ふた想い

悠木全(#zen)

文字の大きさ
4 / 13

第4話 酔っ払い(叶芽)

しおりを挟む
「……ねぇ、聞いてる? 冬真とうま

「うん、聞いてるよ」

 小洒落たバーから安い居酒屋チェーン店に移動した叶芽かなめ冬真とうまは、小さなテーブルで向かい合って座ると、ひたすら呑んでいた。といっても、主に呑んでいたのは、叶芽のほうなのだが。

 しかも五杯目のビールジョッキを飲み干した叶芽は、今まで我慢していた反動か、溜まりに溜まった愚痴をこれでもかと爆発させた。
 
「……それでさ、あの教授は成績上位の生徒にはいい顔してるけど、俺みたいな普通の生徒の相手なんてしないからさ……だから俺が代返頼んだところで気にすることもないと思ってたんだよ。けど、普通の生徒っていうか、俺には厳しくてさ。代返一回につきレポート十枚書けとか言いだして……他にも同じことしている奴らはいるってのに、なぜか俺だけ課題増やしてくんの。だから俺はあの教授の単位あきらめて他の講義だけで頑張ろうと思ってたところに……変な話を……聞いて……」

「大丈夫か、叶芽? 眠いなら帰るか?」

 頭を揺らす叶芽を見て、冬真は心配そうな顔をする。だが一度出来上がった叶芽は、歯止めがきかなかった。

「うんにゃ、だいじょうぶ!」

 嬉しそうにビールを飲み干す叶芽に対して、冬真は軽くため息を吐く。言っても聞かなそうな雰囲気に諦めたのだろう。すっかり見守る姿勢になっていた。
 そしてその後も叶芽は一人で盛り上がり、次から次へと愚痴を吐いた。
 ほとんどの人間が途中で逃げ出すところだが、冬真は真面目に聞いて、頷いていた。そんな風に真摯な対応をしてくれるものだから、叶芽も必死になってしまう。

 時々、そのまっすぐな冬真の視線が熱いと叶芽は思う。おそらく、叶芽の話に同情してくれているのだろう。叶芽の愚痴を真正面から受け止めてくれる人は初めてで、叶芽は調子に乗るばかりだった。
 そうして愚痴という愚痴を話すうち、ふと冬真が口を開く。

「その単位はあきらめて正解だと思うよ」

「……え?」

 話半分で『そうだな』くらいの言葉しかくれない友人たちとは違い、至ってまともな切り返しに、叶芽は思わず言葉を途切らせた。
 不意打ちのように言葉を返されたことで、叶芽は少しだけ目が冷めるような思いをする。
 冬真はさらに告げる。

「あの教授はあまり良い噂を聞かないから……とくに女の子が、セクハラされそうになったって怒ってたんだ」

「……そうなの? やっぱりそうなんだ」

 担当教授のセクハラ話には、叶芽も身に覚えがあった。だが自分が被害者だと告げるのも恥ずかしいので、言うべきか悩んでいると、何かを察した冬真が、声を低くして尋ねた。

「叶芽も何かされたのか?」

 その怒りに燃えた冬真の目に、少しだけビクついた叶芽だが。
 酒が入っていることもあり、素直に頷いていた。

「何か……されたってほどでもないけど。教授の前でレポート書いてる間、距離感がおかしかったんだ。なんていうか、息がかかるくらい近くて」

 叶芽は教授に手を重ねられたことを思い出して、身震いしながらビールジョッキを煽った。
 だがさらにオーダーを追加しようとしたところで、冬真に止められる。

「叶芽、そろそろ止めたほうがいいよ」

「え……もっと飲みたいのに」

 叶芽が不服そうな顔をして、口を尖らせていると、冬真は少し考えて提案する。

「じゃあ……家飲みにする? い、家なら、途中で眠っても構わないし」

「冬真の家に行きたい」

「え? 俺の家?」

「だって、冬真の部屋のほうが近いだろ?」

 叶芽がもっともらしいことを言えば、冬馬が表情を消した。図々しかったかと、反省していると、冬真がゆっくりと口を開く。

「……いいよ。うちにくる?」

 冬真も少し酔っているのだろう。自分の部屋にあまり他人を入れたがらない冬真が、珍しく頷くのを見て、叶芽は気分がさらに上がって笑顔になる。
 これで少し冬真に近づけたような気がしていた。


