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思惑
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山の麓には山崩れの難を逃れた里人たちが今も住んでいて、巫女宮のものたちを見るとにこにこしながら駆け寄ってきた。押し流されてしまった里人の家はあの後山辺彦が王の許しを得て新しく建てられ、大事に住まわれていた。
葵が夢のことを話し、そんな場所を知らないかと尋ねると、みな頷いたが、難しい顔をした。
「そこはね、危なくて入れんのじゃ」
と東の山の古老が言った。
「あの山崩れで道は塞がってしまったし、何が出るか……いや、熊だの猪だのとかいうものでなく、あの辺は、妙なもんがよう出る。草を摘みにゆくと、蛇に祟られるとかいうて……」
「蛇? 」
「さよう。この世のものとは思えん、白い蛇だそうな。祟られたものが、あの辺りには近づくな、と言いおいてすぐ死んでしまったとか」
「媛さま、どうなさいます」
采女が顔を曇らせて葵を見た。葵が、祟りがあるなら巫女として放っておくわけにはいかないと言い出しはしないかと気をもんでいるのだ。葵が首を傾げた。
「それを、巫女の宮に届け出たことはある? 」
里人のひとりが手を挙げて言った。
「もう随分前に、うちの爺さんが訴えたと言っとりました」
「巫女は誰だった? 」
「ヤエナミさまでしたな。じゃが祓い清めをしていただく前に急に巫女をおやめになられて、そのままじゃ」
「じゃ、母さまに頼んだままなの」
なぜわたしに言ってこなかったの、と葵が尋ねたが、みな顔をうつむけた。
「ヤエナミさまが病を得られたのは、我らが祓いを願うたからではないかと思うたから……」
葵が口を噤むのが、ナギから見えた。
「今こそ巫女王さまが、山に入られるときなのではありますまいか」
人々の後ろから、影のような娘がするりと割って入った。ナギは思わず眉を寄せた。ほとんど色らしいもののない、青白い頬のこの娘こそ、高嶋の話していたあの千曲だった。千曲には何の恨みもないが、先に高嶋にからかわれたことを思えばよい気はしなかった。
千曲の目がナギを捉えた。葵と同じくらい深い瞳だったが、その中に星はなかった。ナギはぞっとした。
千曲は葵に向かって言った。
「葵さま、わたくしの祖母も巫女だったことがございます。祟りのことは存じておりましたが、祖母は亡くなり、わたくしひとりでは力が及ばず……」
「では、日を改めてまた参りましょう」
ナギは千曲から葵のまなざしを奪い返した。目を合わせていると不吉なものを注ぎ込まれるようで、葵を対峙させておきたくなかったのだ。
「みなの言うように、得体の知れないものが住んでいるならば――暗くなってからでは危のうございます。然るべき備えをしてからまた伺いましょう」
采女もそれがいい、と頷いている。やはり千曲が恐ろしいらしく、葵ひとりに目を向けていた。
里人たちにも、異を唱えるものはいなかった。訴えるのをためらい、山に入るのにも不自由していただけに、葵の約束が嬉しいのだろう。
「近いうちにまた来るから、そこに近づかないようにね」
「お山へ行かれるときは、お声がけくださいまし。外れの小屋におります」
千曲はひそやかに笑うと、また影のように歩き去った。里人のひとりが身を震わせた。
「霞みたいな娘御じゃ」
「千曲は前からあった小屋に住んでいるね。無事だったということ? 」
千曲が帰った方を見ながら、葵が尋ねた。
「あの娘の小屋だけは、土をかぶらなかったのじゃ」
古老がさも恐ろしいものを語るように声を低めた。
「一緒に住んでおったばあさまは、どうしたわけか行方が分からん。巫女をしていたひとじゃったから、最後の力を振り絞って孫娘を守りなさったかと、こういうわけですじゃ」
葵が夢のことを話し、そんな場所を知らないかと尋ねると、みな頷いたが、難しい顔をした。
「そこはね、危なくて入れんのじゃ」
と東の山の古老が言った。
「あの山崩れで道は塞がってしまったし、何が出るか……いや、熊だの猪だのとかいうものでなく、あの辺は、妙なもんがよう出る。草を摘みにゆくと、蛇に祟られるとかいうて……」
「蛇? 」
「さよう。この世のものとは思えん、白い蛇だそうな。祟られたものが、あの辺りには近づくな、と言いおいてすぐ死んでしまったとか」
「媛さま、どうなさいます」
采女が顔を曇らせて葵を見た。葵が、祟りがあるなら巫女として放っておくわけにはいかないと言い出しはしないかと気をもんでいるのだ。葵が首を傾げた。
「それを、巫女の宮に届け出たことはある? 」
里人のひとりが手を挙げて言った。
「もう随分前に、うちの爺さんが訴えたと言っとりました」
「巫女は誰だった? 」
「ヤエナミさまでしたな。じゃが祓い清めをしていただく前に急に巫女をおやめになられて、そのままじゃ」
「じゃ、母さまに頼んだままなの」
なぜわたしに言ってこなかったの、と葵が尋ねたが、みな顔をうつむけた。
「ヤエナミさまが病を得られたのは、我らが祓いを願うたからではないかと思うたから……」
葵が口を噤むのが、ナギから見えた。
「今こそ巫女王さまが、山に入られるときなのではありますまいか」
人々の後ろから、影のような娘がするりと割って入った。ナギは思わず眉を寄せた。ほとんど色らしいもののない、青白い頬のこの娘こそ、高嶋の話していたあの千曲だった。千曲には何の恨みもないが、先に高嶋にからかわれたことを思えばよい気はしなかった。
千曲の目がナギを捉えた。葵と同じくらい深い瞳だったが、その中に星はなかった。ナギはぞっとした。
千曲は葵に向かって言った。
「葵さま、わたくしの祖母も巫女だったことがございます。祟りのことは存じておりましたが、祖母は亡くなり、わたくしひとりでは力が及ばず……」
「では、日を改めてまた参りましょう」
ナギは千曲から葵のまなざしを奪い返した。目を合わせていると不吉なものを注ぎ込まれるようで、葵を対峙させておきたくなかったのだ。
「みなの言うように、得体の知れないものが住んでいるならば――暗くなってからでは危のうございます。然るべき備えをしてからまた伺いましょう」
采女もそれがいい、と頷いている。やはり千曲が恐ろしいらしく、葵ひとりに目を向けていた。
里人たちにも、異を唱えるものはいなかった。訴えるのをためらい、山に入るのにも不自由していただけに、葵の約束が嬉しいのだろう。
「近いうちにまた来るから、そこに近づかないようにね」
「お山へ行かれるときは、お声がけくださいまし。外れの小屋におります」
千曲はひそやかに笑うと、また影のように歩き去った。里人のひとりが身を震わせた。
「霞みたいな娘御じゃ」
「千曲は前からあった小屋に住んでいるね。無事だったということ? 」
千曲が帰った方を見ながら、葵が尋ねた。
「あの娘の小屋だけは、土をかぶらなかったのじゃ」
古老がさも恐ろしいものを語るように声を低めた。
「一緒に住んでおったばあさまは、どうしたわけか行方が分からん。巫女をしていたひとじゃったから、最後の力を振り絞って孫娘を守りなさったかと、こういうわけですじゃ」
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