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サースティールート

凪いだ海のようにの日(◆サースside)

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 例えば彼女に出会わなかったならば、俺はきっと、考えることもなかったのだろう。
 ずっと、逃げてきた、考えないようにしてきた、それは突き詰めてしまえばとても単純なもの。

 ――俺という人間について知ることだ。





 思えば、ヒントは幼少期から山のように明示されていたのだ。


 なぜ俺一人が、膨大な魔力を保持しているのか。
 なぜ親族とはいえ、王宮の塔で育ててくれたのか。
 なぜ家族は疎みながらも、明確な拒絶を向けて来なかったのか。
 なぜ学園は、他生徒を怪我させた俺を隔離することもなく置き続けたのか。
 なぜ俺は、一介の学生であるのに容易く研究室を与えられたのか。
 なぜ実績もほとんどない俺が、魔法院で好待遇なのか。


 なぜ……と、考えれば考えるほど疑問が尽きない。厄介者に対して、国も、学園も、家族も、こうも手厚い対応をしていた理由は何だと。
 そんなことを考えることすら煩わしく、何も考えずに過ごして来た。


 ――おかげで。
 いっそ人の群れの中から弾かれたいと思っても、抜け出せることすら出来ず今日まで生きて来たわけだが。


 だがそれはきっと、幸運だったのだろう。
 今、あの学園で、彼女に出会えたのだから。







 サリーナ……いや、今は本当の名前を知っている。

 砂里の存在の謎を解き明かさない限り、恐らく彼女は手に入らないのだろう。

 あらゆるコネと魔法院の力を使い、異世界の情報を手に入れることに奔走した。

 が、しかし、異世界の情報を調べる過程で、奇妙なことを知って行く。

 異世界の情報とまるで一揃いのものであるかのように、我がギアン家の情報が秘匿されている。

 代々王家に仕える、類を見ない魔力を持つ魔法使いを輩出させると言うギアン家の情報が公にはほとんど公開されていないこと自体は不思議なことではなかったが、異世界の情報と一緒に秘匿されているとなると話が別だ。

 もう一つ、一緒に秘匿されている情報があることが徐々に分かって行く。

「予言の書」だ。

 それはどこにあるのか、また、本当に存在するのかも分からない、存在を匂わせる程度のものだったが、その情報を調べている過程で、異世界人の残した日記の存在を知った。

 幸運なことに、魔法院が保管しているその書物は、条件さえそろえば閲覧が可能だと言う。
 たった一つの条件――それは異世界人であるということ。
 砂里がいれば、閲覧可能だと言うことだ。

 気まぐれに彼女を魔法院に連れて行ってみれば、丁度入手出来たその異世界人の日記を、彼女は読みさえせず、また躊躇することもなく俺に渡した。

 ――さすがに、それで良いのかと問いたくなった。

 しかし、まっすぐに俺を見つめる彼女の瞳には、まるで絶対的な信頼の色が浮かんでいるように見えて、胸が熱くなる。

 読んだその日記に書かれていたことは、衝撃的な内容だった。
 とある異世界人――50年ほど前にやって来た、ユズル・タニグチの冒険日記。

 彼は、神によってこの世界に飛ばされたと、ハッキリと明記していた。
 砂里と一緒なのかと……異世界人の来訪には、常に神が関与しているのかと知る。

 そしてもう一つ。砂里は読み飛ばしていたようだけれど……。
 俺やアラン、ロデリック、ラザレス、ダレル、ローザ、メアリーの名前が書かれていて、今はまだ生まれていない、そう書かれていた。

 ユズル・タニグチは未来を知っている。
 この世界のどこかにあるとされる「予言の書」を知っているかのように。

 そしてそれを、当たり前のもののように砂里は読み飛ばした。
 何かを知っているのだと、俺は確信した。






 そんな時に彼女は言った。

「私あなたのことを知りたくてこの世界に来ているんだと思う」

 だから俺は、思わず言ってしまった。

「それは、俺か?」

 と。彼女は恐らく、俺の何かを知って、この世界に現れている。不安に揺れる俺の心に、しかし彼女は寄り添うように優しい声で答えた。

「……うん。毎日絵を描かせてくれて、勉強を教えてくれて、一緒にご飯を食べてくれて、今手を繋いでるサースだよ」

 それは俺の望んだ答えであり、また、彼女の本心であると、繋いだ手から伝わってくる気がした。

 もう、それなりの日々を毎日のように一緒に過ごしていた。

 彼女の想いを、言葉を、俺は知っている。
 彼女を俺の望みを叶えるための傀儡などと思うことはもうない。
 毎日のように一緒に夕食を食べる日々だけでも、彼女は聞いてくる、どれが一番おいしかったかと。まるで俺を知りたいと思うように。またその返事に満足そうに微笑む。俺を知ることが嬉しいかのように。

 彼女の俺自身に向ける信愛を、疑う必要など、どこにもなかった。






 それでも時折不安そうにする彼女を心配していると、唐突に言い出した。
 隠していることがあると。
 そして、気にしていた。話すことで自分が嫌われてしまうのだと。
 何を馬鹿なと思ったが、内容を聞いて衝撃を受けた。