 
 繁華街からそう遠くないデザイナーズマンションに冬真は住んでいた。周囲にコンビニも駅もある最高の立地だ。三部屋ある冬真の自宅は、焦げ茶色で統一された、シンプルながらも洒落た造りをしていた。
 広い玄関を抜けて、リビングに案内された叶芽は、部屋を見るなり感嘆の声をもらした。

「おお、綺麗な部屋だね。リビングだけでも俺んちの三倍くらいあるんじゃない?」

「三倍は言い過ぎ。伯父さんが経営してるマンションに安く住まわせてもらってるんだ」 

「いいな……俺もここに住みたい」

 叶芽が木製のテーブルセットに座ると、冬真は水のグラスを差し出した。だが叶芽はコンビニで買ったビールの缶を開ける。プシュッと泡が出た瞬間、こぼさないように舐めながら呑む叶芽に、冬真はなぜか目を逸らしながら息を吐く。
 
「じゃあ、来ればいいよ。空いてる部屋もあるから、叶芽が暮らせないことはないよ」

「本当に? 俺本気にするよ?」

「叶芽こそ、明日になったら全部忘れてるんじゃない?」

「ははは、そんなことないよ……それより、もっと呑もうよ」

「酒は呑めないんじゃなかったのか?」

 今更ながら指摘する冬真に、叶芽は不敵に笑って見せる。

「呑めないこともないこともないこともないよ!」

「その様子だと、あと一缶くらいにしたほうがいいかも」

「ええー、もっと呑みたいのに」

「明日泣くことになるよ」

「このくらい……大丈夫だし。それで、さっきの続きだけど……」

 叶芽はソファの中心を陣取ると、やはり愚痴ばかり言っていた。
 愚痴を話している間、叶芽はこれ以上もなく活き活きしていたが、冬真は相変わらず真剣な顔をして聞いていた。
 普段クールぶっている反動なのか、酒が入れば入るほどネガティブが強くなる叶芽だが、今回はそれほど暗い雰囲気でもなかった。

「俺みたいな普通の人間の将来なんて、大したことないだろうし……冬真はいいよな。ルックスは完璧だし、頭もいいし……こんな部屋に住んでるわけだし! 持ってないものなんてないんじゃない?」

 叶芽が据わった目で向かいの冬真を見つめると、テーブルを挟んで座る冬真は視線を逸らす。その頬は、うっすら赤く染まっている。

「お、俺は完璧なんかじゃないよ。持ってないものがたくさんある……」

「嘘だぁ……冬真が心底うらやましいよ。顔がいいのに、中身も男前って……そんなのアリ?」

 叶芽はテーブルに手をついて、冬真の顔を間近でのぞきこむ。
 テーブルが大きく揺れて、空き缶が落ちる中、すぐ傍から固唾を呑む音が聞こえた。

「……やっぱり部屋に連れてくるんじゃなかったかも」

 苦し気に顔を伏せる冬真に、叶芽は歯を見せて笑う。

「今更後悔しても遅いよ。今日は朝まで寝かせないからな!」

 と言いつつ、叶芽は冬真の肩に頭をすとんと落として寝息を立てる。
 テーブルに落ちそうになった叶芽を受け止めると、一瞬目を覚ました叶芽が、冬真の胸にしがみついた。

「叶芽……寝るならベッドで寝なよ」

「えへへ……冬真あったかい」

 まるで猫のように甘える叶芽に、冬真は喉を鳴らした。

「叶芽、ダメだよ。ベッドかソファに移動して」  

 震える声が聞こえた。
 だが酔っ払いの叶芽は心地よい眠りに流されてウトウトしている。冬真はかすれた声で懇願するように告げる。

「早く移動して……じゃないとキス、するよ」

「……」

 冬真の冗談に何か返そうとするもの、一度落ちてしまった瞼をあげるのは難しかった。意識を少しずつ手放そうとする中、唇に何か熱いものを感じる。

 それが冬真の唇だと知ったのは少し先の話だった。


 
 久しぶりに呑んだ翌日、叶芽は知らないベッドで目を覚ました。だがすぐに冬真のマンションだと気づいて、叶芽は冬真の姿を探した。昨日着たままの姿で廊下に出ると、ジュワッとフライパンが焼ける音がする。
 冬真はリビングのキッチンに立っているようだった。

