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第5章
第78話 おもしろいこと
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神歴1012年5月5日――ミレーニア大陸東部、フェリシアの町。
午後1時58分――商業区、裏路地。
(……もう来やがったのか!? クソッタレが!! クソッタレな展開だぜ、コイツはよぉ!!)
どうする?
逃げるか?
腹をくくって戦うか?
モーリスは高速で思考を巡らせた。
視線の先、数十メートル――金髪碧眼の、見知った青年が立っている。
ブレナ・ブレイク。
最凶最悪の相手だ。
(……ダメだ、戦うなんて選択は論外。ノエルがいたって勝てなかった相手だ。俺一人でどうこうできるわけがねえ。が、逃げるにしても……)
逃げ切れるか?
否、こんな脳内問答こそ時間の無駄。
逃げ切れるかどうかは問題じゃない。
逃げ切れようが逃げ切れまいが、逃げる以外の選択肢など存在しないのだ。
モーリスは、遮二無二に走った。
ブレナとは逆方向に。
スピードには自信がある。いくら奴が速くても、これだけの距離があれば、そうたやすく追いつかれはしない。逃げに徹すれば、十二眷属の自分ならば逃げ切れる。逃げ切ってみせる。
胸中で、自身に言い聞かせるようにそうつぶやくと、モーリスは最初のT字路を左に曲がった。
「兄者の予想的中。あっちじゃなくてこっちに来た」
「――――っ!?」
モーリスは、反射的に真上に飛んだ。
直後、彼の元いた場所を刃の一閃が突き抜ける。
その段になって、彼は起こった事象を理解した。
「よけられた。完璧なタイミングだったのに。レプは悔しい」
(……なんだ、このガキッ!? この場所で待ち伏せしてやがったのか!?)
少女。
モーリスの逃走経路のド真ん中に立ちふさがったのは、どこか見覚えがあるような緑髪の幼い少女。
そして、その少女との想定外のはち合わせが、彼の命運を残酷に刈り取る。
モーリス・ルランは、絶望の息を吐いた。
このロスは、致命的だ。
この一秒足らずの長大な時は、失ってはいけない虎の子のアドバンテージだった。
逃走に有利なこの入り組んだ路地も、これでただの雑多な道へと早変わる。
モーリスは目の前に降り注いだ、確かな終焉を受け入れるほかなかった。
(……クソがっ、最悪だぜ。あのうさん臭い野郎の口車に乗って、ナミの下になんぞつかなければ、こんなことにはならなかった。あのまま好き勝手に生きてりゃ……)
ピュッ!
彼の意識は、そこで途切れた。
千年の時を好き放題に生きた、モーリス・ルランの生涯が文字どおり一刀のもとに分かれて朽ちる。
◇ ◆ ◇
同日、午後2時――フェリシアの町、商業区。
露店近くのベンチ。
「どうですかー、痛くないですかー?」
「痛くないーっ、気持ちいいーっ、ルナちゃんさいこーっ♡」
セーナは、蕩《とろ》けた。
「ぐなあーっ、セーナさんズルいーっ! 五分交代って言ったのに、もう七分経ってるーっ、欲張りだーっ、ルナを返せーっ!」
「やだーっ、返さないーっ、ルナちゃんはアタシのだーっ」
「ぐなあーっ、ルナはあたしのだぁーっ! あたしの親友なんだからーっ、取っちゃダメーっ!」
「取っちゃったもんねー。ルナちゃんは、あんたの親友からアタシの親友にクラスチェンジー」
「そんなのダメ―っ! 断固拒否するーっ!! ルナーっ、戻ってきてよーっ!!」
「いえ、わたしはどこにも行ってないです。二十分近く、一歩もこの場を動いてないです。そろそろ動きたいです」
ジト目で、ルナ。
彼女はそのまま、ため息混じりにセーナの腰から手を放した。
ハッと気づいたセーナは、慌てて首から上だけをルナのほうへと差し向けた。
「だあーっ、やめないでー! もっと腰揉んでーっ! マッサージしてーっ!」
「ダメです。交代です。次は――」
「やったーっ、あたしの番だーっ、セーナさん、どいてーっ」
「えーっ、マジでー? まだ三分くらいしか経ってなくない?」
「七分経ってるよ! 二分もオーバーしてるー! はやく代わってー!」
「んもぅ、しょうがないなぁ……」
がっかりと一息吐いて、セーナはベンチを立ち上がった。
と、入れ替わるようにして、その場所にアリスが納まる。
ルナの両目は、さらにジトリと細まった。
「……なにしてるんですか、アリスさん」
「なにって、ベンチにうつぶせになってるんだよ。ルナのマッサージ受けるために。次はあたしの番だからね」
「なに言ってるんですか? アリスさんは最初にやったじゃないですか。次はトッドくんの番です」
