闇に蠢く・完全版

ノムラユーリ

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第2部 第3章・闇の抱擁

第4回

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   3

 響紀は再び途方に暮れていた。いったいどこから調べればよいものか、どんなに考えても思い浮かんでは来なかったのだ。これでは振り出しに戻ったような気がしてならなかったが、けれど結奈は結奈で喪服のあの女について調べまわってくれているのだから、こんな所で無為に時間を過ごすわけにはいかなかった。

 結奈だって言っていたではないか。とにかく動かないと、何かを始めないと、と。実にその通りだと響紀は頷き、一歩足を踏み出した。

 あのあと、結奈は二人で一緒に行動するよりも、それぞれが別々に調べた方が効率がいいだろうと言って、ひとりどこかへ行ってしまった。曰く、自分の知っている人づてを使って、より詳しくあの喪服の女の生前について調べるのだという。その間、響紀にはそれとは別の、死者から見た死後の喪服の女や、それに付き従っている者たちについて、もっと詳しく調べてみて欲しい、そんな無茶を言い残していったのだ。

 しかし、そんなこと言われたって、どうやって調べたらいいものか、響紀にだって解るはずがなかった。死して数日しか経過していない、いったい何をどうしたらいいのか解らない状態のこの俺を、ひとり放置していくとは何事か、と軽く憤りを覚えてしまうほどだった。

 いまだ雨は降り続き、響紀の身体を槍のごとく貫き地に落ちていく。死んでいるのだから衣服など着ているはずがない。着ているはずのないものが雨になど濡れるはずがない。それなのに響紀の衣服はまるで生きていたころのようにびしょ濡れで、だからこそ自分が死んでいるという事実を、改めて実は夢だったのではないかと思わせた。

 確かに自分の姿は結奈以外の生者には見えてはいない。見えていないだけでなく、すれ違う際に、本来ならば肩がぶつかるような距離でもすり抜けてしまう、それが確かに響紀が死者であることを認めざるを得ない、何とも悔しい気持ちにさせた。

 今頃母は病院で、淡々と流れる時を一人寂しく過ごしているのだろう。それが何とも悲しくて、口惜しくて、響紀は道を歩きながら鬱々とした気分に苛まれた。

 こんな気持ちになったのはいつ以来だろうか。いや、ない。おそらく、こんな気持ちになったことなんて、これまでの人生で一度だってなかった。祖父や祖母が亡くなった時だって、こんな喪失感に襲われたことはない。自分に最も近しい人間であるからこそ、これほどまでに虚しい心持にさせるのだ。

 響紀は深い深いため息を一つ吐いた。しかし、このため息ですら、本当に吐いているのかすら、自分には判らなかった。何しろ自分には肉体がない。肉体がないということは吐くべき息がない。何しろ呼吸をおこなう肺という臓器だって、当然のように有りはしないのだから。ならば今自分が吐いたこれはいったい何なのか。吐いたと思い込んでいるこの息と思しきものは何なのか。

 解らない、判らない。わからない。

 結奈と行動を別にしてからというもの、どういうわけか俺は気弱になってしまったらしい。何がそうさせたのか判らないけれど、或いは自分の存在を唯一認識してくれる生者である結奈に、どこか依存しつつあるのかも知れなかった。

 たぶん、これが結奈の言っていたアレだ。

『死者は死んだことで孤独を得る。孤独を募らせて、救いを求めて彷徨って。そうして自分の姿や声を認識できる生者が現れた時、そこに救いを見て取り憑き、害を成す。そこに悪意があろうがなかろうが関係ない。何故なら、彼らはただ、死と孤独から救われるのを望んでいるだけだから』

 今の俺は、そんな奴らとどこが違う? 何が異なる? この気持ちが、虚しさが、寂しさが、心細さが、俺という存在、いや、存在しているかどうかすらあやふやな、この『何か』を唯一認識してくれる結奈を――救いを求めて――俺は。

 その時だった。

 何かじんわりと暖かなものが響紀の右手首に感じられた。見れば、香澄から貰ったブレスレットが微かに輝いている。その光は淡く、優しく、まるで響紀の虚しい心を癒してくれるかのようで。

「……そうだな」

 響紀は一つ頷き、そのブレスレットを左手で軽く包み込んだ。瞼を閉じて、もう一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。そうしていると、今まで淀んでいた心のわだかまりが、徐々に徐々に薄まっていくような気がした。

 そうだ。俺までアイツらと同じようになってはいけない。俺は、アイツらとは違うんだ。何が、とは言わない。そんなの、俺にだって解らない。けれど、俺は誓ったのだ。母や父や、そしてあの喪服の女に狙われている奈央を、俺の大切な家族を、アイツらから守るのだと心に強く刻み込んだのだ。

 ――そう、心。

 俺が何者であるかなんて、本当にここに『存在』しているのかなんて、そんなものは関係ない。

 幽霊、というものが『存在』するのであるならば、恐らくそれは『心』だ。

 肉体を失い、『心』だけの『存在』となったもの、それが俺やアイツら。

 たぶん、そういうことだ。

『心』であるからこそ、悪意もあれば善意もある。そこは生きていたころと何一つ変わらない。変わったのは、そう。肉体があるかないか、ただそれだけだ。

 幽霊――魂――心。

 心は変わるものだ。改心する、ともいうじゃないか。

 ならば、あの喪服の女だって、どうにかすれば、きっと――

 響紀は大きく頷くと、じっと目の前に見える、峠への道を睨みつけた。

 とにかく今は、心を強く持つべきだ。こんなところで弱気になっているような場合じゃない。一刻も早く、あの女を止める手立てを見つけなければならないのだ。そうでなければ、母親だけではなくて、父親までも、そしてその先には奈央へと女の手がかかってしまうのだから。

