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ミルク買うブルース ……2

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    アタシと吉川との間で立ち止まったルミ姉さんは、さっきみたいにアタシの腰へ右手を添えた。無言のまま奇妙な時間が過ぎていく。ううん、実際は10秒ぐらい。それなのにその時間はどうにもたわんでいていたし、それは毎月この日には付き物の時間だった。
 と、その場に相応しい絶妙な音を立ててカウンターへコーヒーカップを戻した吉川は、ストゥールを降りるとそんな時間のたわみなどをものともせずに玄関から出て行った。それを見送ったリョウ兄さんは、ルミ姉さんへ向き直ると静かに頷いてみせた。アタシは向かいのガラス窓に、静かに頷き返すルミ姉さんの姿が写っているのを見たし、同時に腰に添えられた彼女の手が微かに熱を発したようにも感じられた。
 向かいのガラス窓からルミ姉さんが消えた。アタシの正面にリョウ兄さんが立ち塞がったからだ。
 「サキ、今晩店へ寄るから、ドアーズ何枚か用意しといて」
 「真夜中にドアーズ? まぁ、いいけどさぁ」
 「んじゃ……」
 誰に言ったのか判然としない挨拶を残して、リョウ兄さんは劇場側へと戻って行った。
 「ドアーズ、かぁ……」
 不意に背後でそう呟いたルミ姉さんを肩越しに見遣るアタシへ、姉さんはこう続けた。
 「じゃ、宜しくね……」
   そう言い終えた姉さんは、添えていた手で腰の同じ辺りをポンと叩いた。アタシを叩いて、自らを鼓舞するつもりだと思ったアタシは平静を装って姉さんへ頷いてみせた。いつものようにそれはなかなかキツイ仕種だった。
こっくり頷き返した姉さんは、いつもと同じ足取りで部屋を出て行った。ビル前の通りで待つ吉川の車で、客の待つ場所まで送られて行くのだ。
 誰も居なくなった玄関の方をジーッと見据えていたアタシは、同様に誰も居ないカウンターの方へと首を戻した。
 ハッとした。見知らぬ若い女が向かいからこちらを見ていたからだ。
 「え……」
 なんだ、なんてことはない、ガラス窓に写り込んだアタシだ。思わず笑いが込み上げたのに、なぜだか笑えなかった。笑っちゃいけない、笑うなんて、今晩、この場にあって失礼なんじゃないのか、そう思えて仕方がなかったのだ。多分、何かがアタシのコアな部分へと訴えかけてくる、そんな息が詰まるようで、また濃密な夜に立ち会い、アタシがアタシであるのを心底実感させられる夜だったからだろう。
 なんだか、赤羽での一件が、今晩にこの時にまで繋がっているように思えてしようがなかった。

     アフターマス、ってこれ?
   
 人生はLPなのだろうか。白髪の男だったら、間もなくB面も終って、ザーザー音になって、アームが戻って停止する……。でも、アタシは未だA面の途中で、どんなコンセプト・アルバムなのか、その全体像も未定なのだ。
 隣の部屋から銃撃音が聞こえてきた。間もなく『エロティックな関係』が終わる。アタシはスマホを取り上げた。取り敢えずこの場しのぎに『アウトロー』をググるのだ。

    『アウトロー』は観て大正解だった。中盤に科白も劇伴もなしで繰り広げられるカーチェイス。終盤には聞いていた通りに〝ロバート・デュバル〟が参戦と、全くもってアタシ好みの一本だった。

    あー、なんだか心が軽くなった。

    そんな余韻に酔いしれながら、アタシは立ち寄ったコンビニで、ウィスキーの小瓶とミルク味のアイスキャンディを買い求めると、そのまま深夜の住宅街をウォークマンをサントラに我が店舗兼自宅へと向かった。

    『ライオット・シティ・ブルース/プライマル・スクリーム』

    繰り返し1曲目をリピートする。

    〝カントリー・ガール〟

    エッジーでザックリで、高揚した気分をもっとポジティブにざらつかせてくれる。

    オー・イェー!

    ロックも映画もたいていはアタシの味方だ。ロック、映画、それにSEX! アタシにとっての三種の神器。およそヒトとして産まれたからには、ハメを外すこともなきゃ! 鉄は熱いうちに打てだ!

    アタシは足取りを早めた。アイスキャンディが溶けたら元も子もないのだ。そして、リョウ兄さんが顔を出す前に、今晩の三種の神器は完成させなきゃならなかった。例えそれが中途半端な形ではあっても。

    薄暗い店内のカウンター裏で、アタシは自分を慰めていた。けれど、なんで慰めるっていうんだろうか? なんだか後ろめたい気持ちにさせられない? そんな雑念のせいで、少々快感が遠退いたからか、ポータブル・プレ―ヤーで回るLPの音が耳へと届いてきた。

    『ロング・ラン/イーグルス』

    今はA面の3曲目、〝イン・ザ・シティ〟だから2曲が過ぎる間中、快楽の淵を目指して耽り続けていたって訳だ。アタシにとっては〝イン・ザ・シティ〟がこのアルバムのベスト・トラックだった。まるで、初夏の朝みたいな気分にさせてくれる曲……。
      「あーッ!」
    ジョー・ウォルシュがアッと言うまに吹き飛んで、快感に上書きされていった。右の人差し指がアタシのツボへ辿り着いたのだ。

    アタシのアソコはどうなってるって?
    たどりついたらいつも雨ふり、ってやつ!