「えーっ、なんでー! なんで一回でおしまいなのーっ! なんでなんでー! もう一回、マッサージしてよー!」
「……駄々っ子ですか。トッドくんの番が終わったら、もう一回してあげますよ。でも、トッドくんが先です。ホントは一番最初にやってあげたかったんだから。朝からずっと歩きっぱなしだったのに、何も文句を言わないトッドくんはエラいです。この中で一番大人です」
「そんなことないー! あたしのほうが大人だー! 十一歳もあたしのほうが年上だーっ!」
勢いよくベンチを立ち上がり、さらにはその勢いのままにいつものようにグーにした両手もバッと頭上に振り上げ、アリスが抗議の声を張り上げる。
その様を見て、セーナはハタと我に返った。
これはいけない。
危うく、あれと同じレベルまで落ちるところだった。
彼女は気持ちを切り替えるようにコホンと一息吐くと、少し離れた位置でしゃがみこんでいたトッドに近づき、
「ほらトッド、こっちおいで。ルナお姉ちゃんがマッサージしてくれるってさ。してもらいな。疲れ取れるから」
「…………」
返事がない。
セーナは、トッドの顔を覗き込んだ。
「トッド? どした?」
「…………」
色のない瞳。
ただ、その瞳をまっすぐに下方向へと向けて。
トッドは何かに取り憑かれたように、木の枝を使って一心不乱に土の地面に不思議な文様を描いていた。
不思議な文様。
この時点では、それは不思議な文様以外の何物でもなかった。
この時点では――。
クライマックスの胎動は、このときすでに始まっていた。
◇ ◆ ◇
同日、午後3時37分――フェリシアの町、旧商業区。
武器屋跡、地下室。
「遅いなー、モーリス」
高さ五十センチほどの木箱にちょこんと腰掛け、サラは退屈そうにつぶやいた。
あれからもう、二時間近くが経つ。
時間にルーズなモーリスだが、あの状況下で別れて、そのまま二時間近くも音沙汰なしはありえない。
三十分が過ぎた段階で、サラはいろいろと察した。
察したが、せめて二時間は待っていてあげようとラインを定めた。
一人ではないし、それほど退屈はしないだろうと思っての判断である。
「……遅いね」
ボソリと、女がつぶやく。
黒髪黒目。
自分とまったく同じ特徴を持つ、数少ない(元から少ないのに、最近さらに少なくなった)同胞の一人。
その同胞――ノエル・ランに視線を移して、サラは軽い口調で言った。
「やられちゃったかなー、これ」
「……やられちゃったかも」
さっきとまったく同じ、抑揚のないトーンでノエルが応じる。
サラは、ため息混じりにこくりと頷いた。
「はぁーあ、ザンネン。殺られる前に、ちゃんとあのコのことは殺ったのかなー?」
「……どうかな? 確かめてくる?」
「いいよ、ボクが行く。ノエルが行って、もしブレナに感づかれたら派手なバトルになっちゃうからね。ボクなら通行人を装って、確認だけしてすぐ戻ってこれるし」
「了解。じゃあ、サラサラにお願いするね」
「あーい。じゃあ、あと五分だけ待ったら――あっ、そうだ。それはそうと……」
気軽に応じ、でもサラは中途であることに思い至って、続ける言葉を急遽変えた。
「ノエル、ラドンの村って知ってる?」
「知ってる。ティレーネ山のふもとにある、小さな山村。片手で数えられるくらいしかヒト住んでないけど、みんな好いヒトたち」
「うんうん、そうそう。そんでさ、そこでボク、おもしろいことやろうと思ってるんだよねー。てゆーか、今さっき思ったんだけど」
「おもしろいこと? 牛乳口に含んで、噴き出しちゃったら負けの大会?」
「あーうん、そーゆんじゃない。爆笑させる、とかのおもしろいじゃなくて、ボクの変身能力を使って……あー、うー、んと……」
どう説明すればいいのだろう?
サラは虚空を見やって三秒考えると、 やがてあきらめたように視線を戻した。
言う。
「まあとにかく、おもしろいこと。ナミ様とかも誘って盛大にやる予定だから、暇を作ってノエルも来てよ。日取りが決まったら、改めて連絡するから」
「了解。エブリデイホリデーだから絶対行く」
ほんのちょっぴり声のトーンを楽しげに高めて、ノエル。
サラは満足げに頷いた。
おもしろいこと。
ああ、最高におもしろい催しだ。
きっと大盛況となるだろう。
こらえきれずにクスリと笑うと、サラ・サーラは胸中で確信の言葉をつぶやいた。
――楽しめて、目的も果たせる最高のイベント。ひょっとしたら、ついでにブレナの首まで取れちゃうかもね。
午後1時58分――商業区、裏路地。
(……もう来やがったのか!? クソッタレが!! クソッタレな展開だぜ、コイツはよぉ!!)
