眠れない男

たいら

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 もう限界だ。
 夜通し眠らずに考え続けているんだ。
 北海道さんの食事のこと。北海道さんの仕事のこと。北海道さんのこれからのこと。
 本来北海道さん自身が持つべき不安が俺の方に押し寄せているとしか思えない。
「もっと強い薬をください」
「まだ眠れない?」
「はい」
 長老のような見た目の医者の前で、負け続けているボクサーのような気分で座っていた。
「もっと気絶するみたいに一瞬で眠れるのが欲しいんです」
 医者が初診以来初めて俺の顔を見て、長く白い髭を撫でた。
「幻聴が聞こえたり幻覚を見ることはないかね?」
「え?」
「睡眠不足が続くと脳や体に変調があるはずだよ」
「…………」
「昼間に強烈に眠気に襲われることは?」
「ありません」
「仕事に影響は?」
「ありません」
「おかしいな。人間は眠らないと生きていけない生き物なのに」
「…………」
「一度別の病院で診てもらったほうがいい。紹介状を書くから」
 突然やる気を出した長老のような見た目の医者が、紹介状を書いてくれた。






「おにーちゃん、はいっ、これで最後!」
「うん」
 閉店間近の二十一時、三つの弁当が重ねて入れられたビニール袋を受け取り、店の前に止めていた配達用バイクの荷台に入れた。ヘルメットを被り、店先に立つ妹に声をかけた。
「今日はもうこれで帰るから」
「うん。北海道さんによろしくね。いってらっしゃい!」
 マンションに弁当を配達し終えると、バイクに跨り、いつもとは違う場所へ向かった。
 周りの住宅とは一線を画す、苔が生えそうな湿った雰囲気の二階建てのアパート。入り口すぐに大量のチラシが散らばった郵便受けがあり、その下にはチェーンの外れた自転車が朽ち果てていた。
「北海道さん」
 一階の一室を小さくノックすると、少ない髭を伸ばした北海道さんが、ドアから顔を出した。
「何かありました?」
「まだなにも」
 中に入ると、部屋は玄関横にある小さなキッチンと、その奥は六畳の和室と押し入れのみの部屋だった。そこに寝袋が一つ置かれている。
「なんで明かりつけないんですか?」
 しかも何故か小声だ。
「やっぱり幽霊って暗くないと出てきてくれないんじゃないかと思って」
 北海道さんは畳に座ると、俺から受けとったビニール袋から、のり弁当を取り出した。
「いつも同じ弁当でよく飽きませんね」
「君の店ではこれが一番美味しいんだよ」
 北海道さんはそう言うと、ご飯の上に海苔が敷かれ、その上に揚げたちくわと白身魚のフライが乗せられたオリジナリティのかけらもない、のり弁当を食べ出した。
「外に車を止めてそこで見張っていてもいいんじゃないですか?」
 北海道さんには主に仕事で使う中古のワンボックスカーがある。
「それじゃあ中の状況が分からないよ」
「どうせ外からの侵入者ですよ」
 幽霊なんかいるわけがない。
「このアパートの持ち主によると、鍵もかけているし、この部屋には盗まれる物も何も無いし、誰かが出入りしている様子もないらしいんだ」
 北海道さんはまるで探偵のように自分の顎を指で摘みながら言った。
 その顔は探偵というよりもコメディ俳優だ。黒目がちな目が好奇心に満ち溢れている。
 北海道さんが本当に幽霊が出ると思っているのかは定かではないが、楽しんでいるのは、窓から入る路地の明かりでも十分に分かった。
 とても二十九才の大人とは思えない。
 この人が楽しそうにしているほど、俺の心配と不安は増えるんだ。
「北海道さん、俺朝までいるんで眠ってくださいね」
「え? いいの?」
「はい」
 どうせ今日も眠れないんだ。
 弁当を食べ終わった北海道さんは、まだまだ元気そうだったのに、突然眠くなったのか、両腕を上げ、今日も猫のように大きなあくびをした。
「じゃあ島根くん。お言葉に甘えて先に眠らせてもらうよ」
「はい」
 北海道さんは寝袋を使わずに、畳の上で大の字に寝転がった。
 北海道さんが俺の方を見上げて笑ったのもまた、わずかな明かりでわかった。
「おやすみ」
「はい」
 窓の外を見ると、街灯や家の明かりのおかげで路地を見渡すことができた。それに今日は月も見える。今日はこれを見ながら夜を明かすことにしよう。
 もう一度北海道さんの方を見ると、北海道さんは俺の方に笑顔を向けたまま目をつぶり、すでに寝息をかいていた。
 ……どうしてこの人は、いつもこんな風に俺の前で無防備に眠ることができるんだろう? 
 笑顔のまま眠っている北海道さんを見ていると、いっそ傷付けてやりたくなるのはどうしてなのか。
 似合わない童顔の無精髭を引っこ抜いてやりたくなる。きっと北海道さんは俺のことをそんなことさえできない人間だと思っているだろう。
 ……もっと酷いことだってしてやりたいのに。






「おかしいなぁ」
 北海道さんが古い畳の上でのり弁当を食べながら首を傾げた。
「なにがですか?」
「何日も見張っているのに何の物音もしないんだ。近所に聞き込むと物陰を見たり物音を聞いたという人がいるのに」
「北海道さんがいる気配に気がついて出てこられないとか」
「うーん。困ったな」
 幽霊がいないならいないでそれを依頼主に伝えればいいだけなのだが、北海道さんは幽霊にどうしても会いたいらしい。
 北海道さんはあぐらをかいて座りながら、俺が買ってきた水を飲んだ。顎の髭がさらに伸びて、その下の細い首が喉仏を大きく動かした。
「今日も先に寝てくださいね?」
「うん」
 コンビニで買ったケーキをビニール袋から出し、北海道さんにフォークと一緒に渡した。
 この人にとって静かな夜は眠るためのもので、眠れずにわけのわからない感情の波にさらわれてしまうことなどないのだ。俺みたいに。
「北海道さん」
 フォークで刺した苺を口に入れた北海道さんと目が合った。
「なに?」
「結婚について考えたことあります?」
「…………」
 北海道さんがフォークの先を口に含みながら目を丸くした。そして眉間に皺を寄せた。
「なんで?」
「なんとなく。最近よく考えるんです」
「僕は考えたこともないよ」
 知ってる。この人が将来のことなど何も考えていないことくらい。
「そもそも僕は恋愛をしたことがないから」
「一度も?」
「うん。一度も」
 それも知ってる。この人が誰かを愛することはないだろう。もちろん俺のことも。
 北海道さんがケーキをフォークで刺し、口に入れた。
「北海道さんはもし俺が結婚したらどうします?」
「…………」
 北海道さんは首を傾げながらケーキを咀嚼し、飲み込んだ。
「もう君のお弁当はいらないかな。なんか悪いし」
「…………」
 この人から望む答えが聞けるわけがない。期待しても意味がないんだ。俺に興味がないんだから。
 水筒から温かいコーヒーを紙コップに注いだ。
「北海道さん、どうぞ」
「うん」
 北海道さんは俺からコーヒーを受け取り、一口飲むと、またケーキを食べた。
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