破れ鍋の使い道

蒲公英

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 瞬間、まずいって顔をしたのは、わかった。つまり、経験者の意見っていうのはアタリだと、いくら健太だって推測できる。
「そっか。動画とかでは女も嬉しそうだから、気持ちいいのかと思ってた」
「渡辺くんって、プロレスが真剣勝負だと思い込んでる人?」
「いや、あれはショーだろ?」
「それがわかってて、AVの演出はリアルだと思えるんだ?」
 なんか男のロマンがひとつ、壊されようとしているかも知れない。ある程度演出なのはわかっていたが、男が間抜け面晒すだけなんて言葉は、あまりにも乾きすぎている。嬉しそうにピーッを出したときに、女のすっごい醒めた視線があったら、おそらくその場で萎える。でも、全部のシチュエーションで適応されるのかなあ。
「何回くらい、したことある?」
「アホか。プライベートをぶっちゃけるほど、親しくないでしょ」
 そりゃそうか。
「とにかく、言いたいことは言った。妄想は自由だけど、口に出す前に状況考えてね」
 残ったコーヒーを口に運んでから、カップの縁を親指ですっと拭う。莉乃は締めくくったらしい。

 椅子から立ち上がるとき、莉乃は椅子を動かさず、テーブルに手をつかなかった。身体を横に回転させて、その形のまま上半身だけがすっと上がったように見えた。立ち上がる形なんて気にしたこともなかった健太だが、その所作は美しく見える。一テンポ遅れて立ち上がった健太を待ち、莉乃は出口に向かった。後ろを歩いて行くと、すぐに改札の前に出た。
「コーヒー、ごちそうさま。また会社でね」
「富田って、意外にはっきり主張するのな。高校のときもそうだった?」
 向かい合ったまま、健太は質問した。
「男子には近づかないようにしてた。胸が大きいって理由だけで、男に媚びてるとか言われるから。好き好んで育ったわけでもないのにね」
 じゃあね、と莉乃は後ろを向いて歩き出す。

 案外と自慢なんじゃないの? 同窓会のときに、そう言っていた女子がいた。あのときに感じたひっかかりは、そこはかとない悪意を感じたからだった。妬ましいって言葉と同義語に感じたのかも知れない。そのあとに言われた言葉を考えろ。私の胸もそこそこ、とかなんとか。あれは胸で男が釣れると思っていたからだろう。莉乃は胸で男を釣ろうなんて、思っていないのに。
 ハゲを気にしているおっちゃんの頭を、撫でまわしたりはしない。何故ならば、怒られるから。本人にはどうしようもない理由でバカにされたって、努力次第でどうにかなるもんではなし、劣っているのだと言われたって修正の仕方なんて教えられない。
 またお前か、と生徒指導室に通った学生時代、教室に戻ったとき自分はどうしていた? 生徒指導室で神妙な顔をしてみせたあと、ムーンウォークで教室に入ったりしてさ、常識で考えろって言われたって俺常識ないからー、なんて笑ったよな。バカだなって言われるより先に、自分がバカだって強調して。あれが自虐ってやつ(違う、自業自得)なんだったら、自分のハゲをネタにして笑うのも、本当は面白くないことなのかも。

 渡辺健太二十五歳、今更そんなことを考えて愕然とする。もしかしたら俺は本当にバカなのか。


 あれで健太が納得して少しは大人の言動になるとは、莉乃だってつゆほども思っていない。ただ伝えておけば、少なくとも自分に対しては、あのとき言ったでしょうと念押しができるようになる。
 就職したばかりのとき、社内の何人かの男女がやはり、かなりしつこく莉乃の胸の話題を出した。制服のベストの上にオーバーサイズのカーディガンを羽織り、社長夫人に注意されたことから、他人の容姿を云々と小学生のような申し伝えがあり、やっと莉乃が本気で嫌がっていることを理解してもらえたのだ。それでも言う人は言う。
 身長や容貌では口を噤む人たちが、胸に関しては気を遣わない。何故ならば、そこが重要なセックスアピールだと考える人が少なくないから。

 家に帰ると、キッチンはまだ夕食の支度中だった。大人ばかりになった家の食事時間は遅いから、莉乃も着替えて手伝うことにする。
 材料を用意して皿に盛りつけるばかりになっているサラダの生ハムを、二つ折りにしてくるりと巻いた。出してあったサラダボウルをしまい、平皿を出した。野菜と生ハムを乗せ、色味が足りないなーとベランダのマリーゴールドの花を持ってきて、花びらを散らす。
「何やってんの?」
 テーブルの上を拭いていた妹が、カウンターをまわって皿を運び出した。
「おかあさんのジャガイモだらけのカレーに生ハムのバラをつけあわせるって、どういうセンス? 家のごはんだよ?」
「大した手間じゃないし、どうせなら綺麗なもの食べた方が嬉しいもん」
 妹は呆れたように笑う。
「口に入れちゃえば一緒じゃん。あ、ドレッシングもわざわざピッチャーに移さなくていいからね。洗い物が増える」
 身も蓋もなく言い、運んでいる途中の自分の皿から生ハムのバラを摘んで、うまーいっと言う。価値観の違いだから、そこは敢えて言葉にしないけれども、自分は目でも楽しみたい。

 自分の部屋に戻って、結婚式に着て行く予定のワンピースに、手持ちのアクセサリーを合わせてみたりする。なんかパッとしないなー、急ぎで作っちゃおうかなーなんて、パーツをストックしている小引き出しを掻きまわしているうちに、スマートフォンがSNSのメッセージを受信した。発信者はFriedchickinとある。フライドチキン? なんだそりゃ。
『ちょっと反省した。ごめん』
 誰だろう。フライドチキン、ケンタッキー……ケンタ……ワレナベか!
『渡辺くん?』
 おそるおそる返信する。はい、と短い返信があった。
『もう怒ってないし、公私混同もしないです。次は仕事でよろしく』
『そんだけ? 素っ気ない』
『そんだけです。おやすみ』
 上目遣いのスタンプが送られてきて、確認だけしておしまいにする。別にこれ以上、仲良くなる気はないのだ。
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