 ざあざあと降る雨の中を、響紀は一歩一歩、重たい足取りで前へ進んだ。それはまるで、自身の身体が周りの水分をすべて吸収して、体重が一気に増えてしまったかのような、そんな何とも言えない動きづらさを伴っていた。恐らく、女に対するある種の恐怖がそんな拒絶反応のように表れてしまっているのだろう。響紀は今一度香澄から受け取ったブレスレットに手を当てると、大きく深呼吸を一つした。

 大丈夫、大丈夫だ。怖がる必要はない。今の俺には、香澄の孫である結奈の協力もある。決して一人というわけじゃない。だから勇気を持て、自信を持て。

 ふと周囲を見回せば、いつの間にか響紀はしんと静まり返った通りのど真ん中を、ひとりとぼとぼと歩いていた。唯一あたりに響いているのは雨音のみ。そこには人影一つなく、立ち並んでいる家々からはどんな生活音も聞こえてはこなかった。すべての音を雨が吸収してしまったかのようなそんな中を歩き続けて、響紀はついに女の住む廃屋の待ち受ける峠の道に差し掛かった。

 目の前に建つコンビニを一瞥してから、恐る恐る左の方、峠の上へと視線を向ける。どんよりとした鈍色の空の下で、叩きつけるような雨を全身に受けながら、響紀は右手側に見える鬱蒼と生い茂る木々の陰と、その合間に見える、お寺へと続く小さな階段、そしてそのすぐ傍に建つ小さな祠と地蔵に、わずかながら畏れを感じた。結奈と出会った神社でも感じた、まるで何かに強く睨みつけられているかのような、そんな感覚だ。

 響紀はすぐにそれから目をそらすと、峠の上、件の廃屋の方へと意識を集中させ、足を進めた。じゃりじゃりと足音が聞こえてくるのは、きっと歩いているという思い込みから生まれた幻聴だろう。なにしろ、響紀には音を発するべき足だって実際には有していないのだから。そこに見えるのは足に見える意識の“何か”

 俺は幽霊で、肉体を失った魂だけの存在で、魂とはつまり『心』そのものだ。

 今自分が見ている手も、服を着ているこの身体も、靴を履いているように見えるこの足も、すべては幻。生きていた頃の記憶が生み出した、まやかしと呼べるただの“何か”だ。

 なるほど、香澄や結奈があやふやなことばかり言うのも、今なら何となく理解できそうな気がした。

 いや、違う。正確には、何も解ってなどいない。その“何か”が結局のところ本当は“何”なのか、まったく以て解っていないのだから。それでもそれを”何か“と割り切ってしまうことによって、”何か“が解ったような気がするのもまた不思議でならなかった。

 “何か”は”何か“だ。なんだって構わない。とにかく俺はここにいて、意識のような存在で、恐らく心そのもので。

 “何か”が“心”のことなのか、それだって何一つ解らないのだけれど、とにかく今はそこで自分の気持ちに折り合いをつけるしかない、そう響紀は思ったのだった。

 やがて響紀は峠の道を登り切り、下りへと差し掛かるその手前、そこに建つあの廃屋の前で立ち止まった。

 廃屋からは言い知れぬ恐ろしい黒い影が目に見えているわけでもないのに感じられて、短絡的にここへと戻ってきてしまった自分の考えの浅はかさに今さらのように恥ずかしくなった。もっと外堀から調べていくべきだったのではないか。こんな敵の本拠地に、数日前にここから逃げ出した俺自身が、俺自身の意思によって戻ってきてしまったのだから、滑稽と言わずして何と言えば良いのだろうか。

 響紀は一瞬、ここまで来た道のりを引き返して、何か別の方法で喪服の女やそれに付き従う男たちについて調べられないかと考えた。へっぴり腰になって、とにかくここから逃げ出したい気持ちに一気に駆られて、そして。

「……へぇ、よく戻って来られたね」

 聞き覚えのあるその声に、響紀の身体は凍り付いた。

 すぐ背後に、その声の主であろう何者かが、音もなく、ぴったりと張り付くように立っている気配を感じて、
「――っ」
 響紀は(おそらく)息を吸い込み、けれどその場に立ち尽くしたまま、振り返ることすらままならなかった。

 声の主――かつての友人であるその声は、
「あの娘はどうしたの? 連れてきてくれるんじゃなかったのか?」
 まるであざけるように、響紀の耳元で、息を吹きかけるかのようにそう言った。

 響紀はぞくりと寒気――いや、怖気を感じて身震いし、右足を一歩前へ出すようにしてよろめいてしまう。何かを言い返してやりたかったけれど、何を言い返したら良いものか、まるで言葉が浮かんでこなかった。

「まぁ、いいけど」
 声は言って、すうっと響紀をすり抜けるように、見覚えのある姿となって数歩前まで歩いていくと、くるりとこちらに振り向いて、
「なに? 俺らの仲間になる気になった? 別に俺は構わないよ。だって、それはあの子が望んだことだからね。俺は、あの子が幸せならそれでいいんだ。他がどうなろうと、そんなことはどうでもいいんだ。俺にとって、あの子は女神さまだからさ。ほんと、相原には感謝してるんだ。確かに俺はあの子に殺された。でも、そのおかげで俺はいつでもあの子と繋がれるようになったんだ。俺はあの子、あの子は俺。もちろん、あの子を独り占めしてやりたい気持ちはなくはないよ。でも、それを彼女は望んでいない。だから仕方がないんだ。俺は認める、もちろん、お前のこともな」

 にやりと笑ったかつての友人の、その青白い不気味な笑みが、響紀はとにかく恐ろしくて仕方がなかった。
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