっくりと眺めながら廊下を歩く。
まるで知らない場所に来たかのようだった。
まさか自分がこんなに寂しがり屋だったとは……自分でも驚きだった。
そして久しぶりに音楽室の前までやってくると、中から声が聞こえた。
『……ルアちゃんってけっこう面白いんだね』
これは……健の声か? 音楽室にはルアもいるのか?
どうして騎士団の集まりにルアが?
気になった私は、ドアの小窓からそっと音楽室を覗いた。
すると、中にはいつものように健や尚人や伊利亜、それにルアの姿もあった。
私はごくりと固唾をのんで、彼らを見つめた。
ルアは嬉しそうに話していた。
「——そうかしら? 私が美人なことは知ってるけど、面白いって言われたのは初めてよ。ああでも、美人といったら尚人くんには負けるし、面白いと言えば彩弓には負けるけどね。でも伊利亜くんは無駄に美人よね」
「あはは、ルアちゃんは辛辣だなぁ」
健が口を押さえながら笑うと、伊利亜はふてくされたように顔を背ける。
「大きなお世話だ」
「否定はしないんだね、伊利亜ジュニアは」
尚人が茶化すと、健も一緒になって告げる。
「この間、トイレで鏡見てたし、意外とナルシストっぽいよね、伊利亜ジュニアは」
「誰だって鏡があったら見るだろ。伊利亜ジュニア言うな」
「伊利亜ジュニアが怒った~」
健は大笑いしながら、尚人の背中に隠れた。
談笑する健たちの声を聞いて、彩弓は胸がチクりと痛んだ。
……なんだか……入りづらいな。
たった一週間で自分の居場所がなくなった気がして、彩弓は音楽室に踏み込むことができなかった。
***
「彩弓ちゃん、もう帰ってきたの?」
玄関に入ると、先に帰宅していた姉が驚いた顔で私を迎えた。
寄り道はしていないもの、何度も立ち止まってはため息をついたせいだろう。もう夜の七時をまわっていた。三十分ほどの距離を一時間で帰ってきたのだ。
「何かあったの?」
姉はお玉を持ったままリビングで訊ねてくる。
さすが私の姉である。異変があれば、すぐに気づくのは凄いところだが——ちょっと困るところでもあった。
私にだってプライベートというものがあるのだから、あまり触れてほしくないこともある。
騎士団やルアのことを思い出すと泣きそうになったが、私は何もない風を装って告げる。
「何もなかった」
「何もなかったって顔じゃないわよ?」
「ううん、何もないんだ。私にはきっと、何もない……」
「……彩弓ちゃん」
姉は何やら難しい顔をしていたが、そのうちワンピースのポケットからスマホを取り出すと、誰かと通話を始めたのだった。
***
「はあ……今日も暇だな」
その翌日も私はソファに寝転がって、ひたすらスマホを見ていた。
本当は課題を出されていたのだが、一人だとさっぱりわからないので見ないふりをしていた。
そんな時だった。
突然のインターホンの音に、私は起き上がる。
「ん? 誰だ?」
見ると、インターホンのモニターには健の姿があった。
「——おい、どうして来たんだ。来るなと言っただろ?」
マンションのエントランスを出ると、健は私を見るなり可愛い顔で笑った。
相変わらず何を考えているのかわからないやつだが、人の警戒心を解くのだけは上手かった。
「その様子だと、元気そうだね」
「ああ、私は元気だ。だから早く帰ってくれ」
私が手で追い払うような仕草をすると、健は苦笑する。
「そんなこと言わないでよ。せっかく来たんだから」
「来てくれとは言ってない」
「ひどい扱いだなぁ。僕は彩弓に会うことを楽しみにしてたんだよ」
「……お前たちには……ルアがいるだろう」
「ルアちゃん? どうしてそこでルアちゃんが出てくるの? もしかして、ルアちゃんから何か聞いた?」
「いや、そうじゃないが……音楽室に、ルアがいたから」
「もしかして彩弓、学校に来たの?」
「……ああ」
「だったら、寄っていけばよかったのに」
「私なんて……必要ないだろう」
「そんなこと言わないでよ。みんな彩弓のことを待ってるんだよ。今日だって、彩弓に会いたいから僕が来たわけで」
「……私なんて」
「こらこら、彩弓……——って、ちょっと、泣かないで」
気づくと、私は自分でも無意識のうちに涙を落としていた。
泣くつもりなんてなかったのに、どうしてだろう。
胸が痛くて、涙が溢れた。これでは騎士失格ではないか。
だが我慢しようとしても、止まらなかった。
「ぐすっ……私の居場所はどこにあるんだ」
「彩弓の居場所はいつだって、音楽室にあるんだから、そんなしょげないでよ……ね?」
健に優しく抱きしめられて、私はますます泣いてしまう。
「でも、私の代わりなんていくらでもいるような気がするんだ。前世でもそうなんだろう? 私がいなくなっても、他の人間が代わりに団長をしたように……今だって私がいなくなったらルアがいる」
「彩弓、そんなことないよ。彩弓の代わりなんていないんだから、ルアちゃんにそんな嫉妬しなくても大丈夫。ていうか、彩弓の友達だから、ルアちゃんのことも友達だと思ってるだけだよ」
「嫉妬……これは嫉妬という感情なのか?」
「彩弓は本当に素直だけど不器用だよね。もう、どうしてそんなに可愛いの……いくら僕でも、困るよ」
「私はみんなと一緒にいてもいいのか?」
「もちろんだよ。ルアちゃんだって、彩弓のことを待ってるよ」
「そうか……そうなのか。だったら嬉しいな」
「彩弓は単純なんだから」
前世で近いところにいたこともあり、健の腕は落ち着いた。
私とは違う温もりに安心しきっていると——そのうち聞き覚えのある声が響く。
「二人とも……何してるの?」
見ると、マンションから十歩ほど離れたところに尚人の姿があった。
「え? 尚人? 尚人も来たのか?」
「ヤバ……彩弓、離れて」
健が急に私から離れる。
すると、まるで毛を立てて威嚇する猫みたいな顔をして、尚人がこちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
「……どうして健が彩弓のそばにいるの? 俺には来るなって言ったのに」
怒りをにじませた声が私の耳を突く。
なんだか気まずくなった私は、言い訳のように慌てて口を開いた。
「違うんだ……健が突然来ただけで」
「彩弓、泣いてたの? どうして泣いてたの? 健に何かされたの?」
「へ? いや、健は悪くない。何もされてないし……むしろ、私の話を聞いてくれたくらいで」
「健に抱きしめて慰めてもらってたの?」
「あ……ああ」
どうしてか、顔を上げることができなかった。
嫌な空気が流れる中、尚人はぼそりと言った。
「なんか、ムカつく」
気づくと、健が殴り飛ばされていた。
私があっけにとられていると、尚人は誰に言うでもなく吐き捨てた。
「みんなみんな、彩弓とそうやって近くなって……俺だけ置いてけぼりにするんだ」
殴られた余韻で動けない健に駆け寄ると、健はふらふらと立ち上がりながら、尚人を見据えた。
「ヤバい……尚人のやつ、完全にキレてる」
振り返ると、尚人は綺麗な顔で笑っていた。
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