 異世界で売られているゲームに、この学園を舞台にした内容のものがあると言う。
 ローザを主役にした恋愛もので、恋愛対象者によって物語が変わるのだと。
 だがほとんどのルートで、俺が世界を滅亡に導く魔王になり、聖女と仲間たちで悪を倒すことで平和を取り戻すのだと。



 それは、少なからずありえるのではないかと思われる内容にも思えたが……しかし、魔王になると言う男に近付く砂里が理解出来なかった。

 どんな危険を冒しているんだと。

 それを問いただしたいと思いながらも、涙を浮かべながら嫌われることに怯えている彼女には安心させる言葉しか掛けられなかった。

 俺は理解していた。

 彼女は二度と来られなくなることまで覚悟して話してくれたのだと。
 そんなことは決してさせまいと、彼女の不安を取り除くことに尽力する。
 嘘ではなく、彼女の不安の原因の全ては、俺にはむしろ嬉しいと思えることばかりだったのだから。





 「小さな変化を積み重ねたら、未来を変えられるんだって、ミュトラスの使いが言っていたの。もう、ゲームと全く同じ未来にはならないよ。これからも、変わっていく」

 それは彼女の語った言葉。
 そう、砂里は、最初から俺の未来を変える為にこの世界に来ていた。
 俺の為に――
 魔王になると言われている男なんかの為に。


 彼女は、それがどれだけ危険なことか気が付いていない。


 愛情に溢れる眼差しで俺の絵を描き、そして同じ瞳で俺に微笑みかける。まるで恋をしているように頬を赤く染め瞳を潤ませながら俺を見つめていることなど、まるで自覚していない。


 俺の愛する女は、こうも警戒心がないのかと心配にはなるが……だからこそ、その心に神に愛されるだけの純真さを持っているのかも知れない。






 ユズル・タニグチは思っていた通りの癖のあるやつだったが、しかし、思ってもいなかったほど世話になった。

 当初その思惑を疑っていたが、彼の部屋で二人で話す機会を持った時、印象は変わった。

 俺の祖父を知っているのだという。
 そして話している限り――内容に偽りが混ざり込んでいる様子もなく、恐らくだが、ユズルの好きだった人というのは特徴から俺の祖母なのではないだろうかと思う。

 祖父も祖母もとうに亡くなっている。
 だが、仲の良い夫婦だったと聞いている。ユズルの話とは少し噛み合わない。

 そしてユズルは俺ではなかったら気が付かない程度の質問を織り交ぜて聞いて来た。
 祖父が持っていた特殊な魔法についてだ。






 ――俺は、その質問で、ギアン家の抱えていたものが腑に落ちるように理解出来た。

 そうだ、なぜ、今まで気が付かなかったのかと。

 ギアン家の、血族の間で起こる多すぎる突然死の背景にあった、世界を脅かす出来事。
 あの人はみんなの為に死んだのだと語られる葬儀。
 実家を出て久しいが、幼いころの情景が思い浮かぶ。

 神に関わる、特殊な魔法が使える。そうして、恐らく、なんらかの犠牲になるために選ばれた血族――




 自分に向き合って来なかったと自覚していた俺だが、まさか自分についての情報を自らが一番に持っていないなど思いもしていなかった。

 実の父である現当主が生きている。

 だから俺にはまだ情報が知らされていないだけなのか、はたまた、別の血族が選ばれているのか。
 いや、そんなことはない、俺が丁重に生かされていたことも、この膨大な魔力も、恐らくそのためのものなのだから。





 素晴らしいものだった異世界の日々を終わらせ戻ってくると、思いの外喪失感にかられた。

 今はまだ先のことを思い描くことは出来ないが――それでも、彼女が望む場所で未来を共にしたいと思っている。
 この世界でも、異世界でも、俺にとっては彼女がいる場所こそが俺の世界になるのだから。




 ギアン家のことを調べるために実家に戻ると、父は母と共に泊りで出かけているとのこと。
 話を聞けることもなく、その日は書庫や物置を探り、手掛かりになるものがないか確認した。
 大したものはなかったが、念のため祖父の遺品をいくつか持ちだした。


 そして魔法院へと寄った。
 上司の――フリード・マリールに、ユズル・タニグチの話を聞く。
 ユズルの話とフリードの話は一致した。
 そうして判明した。ユズルが好きになった女性とは、やはり俺の祖母だった。
 フリードの求婚を断り、祖母は祖父に嫁いだのだと言う。
「彼女は彼を愛していたよ」そう言うフリードの言葉は、ユズルの話と噛み合わないが、遥か昔の一人の女性の想いなどを、はかり知ることも出来ない。





 その夜も砂里はいつものようにやって来た。
 くったくなく笑いながら隣にいる。

「救ってあげましょうか?」

 冗談めかして言う彼女の台詞に俺は、全ての想いを彼女にぶつけたいという衝動に駆られる。

 彼女は何も分かっていなかった。俺がどれだけ救われたのか。どれだけ未来への希望を与えられたのか。それがどんなに得がたい、奇跡にも似たものなのかということを。







--------


 その日。朝から俺は寮の部屋にこもり、予言の書――ではなく『二つの月の輝く下で……』をプレイしていた。

 アランのバッドエンドはクリア済だが、ハッピーエンドの続きが残っていた。
 正確に言えば、ハッピーエンドを先にクリアするはずだったのだが、選択肢を間違えてバッドに進んだのだ。手間のかかる奴だ。

