花つける堤に座りて

蒲公英

文字の大きさ
上 下
16 / 19
花つける堤に座りて

学校に訪れる

しおりを挟む
 文化祭の準備がますます忙しくなる。水彩画なので重ね塗りができず、パレットに作った色を紙の上にのせて調整するだけでも、どんどん時間が過ぎていってしまう。
 図書委員は文化祭にあわせて委員推薦の本のレビューをいくつかあげなくてはならず、みゅうに一緒に文章を考えてもらったりしてる。
「最近、あんまり本読む時間がないの」
「それは一緒だよー。部活が終わったらヘトヘトだもん」
 運動部の練習って、確かに大変そう。体育の授業よりずっと声を出してるし。

 和は一ヶ月でずいぶん重くなった。そして、声が大きくなった。夜中に時々、寝室から私の部屋まで和の泣き声が聞こえる。母がキッチンでミルクをつくる気配もする。 私にまで聞こえるのに、同じ部屋の前島サンは気がつかずに寝ているとのこと。
 徹君はノンキでいいわねぇ、なんてたまに母がちくっと言っていたりする。

 ある日の夕食後、目を覚ましてキョロキョロする和の顔を覗き込んだら、嬉しいことがあった。もしかすると、一番乗り。
「お母さん、徹さん、なごちゃん笑ってる!」
 どれどれと覗き込んだふたりの顔を見ても、和はもう知らんぷり。
「ちくしょーっ!てまちゃんに先越されたぁ!」
 前島サンの悔しがり方がおかしくて、今度は私が笑ってしまった。

「まだ意味のない笑いなんだから、そんなに悔しがらないの」
 母に宥められながら、和に声を掛け続ける前島サン。子供みたいだな、と思ってから気がついた。
 私、和の両親が母と前島サンだって、何の苦もなく受け入れているじゃない。そして、それが私の妹だって普通に思ってる。これってもしかしたら、すごいことじゃない?

 翌週に文化祭が控えている。今年は母は来ないだろうなと思っていたんだけれど。
「徹君が手毬の絵を見に行くって言ってたよ」
 もちろん案内も紹介もするつもりなんてないけど、私の絵を見に来るの?
「手毬がどんなものを描くのか、見たいんだって」
 前島サンが私の絵に興味を持つってことが、自分でもびっくりする感情を引き起こした。

 嬉しい。
 仕上げ、頑張らなくちゃ。 


 さて、文化祭当日。
 美術室と図書室の受付で、時間が細切れになる。クラス展示のほうは運動部の子たちが主体になってくれているので良かった。みっつも仕事したら、一日が終わっちゃう。
 時間が合わないから、みゅうと一緒には回れないな。見慣れた校内だから別にいいんだけど、なんか楽しみが減った気分。

 美術室の前でペアの子と受付に座っていると、前島サンがにこにこしながら近寄ってきた。何も受付にいる時間に来なくてもいいのに。タイミング、悪すぎ。
 受付に記名してもらいながら、思わず横を向く。
「てまちゃんの絵はどこ?」
 外で、話しかけないで。これは前島サンが恥ずかしいからじゃなくて、多分母が来ても同じように思う。家の人を同級生に見られるって何で恥ずかしいんだろう。

 私がとってもぶすったれた対応をしたので、顧問の先生が近付いてきた。
「前島、身内の方か」
 記名を見ながらそう言って、前島サンに会釈をしたので、前島サンも頭を下げる。
「お世話になっております。前島手毬の父です」
 気恥ずかしそうに、それでも父と発音した前島サンの顔をポカンと見つめてしまった。先生もずいぶん驚いた顔はしたけれど。あ、前島サン、赤くなってる。私も顔が熱い。

 案内してこい、と先生に言われた。
「やですっ!名前書いてあるし!」
 ここで自分の絵の前に、ふたりで一緒に立てる人なんて絶対いない。

 美術室をゆっくり一周した前島サンは、私の絵の前でしばらく立ち止まっていた。先輩たちに比べると私の絵なんか全然ヘタクソだから、あんまりじっくり見ないで欲しい。見たいと思ってくれて嬉しいなんて、一瞬でも思った私がバカだった。
「じゃ、あと図書室に寄ったら帰る。ブックレビュー書いたんでしょ?」
「読まなくていい!」
 わかったって言いながら、きっと図書室にもじっくりいるだろう前島サンの背中が歩いていく。
 前島手毬の父です。耳の中にこだましてるみたい。
 交代時間まで、私はペアの子とお喋りもしないで前島サンの言葉を反芻していた。

 文化祭のあと、後片付けをして友達とのんびり帰ったら、ひどく遅くなってしまった。今日は遅くなると先に言っておいたので、お咎めはナシ。帰ったら、もう夕食の時間だった。
 ひと目でわかる、前島サンの盛り付け。和の機嫌が悪いらしく、母は食卓の前で和を抱いたまま前島サンに指示を出している。
「助かった!着替えたら抱っこ代わって!徹君に任せといたらご飯にできない!」
 なんだかひどい言われようをしてるね。大急ぎで着替えて、和を受け取る。普段なら泣いても多少放っておいたりしちゃってるんだけど、前島サンはそれを嫌がる。でも和は機嫌が悪い時は、前島サンの抱っこじゃ気が済まないのだ。正真正銘、パパなのにね。

 和の機嫌が少し直って、ミルクを飲んでやっと眠ってくれたのは1時間後。おなかぺこぺこ。
「手毬、いい絵だったんだってねぇ。持って帰って来るの?」
 頑張って仕上げたけど、他の人と比べたら、かなり見劣りしてたと思うんだけど。
「ブックレビューも良かったよ。内容をきちんと把握してる感じだった」
 みゅうにもずいぶん手伝ってもらったもん。って言うか、前島サン、やっぱり図書室に行ったんだ。とても照れくさくて、少し嬉しい。

 前島手毬の父です。
 また、頭の中にその言葉が蘇ってきた。大丈夫。先生も友達も少し驚いてたけど、もう逃げない。


 中間考査は、文化祭の一週間後にはじまる。なんて忙しさなんだろう。学校のスケジュールってカコク。今年は文化祭の予定でズレたけど、本当はもっと前に終わる筈なんだって。自分の部屋で英単語をブツブツ暗記していたら、母に声を掛けられた。
「今日、徹君が遅いみたいだから、和を先にお風呂に入れちゃう。手伝ってくれない?」
 だって今、勉強してるのに。1学期の期末考査で落とした順位の挽回しようと思ってるのに。

 和は本当に可愛くて大切なんだけれど、ちょっと困る。暗記教科の勉強している時にリビングから泣き声が聞こえたり、本を読みたいと思っているときに、抱っこしててって預けられたり。自分の時間が圧迫されちゃう感じ。今までひとりっこだったから、そう思うんだろうか。
 そう言えば、みゅうの部屋は妹と一緒で大変だったもの。聡美には「ウザい」お兄さんがいるんだっけ。家の中に赤ちゃんがひとり増えただけで、人口密度がぐっと上がった気がする。
しおりを挟む

処理中です...