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混血の美学 ……10

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     「いらっしゃいもねーのか?」
     「いらっしゃい……」
     「大丈夫か、そんな接客で……。     せめて、ませ、ぐらい語尾に付けろよ」
     「ませ……」
    流石にムッとした様に見える吉田が、口を開き掛けている……、さあ、これからが、本番だろう。
    「ある女の同僚に聞いたんだが、お前、ウリやってたんだってな……」
    アタシは、川崎さんだよな、きっと、そう思いながらレスった。
    「過去形だから……」
    「ならいい」
    「なにがッ?」
    「……だから、別にいい」
    「ねぇ?」
    「……なんだよ?」
    「吉田さん、アタシとしたいんでしょ?」
    「……」
    「ねぇッ?」
    「……そんな晩もいつかはあるかもな」
    「こっちも、そっちと寝たい理由ってのがある晩が来るかもしれない」
    「……ま、理由の如何を問わずにだな、お互いそういうのもいーんじゃねぇーか」
    数秒間の沈黙だった。ついに身体の芯に火照りを意識したアタシは、平静を装って吉田へ頷いてやった。吉田は、視線を据えたままのアタシからやっとこさ何かを汲み取ったような熱っぽさを、それでもまだ圧し殺してみせてなんとか頷き返すと、やおら背を向けて出入口へ向かい始めた。負け戦になりかねない夜の流れに、アタシはどうにも抗わねばと柄にもなく焦りを感じ、咄嗟に口を衝いた陳腐すぎるフレーズでもって、吉田を引き止めにかかった。
    「ね、ゴム持ってない?」
    引き戸に手を掛けたままの吉田が、アタシを振り返って、こうレスった。
    「ねぇ……」
    「いらないけど、ねぇ?」
    「なんだ、それッ……。サキ、幾つだよ?」
    「なんだよ、それ! したいんだよ! 男でも女でも、そんな晩あんでしょ! 今がその時なんだよ、吉田さん、あんたもそのはずだよ!」
    「サキ、あんた娘に面影が似てんだよなァ。確かに、俺もその気でここへ来たんだゆ。場合によったら昔のウリの件で脅してでも、ってな。なんか、あんたに惹かれててさ、それでそのつもりだったんだよ。けどな、さっきあんたの顔じっと見いってたらさ、わかったんだよ、あんたに惹かれてた理由がさ、面影なんだよ……。くそったれ!」
    そう長々レスった吉田が、背広の懐から何かをを取り出すと、アタシへそれを放ってきた。それは、アタシの差し出した右手へドンピシャで収まった。包装されたままのゴムだった。
    ありがとう。やっぱ、やる気だったんだ……。だけどアタシの口からは意に反したフレーズが飛び出していた。
    「吉田さんさ、もしかして、娘とやりたかったんじゃないの?」
    「てめぇーッ! 言うに事欠いてぇ……」
    急速に熱い何かが失せて見えた吉田は、静かに前へ向き直ると、引き戸を開いて夜の闇の中へと去っていった……。

    しばらくそのまま時が過ぎた。

    開きっ放しの引き戸から、気持ちの良い夜風が店内へと吹き込んできた。未だ火照っていた情けないアタシは、カウンターの下からあの謎のワインボトルを取り出すと、吉田の餞別代わりのアレを袋から取り出し、口を使ってボトルの先端から被せていった――
    さあ、準備は完了した。アタシは、時計を見た。午後8時過ぎだった。頃合いだった。色々な意味で。
    カウンターを出たアタシは、引き戸はそのままに、シャッターだけを下ろすと、逸る期待に反して、ゆっくりと踵を返した。
    店の灯りを消して、カウンターのスタンドを灯した。ゴムを被せたワインボトルが、薄っすらとした影の分身をカウンターへと落とした。
    アタシは、デニムとショーツを足首までずり下げると、夜に溺れるために、ワインボトルへと手を伸ばし、その分身を消し去った。丸椅子が邪魔だから、蹴り倒した。後ろの壁へ凭れるように背を委ねた。と、ワインボトルの先端をゴムごと、ねっとりしゃぶった。しゃぶりながらも、ワインボトルの履歴に想いを馳せた。やっぱり、謎だった。

    いいや、メンドイ……。

    で、濡れそぼつそれを股間へと導くと、とうとう性欲に殉じて、堕ちていくことにした。
    しっぽり、夜に溺れるゆらゆら揺らめくその影は、まるで見知らぬ他人のようだな、ってアタシには思えた……。
                                                                        終わり
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