どうする?
逃げるか?
腹をくくって戦うか?
モーリスは高速で思考を巡らせた。
視線の先、数十メートル――金髪碧眼の、見知った青年が立っている。
ブレナ・ブレイク。
最凶最悪の相手だ。
(……ダメだ、戦うなんて選択は論外。ノエルがいたって勝てなかった相手だ。俺一人でどうこうできるわけがねえ。が、逃げるにしても……)
逃げ切れるか?
否、こんな脳内問答こそ時間の無駄。
逃げ切れるかどうかは問題じゃない。
逃げ切れようが逃げ切れまいが、逃げる以外の選択肢など存在しないのだ。
モーリスは、遮二無二に走った。
ブレナとは逆方向に。
スピードには自信がある。いくら奴が速くても、これだけの距離があれば、そうたやすく追いつかれはしない。逃げに徹すれば、十二眷属の自分ならば逃げ切れる。逃げ切ってみせる。
胸中で、自身に言い聞かせるようにそうつぶやくと、モーリスは最初のT字路を左に曲がった。
「兄者の予想的中。あっちじゃなくてこっちに来た」
「――――っ!?」
モーリスは、反射的に真上に飛んだ。
直後、彼の元いた場所を刃の一閃が突き抜ける。
その段になって、彼は起こった事象を理解した。
「よけられた。完璧なタイミングだったのに。レプは悔しい」
(……なんだ、このガキッ!? この場所で待ち伏せしてやがったのか!?)
少女。
モーリスの逃走経路のド真ん中に立ちふさがったのは、どこか見覚えがあるような緑髪の幼い少女。
そして、その少女との想定外のはち合わせが、彼の命運を残酷に刈り取る。
モーリス・ルランは、絶望の息を吐いた。
このロスは、致命的だ。
この一秒足らずの長大な時は、失ってはいけない虎の子のアドバンテージだった。
逃走に有利なこの入り組んだ路地も、これでただの雑多な道へと早変わる。
モーリスは目の前に降り注いだ、確かな終焉を受け入れるほかなかった。
(……クソがっ、最悪だぜ。あのうさん臭い野郎の口車に乗って、ナミの下になんぞつかなければ、こんなことにはならなかった。あのまま好き勝手に生きてりゃ……)
ピュッ!
彼の意識は、そこで途切れた。
千年の時を好き放題に生きた、モーリス・ルランの生涯が文字どおり一刀のもとに分かれて朽ちる。
◇ ◆ ◇
同日、午後2時――フェリシアの町、商業区。
露店近くのベンチ。
「どうですかー、痛くないですかー?」
「痛くないーっ、気持ちいいーっ、ルナちゃんさいこーっ♡」
セーナは、蕩《とろ》けた。
「ぐなあーっ、セーナさんズルいーっ! 五分交代って言ったのに、もう七分経ってるーっ、欲張りだーっ、ルナを返せーっ!」
「やだーっ、返さないーっ、ルナちゃんはアタシのだーっ」
「ぐなあーっ、ルナはあたしのだぁーっ! あたしの親友なんだからーっ、取っちゃダメーっ!」
「取っちゃったもんねー。ルナちゃんは、あんたの親友からアタシの親友にクラスチェンジー」
「そんなのダメ―っ! 断固拒否するーっ!! ルナーっ、戻ってきてよーっ!!」
「いえ、わたしはどこにも行ってないです。二十分近く、一歩もこの場を動いてないです。そろそろ動きたいです」
ジト目で、ルナ。
彼女はそのまま、ため息混じりにセーナの腰から手を放した。
ハッと気づいたセーナは、慌てて首から上だけをルナのほうへと差し向けた。
「だあーっ、やめないでー! もっと腰揉んでーっ! マッサージしてーっ!」
「ダメです。交代です。次は――」
「やったーっ、あたしの番だーっ、セーナさん、どいてーっ」
「えーっ、マジでー? まだ三分くらいしか経ってなくない?」
「七分経ってるよ! 二分もオーバーしてるー! はやく代わってー!」
「んもぅ、しょうがないなぁ……」
がっかりと一息吐いて、セーナはベンチを立ち上がった。
と、入れ替わるようにして、その場所にアリスが納まる。
ルナの両目は、さらにジトリと細まった。
「……なにしてるんですか、アリスさん」
「なにって、ベンチにうつぶせになってるんだよ。ルナのマッサージ受けるために。次はあたしの番だからね」
「なに言ってるんですか? アリスさんは最初にやったじゃないですか。次はトッドくんの番です」
「えーっ、なんでー! なんで一回でおしまいなのーっ! なんでなんでー! もう一回、マッサージしてよー!」