「あ、冬真……う、気持ち悪」

 リビングに入るなり、口を手で押さえる叶芽を見て、冬真はコンロの火を消した。
 青いエプロンをつけた冬真。
 何を着ても似合うと思いながらも、叶芽は言葉を口にすることができなかった。
 そして叶芽がソファに座ると、冬真がやってくる。

「呑みすぎだよ」

「俺、そんなに呑んだ?」

「酒に弱いとか言って、よく呑んでたよ」

 呑めないというのが嘘だったにも拘らず、冬真は気分を害した風もなく、朝ごはんの代わりにスムージーを用意してくれた。
 何が入っているのかはわからないもの、健康に良さそうな緑色のスムージーを差し出す冬真を、叶芽は苦笑して見上げる。

「ありがとう」

「次はもうちょっと抑えたほうがいいよ」

「全く覚えてないんだけどね」



 ***



 それからというもの、叶芽は週に一度のペースで冬真と飲むようになった。嘘がバレたことで、開き直ったというのもあるが。どうやら冬真の前ではそれほどひどい状態にはならないらしい。一緒に呑んでも、文句ひとつ言わない冬真に甘えるようになっていた。冬真いわく、呑んでも何ごともなく眠ってしまうそうで。安心して冬真の世話になるようになっていた。

 酔っ払っている間のことはほとんど覚えていない叶芽だが、冬真が言うことなら間違いない——そう素直に信じて、呑みを重ねた。
 冬真といるのが単純に心地良かったのもあった。
 酒癖の悪さで去る友達が多い中、冬真だけが受け入れてくれたことが嬉しかった。



「今日はどこで飲む?」

「じゃあ、冬真の部屋で」

「叶芽は俺の部屋が好きだね」

「なんか安心するんだよ」

 さっそくリビングのコの字ソファで缶ビールを開ける叶芽に、冬真はごくりと喉を鳴らす。

 単純に冬真と呑めることを喜ぶ叶芽だったが。
 この時の叶芽は、冬真の目的が別のところにあることを知るはずもなかった。
しおりを挟む
感想 23

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

刺されて始まる恋もある

神山おが屑
BL
ストーカーに困るイケメン大学生城田雪人に恋人のフリを頼まれた大学生黒川月兎、そんな雪人とデートの振りして食事に行っていたらストーカーに刺されて病院送り罪悪感からか毎日お見舞いに来る雪人、罪悪感からか毎日大学でも心配してくる雪人、罪悪感からかやたら世話をしてくる雪人、まるで本当の恋人のような距離感に戸惑う月兎そんなふたりの刺されて始まる恋の話。

ビジネス婚は甘い、甘い、甘い!

ユーリ
BL
幼馴染のモデル兼俳優にビジネス婚を申し込まれた湊は承諾するけれど、結婚生活は思ったより甘くて…しかもなぜか同僚にも迫られて!? 「お前はいい加減俺に興味を持て」イケメン芸能人×ただの一般人「だって興味ないもん」ーー自分の旦那に全く興味のない湊に嫁としての自覚は芽生えるか??

