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混血の美学 ……6

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    「あ、あとな、ジョギングしていたオバサン、あの後見掛けたか?」
    「全然。けど、なんで?」
    「聞き込みをな、そのオバサンにも。ジョギングしているオバサン連中は、片っ端から声を掛けてんだが、それらしいのと出くわさないからさ。ったく……」
    「かなりの巨乳だよ、オバサン連中にジャンプさせてる?」
    「タッポン、タッポンってか? バカヤロー」
    刑事は、満更でもなさそうな顔で、美味そうにアイスコーヒーを飲んだ。アタシもアイスコーヒーを取り上げたが、ほとんど空だったのでそれを戻すと、ひとつ気になっていたことを訊いてみた。
    「あのさ、今回の事件って報道してる?」
    「小さい扱いでポツポツ出始めた。近々、合同捜査本部立ち上がるから、どっと扱いがでっかくなるかもなァ。もっとも、血の件は今後も伏せておく予定だから、そのつもりでな。これが、知られると、ワイドショーなんかが飛び付いて大騒ぎだろう。そしたら、被害者たちは、好奇な目に晒されるのは目に見えてるし、それはちょっとなんだろ?」
    そう言った刑事は、あらためて、鋭い目でアタシを見据えた。
    「大丈夫。アタシもルミ姉さんもその辺は汲んでるからさァ」
    「ならいい。仮にオレの娘が同じ被害にあったら……、そう考えると、胃がモワモワしてくんだよ。やっぱりこいつはクズだぜ、チキショー!」
    こいつ、案外いいヤツなんだろうな……。
    「血ィ、異常ないんだよね?」
    「ああ。ま、異常なのは、こっちだろーよ」
    刑事は、そう言いながら自分の頭を人差し指で示していた。程なくして、腰を上げたアタシ達は、二人して向かった階段前で立ち止まり、言葉を交わした。
    「吉田さん、だっけ? アンタの娘さんって幾つ?」
    「15。ま、別居してんだけどな……じゃ」
    上の階にあるいずみの個室へと向かう刑事を見送ったアタシは、一人薄暗い階段を降りて行った……。 

    帰路、地下鉄でスマホを開いてニュースを確認すると、吉田が言った通りに今回の事件が取り扱われていた。やはり扱いは小さく、トップニュースから、かなりスワイプ・ダウンを続けてようやく見付けるぐらいだった。
    内容は、‛都内で連続愉快犯か? 警視庁が注意喚起 暗がりで付け狙った女性をスタンガンで失神させ、逃走‚そんな感じでまとまっていて、どこにも血の件は触れられてはいなかった。
    見知らぬモノの血。健康だというその血。でも、そんなことをするヤツが、果たして健康なのだろうか? 汚れた血……。悪貨は良貨を駆逐する、っていうじゃん。自分の血へ、妙な性癖を持つ者の血が注入され、体内で混じり合い、やがて区別がつかなくなり――
    対向列車の風圧でバンッと窓が震えた。ハッと我に返ったアタシは、流れる車窓の様子から、どうやら駅を乗り過ぎてしまったことに気付いた。先程まで、向かいの席に座っていた脛毛の濃い短パンの男は、既に降りたらしく、ノーガードになった車窓のお陰でそれを知ったのだ。

    なんだか、今おみくじを引いたら凶っぽいな……。

    そんなことを考えている内に、高田馬場のホームへ到着していた。アタシは、野良猫時分に散々流したこの街で、息抜きしてから帰るのも悪くはないなと思い立ち、慌ててシートから腰を上げるとホームへと降り立った。

    午後6時過ぎの高田馬場は小雨が降っていた。空を見上げたアタシが見たものは、真っ黒な空だったので、そんなもんじゃ済みそうもなかった。
    アタシは、しばらくディスク・ユニオンでゆったりとした時を過ごし、『人間椅子』のCDを1枚購入してから店を出た。その頃には空腹を覚えはじめていたアタシだったが、二階にある店舗から階段を使って降り始めると、その階段の真ん中に堂々とバーガーキングの飲み掛けのドリンクが捨て置かれているではないか。アタシはそれを次の行き先を示唆するお告げとみた。
    で、通りへ出ると舗道は濡れていたが、夜空の雲は切れており、にもかかわらずはるかに増した蒸し暑さを振りきるように急いで通りを渡ると、ケンタッキーをスルーして、向かいのバーガーキングへと飛び込んだ。チキンは好物なのだけれど、個人的理由でしばらくケンタは利用するつもりはなかったから。
    で、バーガーキングでワッパーのセットを堪能しながら、アタシはスマホでもって購入したCDとアーティスト情報をググってみた。
    『人間椅子/怪談そして死とエロス』
    たまたまユーチューブで聴いた‛芳一受難‚が最高にかっこ良かったのだ。曲中、ロックなビートに乗って繰り出される般若心経には、とことん驚かされたものだったし、どうにも凶っぽい状況のアタシには、厄除けとしての役回りも期待しての購入だったのだが、いかんせんアーティストについての情報を知らなすぎたのだ。
    そんなこんなでムシャムシャ食べ終えたアタシは、トレイとユニオンの袋をそこに残して、奥にある化粧室へと腰を上げた。することをしてから戻ったアタシは、若い女性店員がユニオンの袋を手にテーブルをクロスで拭いている所に出くわした。片付けようと思っていたトレイは既に跡形もなくなっていた。
    「失礼致しました。こちらお客様のでしょうか? 忘れ物かと思いまして」
    「ううん、こっちこそ片してもらっちゃって、ヨンキュー」
    「はぁ……」
    どうにも曖昧な笑顔の女性店員から、ユニオンの袋を受け取ったアタシは、店を出ると東西線の駅へと向かった。いつもなら、馬場からの帰りはJRの高田馬場駅を背にして、早稲田通りを神楽坂方面へ30分程歩いて帰るのだけれど、なんとなく今日はその気になれず、来た時と同様に東西線を利用することにしたのだ。
    ホームへ到着する数分間でもうすっかり汗ばんでしまったアタシは、なんだか全てがどうでも良くなってしまいそうな気がしはじめていた。 

    ヒトって、こんな時に魔が差して何かをしでかしてしまうのかもしれない……。きっと、大部分の犯罪者とはそういうモノなんじゃないのだろうか? けれど、今度の一連の事件の犯人は、そういう連中とは一線を画す存在のはず。そう、持って生まれた業のようなモノと折り合いがつけられない、そんなヤツで、今ではもう歯止めが利かなくなってきている……。そういう感じがして仕方がない。一体、犯人をして何が一連の事件への行為に踏み出すキッカケとなったのだろう? 

    アタシは、アタシ自身もまた抱えているある種の業を見つめてみた。散々、この業に報いてきた過去だったけれど、それに飲み込まれてはこなかったという自負もある。だが、この先、飲み込まれてしまうに至る、言うなれば破滅へのキッカケとなるような何かが、我が人生には用意されているのだろうか? そんなことを、ホームの端に立ち、どこか遠くを見ながら考えているアタシではあった……。
                                                                            続く
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