    閑話休題

    アタシは一気呵成にツボを抉りつつ、左の指をクリへと導いた。
    〝イン・ザ・シティ〟はまだ流れているのだろうか? もうアタシの耳にはアソコから立ち上がる卑猥な音しか届かないし、アタシの瞳は白い光だけしか捉えていなかった。
      「あ、あッ、あーッ、まだ、い、いっちゃダメっ……」
    丸椅子を転げ倒して急いで立ち上がったアタシは、カウンターを出ると、店との仕切りのドアを開いて奥の住居へと急いだ。と、途中で冷蔵庫を開き、ひん剥いて裸の姿で皿に用意しておいたソレを引ったくり、トイレへと駆け込んだアタシは、飛び込むように便座へ跨がると、そわそわとM字に開脚して左の指で左右にアソコを開き、右手で持ったソレをアソコへと導いた。アソコはお預けを食らった犬とは違って、待ってましたとばかりにソレを含み、ジュルジュポって音を立てながら飲み込んでいた。
      「ああーッ、い、いーッ、あッ……ああー!」
    熱が冷たさを、冷たさが熱を絶妙に互いを引き立てあって……。
      「い、いくぅーうッ……」
     派手に身じろぎながら両脚を投げ出したアタシは、アソコにソレを挿したままで果てた……。
     頭のなかは真っ白で、余韻、快感にアタシの脳は蝕まれているのだ、今……。
    ソレはアソコのなかで超スピードで萎んでいく……。素敵な気怠さに包まれながら、ソレを引き抜き出したアタシは、虚ろな眼でソレを見入った。
    ミルク味のアイスキャンディだった、それを。
    ポタポタ、太股に垂れるそれを慌てて口元へ運んだアタシは、残り少ないそれを頬張ることにした。

     アタシ風味な、ミルクの味……。

    今頃、店のプレーヤーではA面が終わったぐらいだろうか。
    尿意を感じたアタシはオシッコをした。果てた後のオシッコはなんで長いのか気になるのはアタシだけ?

     ミルク味のオシッコ、か……。

     最近ハマっているこのスタイルの自慰の後、こうしてオシッコする度に、アソコが清められるような気がしている。

     これぞ、まさに聖水!

    ふと、そう思ったアタシは思わず吹き出してしまった。ポジティブに余韻を延命させているアタシ……。

     さぁ! 切り上げ時だ。

    店へ戻り、ドアーズのLPを抜き出して、リョウ兄さんを出迎える準備をしないとだ。多分、今夜はシカゴだろう……。

    え、意味? つまり、〝長い夜〟ってこと……お分かり?

    ドアーズのLPを見繕ったアタシは沸かしたコーヒーを片手に兄貴が来るまで聴いて過ごすLPを選んだ。今、ターン・テーブルではそいつが回っている。

    『アー・ユ―・エクスペリエンスト?/ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス』

    ドアーズの露払いとしては上出来でしょ?

    リョウ兄さんが選んだLPは『まぼろしの世界』だった。アタシが淹れたコーヒーに、さっきコンビニで買っておいたウィスキーを垂らし、曲芸師の一団が写るジャケットを、ジーッと眺めながら耳を傾けている。聴き始めて以来、アタシとの間で会話は一切なかった。アタシの方でも、レイ・マンザレクの妖しくも透明なオルガンの響きが流れ始めた途端、アルバムの世界へと持っていかれ、敢えてこちらから話そうとも思わなかった。
 今、アルバムはA面のラストへと差し掛かった所で、〝月まで泳ごう〟ってジム・モリソンが誘いを掛けている。

    〝月光のドライブ〟

    リョウ兄さんはまんじりもせずに丸椅子に座り、壁へ凭れたままジャケットを睨め付け、ただただ耳を傾けている。いや、そもそも音が届いているのだろうか? リョウ兄さんの心は今どこにあるのだろうか?
    ルミ姉さんは、今頃オールでローンを払っている。
    住居と店との仕切りドアへ凭れて座り込んだアタシは、そんな二人の轍に踏み込んで、ポジティブな余韻が薄まりつつあるのを感じていた。

    〝月まで泳ごう〟

     アタシはジム・モリソンの歌声に身を委ねると、誘われるままに腰を上げた。手狭な店内に並ぶレコード棚を通り抜けて店の出入口へと向かった。リョウ兄さんはアタシへは眼もくれなかった。アタシはサッシを開いて、シャッターをそろそろと背丈程に上げた。住宅街の真夜中は静まり返っていた……。

     〝月まで泳ごう〟

     アタシの背に、ジム・モリソンが追いすがった……。アタシはおもむろに夜空を見上げてみた。黒い雲が一面を覆っていた。果たして、月はどこにも見えなかった。

     ジム・モリソンの嘘つき……。

     アタシはそう思った。


                                                                   終わり

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