君さえ笑ってくれれば最高

大根
BL
ダリオ・ジュレの悩みは1つ。「氷の貴公子」の異名を持つ婚約者、ロベルト・トンプソンがただ1度も笑顔を見せてくれないことだ。感情が顔に出やすいダリオとは対照的な彼の態度に不安を覚えたダリオは、どうにかロベルトの笑顔を引き出そうと毎週様々な作戦を仕掛けるが。 (クーデレ?溺愛美形攻め × 顔に出やすい素直平凡受け) 異世界BLです。

目標、それは

mahiro
BL
画面には、大好きな彼が今日も輝いている。それだけで幸せな気分になれるものだ。 今日も今日とて彼が歌っている曲を聴きながら大学に向かえば、友人から彼のライブがあるから一緒に行かないかと誘われ……?

君の恋人

risashy
BL
朝賀千尋(あさか ちひろ)は一番の親友である茅野怜(かやの れい)に片思いをしていた。 伝えるつもりもなかった気持ちを思い余って告げてしまった朝賀。 もう終わりだ、友達でさえいられない、と思っていたのに、茅野は「付き合おう」と答えてくれて——。 不器用な二人がすれ違いながら心を通わせていくお話。

青い月の天使~あの日の約束の旋律

夏目奈緖
BL
溺愛ドS×天然系男子 俺様副社長から愛される。古い家柄の養子に入った主人公の愛情あふれる日常を綴っています。夏樹は大学4年生。ロックバンドのボーカルをしている。パートナーの黒崎圭一の父親と養子縁組をして、黒崎家の一員になった。夏樹には心臓疾患があり、激しいステージは難しくなるかもしれないことから、いつかステージから下りることを考えて、黒崎製菓で経営者候補としての勉強をしている。夏樹は圭一とお互いの忙しさから、すれ違いが出来るのではないかと心配している。圭一は夏樹のことをフォローし、毎日の生活を営んでいる。 黒崎家には圭一の兄弟達が住んでいる。圭一の4番目の兄の一貴に親子鑑定を受けて、正式に親子にならないかと、父の隆から申し出があり、一貴の心が揺れる。親子ではなかった場合は養子縁組をする。しかし、親子ではなかった場合を受け入れられない一貴は親子鑑定に恐れを持ち、精神的に落ち込み、愛情を一身に求める子供の人格が現われる。自身も母親から愛されなかった記憶を持つ圭一は心を痛める。黒崎家に起こることと、圭一に寄り添う夏樹。繋いだ手を決して離そうとせず、歩いている。  そして、月島凰李という会社社長兼霊能者と黒崎家に滞在しているドイツ人男性、ユリウス・バーテルスとの恋の駆け引き、またユリウスと南波祐空という黒崎製菓社員兼動画配信者との恋など、夏樹の周りには数多くの人物が集まり、賑やかに暮らしている。 作品時系列:「恋人はメリーゴーランド少年だった。」→「恋人はメリーゴーランド少年だった~永遠の誓い編」→「アイアンエンジェル~あの日の旋律」→「夏椿の天使~あの日に出会った旋律」→「白い雫の天使~親愛なる人への旋律」→「上弦の月の天使~結ばれた約束の夜」→本作「青い月の天使~あの日の約束の旋律」

ガラス玉のように

イケのタコ
BL
クール美形×平凡 成績共に運動神経も平凡と、そつなくのびのびと暮らしていたスズ。そんな中突然、親の転勤が決まる。 親と一緒に外国に行くのか、それとも知人宅にで生活するのかを、どっちかを選択する事になったスズ。 とりあえず、お試しで一週間だけ知人宅にお邪魔する事になった。 圧倒されるような日本家屋に驚きつつ、なぜか知人宅には学校一番イケメンとらいわれる有名な三船がいた。 スズは三船とは会話をしたことがなく、気まずいながらも挨拶をする。しかし三船の方は傲慢な態度を取り印象は最悪。 ここで暮らして行けるのか。悩んでいると母の友人であり知人の、義宗に「三船は不器用だから長めに見てやって」と気長に判断してほしいと言われる。 三船に嫌われていては判断するもないと思うがとスズは思う。それでも優しい義宗が言った通りに気長がに気楽にしようと心がける。 しかし、スズが待ち受けているのは日常ではなく波乱。 三船との衝突。そして、この家の秘密と真実に立ち向かうことになるスズだった。

処理中です...