「……駄々っ子ですか。トッドくんの番が終わったら、もう一回してあげますよ。でも、トッドくんが先です。ホントは一番最初にやってあげたかったんだから。朝からずっと歩きっぱなしだったのに、何も文句を言わないトッドくんはエラいです。この中で一番大人です」
「そんなことないー! あたしのほうが大人だー! 十一歳もあたしのほうが年上だーっ!」
勢いよくベンチを立ち上がり、さらにはその勢いのままにいつものようにグーにした両手もバッと頭上に振り上げ、アリスが抗議の声を張り上げる。
その様を見て、セーナはハタと我に返った。
これはいけない。
危うく、あれと同じレベルまで落ちるところだった。
彼女は気持ちを切り替えるようにコホンと一息吐くと、少し離れた位置でしゃがみこんでいたトッドに近づき、
「ほらトッド、こっちおいで。ルナお姉ちゃんがマッサージしてくれるってさ。してもらいな。疲れ取れるから」
「…………」
返事がない。
セーナは、トッドの顔を覗き込んだ。
「トッド? どした?」
「…………」
色のない瞳。
ただ、その瞳をまっすぐに下方向へと向けて。
トッドは何かに取り憑かれたように、木の枝を使って一心不乱に土の地面に不思議な文様を描いていた。
不思議な文様。
この時点では、それは不思議な文様以外の何物でもなかった。
この時点では――。
クライマックスの胎動は、このときすでに始まっていた。
◇ ◆ ◇
同日、午後3時37分――フェリシアの町、旧商業区。
武器屋跡、地下室。
「遅いなー、モーリス」
高さ五十センチほどの木箱にちょこんと腰掛け、サラは退屈そうにつぶやいた。
あれからもう、二時間近くが経つ。
時間にルーズなモーリスだが、あの状況下で別れて、そのまま二時間近くも音沙汰なしはありえない。
三十分が過ぎた段階で、サラはいろいろと察した。
察したが、せめて二時間は待っていてあげようとラインを定めた。
一人ではないし、それほど退屈はしないだろうと思っての判断である。
「……遅いね」
ボソリと、女がつぶやく。
黒髪黒目。
自分とまったく同じ特徴を持つ、数少ない(元から少ないのに、最近さらに少なくなった)同胞の一人。
その同胞――ノエル・ランに視線を移して、サラは軽い口調で言った。
「やられちゃったかなー、これ」
「……やられちゃったかも」
さっきとまったく同じ、抑揚のないトーンでノエルが応じる。
サラは、ため息混じりにこくりと頷いた。
「はぁーあ、ザンネン。殺られる前に、ちゃんとあのコのことは殺ったのかなー?」
「……どうかな? 確かめてくる?」
「いいよ、ボクが行く。ノエルが行って、もしブレナに感づかれたら派手なバトルになっちゃうからね。ボクなら通行人を装って、確認だけしてすぐ戻ってこれるし」
「了解。じゃあ、サラサラにお願いするね」
「あーい。じゃあ、あと五分だけ待ったら――あっ、そうだ。それはそうと……」
気軽に応じ、でもサラは中途であることに思い至って、続ける言葉を急遽変えた。
「ノエル、ラドンの村って知ってる?」
「知ってる。ティレーネ山のふもとにある、小さな山村。片手で数えられるくらいしかヒト住んでないけど、みんな好いヒトたち」
「うんうん、そうそう。そんでさ、そこでボク、おもしろいことやろうと思ってるんだよねー。てゆーか、今さっき思ったんだけど」
「おもしろいこと? 牛乳口に含んで、噴き出しちゃったら負けの大会?」
「あーうん、そーゆんじゃない。爆笑させる、とかのおもしろいじゃなくて、ボクの変身能力を使って……あー、うー、んと……」
どう説明すればいいのだろう?
サラは虚空を見やって三秒考えると、 やがてあきらめたように視線を戻した。
言う。
「まあとにかく、おもしろいこと。ナミ様とかも誘って盛大にやる予定だから、暇を作ってノエルも来てよ。日取りが決まったら、改めて連絡するから」
「了解。エブリデイホリデーだから絶対行く」
ほんのちょっぴり声のトーンを楽しげに高めて、ノエル。
サラは満足げに頷いた。
おもしろいこと。
ああ、最高におもしろい催しだ。
きっと大盛況となるだろう。
こらえきれずにクスリと笑うと、サラ・サーラは胸中で確信の言葉をつぶやいた。
――楽しめて、目的も果たせる最高のイベント。ひょっとしたら、ついでにブレナの首まで取れちゃうかもね。
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