 アランは、子供の頃から与えられることに慣れている者だった。
 それは王子として当然のことだったのだろうが、自分が与える者にならなければいけないこの状況はどうも慣れない。

 しかし良く言えば、与えられた役目や、望まれる役割を、完璧にこなしていく理想的な王子だった。身分の高くないローザと結ばれるのは、彼にとって初めての意味での困難になるだろうと思うが。
 世界を越えようとしている俺にはその点に関して何も言えることはなかった。

 エンドが近づくにつれて違和感に気付いて行く。
 このアランのルートでだけ、魔王を倒すくだりで王家の秘密がほのめかされていくのだ。

 ――アランは、王家は、何かを知っている……。

 それは当然なのだろうが。
 王家の一部、魔法院の、聖女団体の上層部の一部で秘匿されているような情報は手に入りにくいだろう。しかしアランなら……?

 ひとまずアランに探りを入れることにする。

 昼休みを迎える時間に食堂に出向くと、アランはローザと食事をしていた。
 食後に話をしたい旨を伝えると快く承諾してくれた。

 昼食後、誰も居ない裏庭にアランを呼び出す。
 ギアン家の謎と王家の関りについて知っていることを教えて欲しいと伝えた俺に、アランは考えた末、放課後、王宮に一緒に来て欲しいと言った。






 砂里に伝言を出す。

『砂里、今日は夕食を一緒に取れない。残念だが会えそうもない』

 休憩時間だったのだろうか、すぐに返事が来た。

『うん。分かった。連絡ありがとう。私も勉強頑張る』

 ああ、試験が近づいていると言っていたな。

『明日勉強を見る』
『ありがとう!……寝る前にまた連絡してもいい?』
『もちろんだ、いつでも構わない』
『……!本当に?』
『ああ、俺はいつでも話したいと思っている』
『……れっ、連絡するね』
『ああ』

 そう言えば、砂里に会わない日は、一体いつぶりになるのだろうか。前に試験で来れなくなった時以来……。あの時はまだ、彼女に対する感情を自覚する前だった。

 今は、彼女と出会う前の自分が、とても遠いものに感じられた。
 心に空いた穴を知らず、寂しさすら気付かずに、胸の内に湧き上がる感情など知らずに生きていた。

 今は、心が凪いでいるのを感じている。

 この瞬間も、どこかで彼女が生きている。彼女を生み出してくれた世界がある。彼女は――少なからず俺に好意を向けてくれている。
 心に空いていた穴が塞がり、そこを吹き抜けていた冷たい風は、今は静かに心地よく、暖かな空気を運んでくるように吹いている。









 アランと共に王宮に向かった。

 アランは二人きりで話がしたいと言い、塔の部屋に向かうことになった。
 長い階段を二人でのぼり、最上階の小さな部屋にたどり着く。

 ここはかつて幼いころを過ごした場所。
 どうやら掃除はされているようだが、家具一つない殺風景な部屋だった。

 意外なことではなかったが、アランはこの場所に初めて入ったのだと言っていた。
 俺たちは少しの間見つめ合った。
 しばらくして、アランがためらいがちに話し出した。

「僕が知っていることは少しのことだけなんだ」

 アランは、王家のものが背負ってきている役割の一つを話せる範囲で語ってくれた。
 世界の脅威になるものが現われたときには封印する役目を持っているのだと。
 これまでにも度々その役割をしていたこと。

 話していると階段の下方から誰かがのぼってくる音と、アランを呼ぶ声が聞こえた。

「すまない、待っていて欲しい」

 アランはそう言うと、開け放たれていた扉から外に出て――――俺の居る部屋の扉を閉めた。

「……おい」

 俺は油断していた。異世界の情報収集を手伝ってくれた彼を、毎日のように食事を共にするようになっていた従兄を、ローザに甘く微笑みかける同級生を。人のことなど言えない、恋に狂った俺は危機感すら薄れさせていた。

 立ち上がり扉を叩くが、びくともしない。

「……何故だ!?」

 扉の外から答える声はない。小さな声で従者と話しているらしいアランの声が聞こえたが、次第にその声も足音も遠ざかって行った。

 俺は一人、塔の中に残された。

 知っていた。俺はこの部屋から出られない。その部屋に付いて来たのは、この部屋に謎があるからだと思ったからだ。幼いころをここで過ごし、当時は俺を守ってくれる場所だったからだ。

 人の力では抜け出せない幽閉用の部屋。
 どんな魔力も抑えつけてしまう、魔法の使えない空間。


 ――ここからでは、砂里、君に、声を届けることも出来ない。






(しかし俺はまだこの時点でも甘く考えていた。理由があり一時的に身柄を拘束する必要があっただけなのだと。そう俺は結局は何も分かっていなかったのだ)
 
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