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第5章 繰り返す悪夢
第3回
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3
「僕も解らないんだ。どうして夢の中に閉じ込められてしまったのか」
シモハライ先輩はそう言って、大きな溜息を漏らした。
「以前見せられたことのある夢――夢渡りの魔法とは全然違うと思う。僕も最初は真帆のいたずらか何かだろうと思って、さっきからあっちこっち真帆を探して彷徨い歩いていたんだけど、どこにも真帆のいる気配なんて感じられなかった。たぶん、この夢はそもそも真帆の見ている夢じゃないんだ。他の誰か、それが誰なのかは判らないけれど、その誰かに意図的に僕らは集められたような気がしてならないんだ」
「誰かに、意図的に?」
わたしが繰り返すと、シモハライ先輩はこくりと頷いて榎先輩に顔を向けて、
「榎先輩、何か心当たりとかありませんか?」
「心当たりって言われても……」
困ったように眉を寄せる榎先輩。
シモハライ先輩は「そうですねぇ」と口元に手をやりながら、
「例えば、誰かから魔法をかけられたとか」
「……そんなの、かけられた時点ですぐにわかるじゃん」
榎先輩の返答に、確かにそうだ、とわたしは思った。
もし何らかの魔法をかけられていたとして、その自覚があれば、そもそもこんなに悩んだりしていない。解らないから困っているのだ。
いったい、誰が、何の目的で、誰の夢の中に、わたしたちを閉じ込めているのか。
それが判らない限り、わたしたちはいつまでたっても前へは進めないような気がしてならなかった。
「シモハライくんは?」
逆に尋ねられて、シモハライ先輩は榎先輩に視線を向ける。
「シモハライくんもこの夢に閉じ込められてるってことは、誰かに何かの魔法をかけられたってことなんでしょ? 心当たりとか、ないわけ?」
「僕は……」
とシモハライ先輩はアハハ、と頭を掻いて笑いながら、
「僕も心当たりはないですね」
なんだ、結局なんの頼りにもなってないじゃないか、なんてことは口には出さない。つっこんだところで仕方がないし、もしかしたら二人よりも三人のほうが何かいい案が浮かぶかもしれない。ほら、三人寄れば文殊の知恵っていうでしょ?
わたしもつられて笑っていると、
「カネツキさんは?」
訊ねられて、わたしも思わず困ってしまった。
わたしだって、特に心当たりがあるわけじゃない。
わたしもこの夢を楸先輩の夢だとばかり思っていたし、実は違うかもしれないって話になったって、そんなの――
「……っ!」
その時、わたしの脳裏に何かの映像が一瞬、フラッシュバックしたような気がした。
それは本当に一瞬の出来事で、先ほど夢の壁に触れた時のように、どこか曖昧で、靄がかかっているようにぼやけていて不鮮明で――だけど。
「……誰かに、魔法をかけられた」
それは絶対に間違いない。そしてわたしは、その事実を忘れている。
ぼんやりとだけど、見えた人影。それはわたしに何かを話しかけてきて、そして?
なんで? どうして? いったい誰に、いつ、そんな魔法をかけられた?
眉間に手をやり、わたしは必死にそれを思い出そうと試みる。
そんなわたしに、シモハライ先輩は目を見開き、
「もしかして、心当たりあるの?」
一歩、詰め寄ってくる。
けれど、全然思い出すことなんてできなくて。
「わかりません。記憶がぼやけていて、思い出せないんです」
わたしはそうはっきりと口にして、
「おふたりは? わたしにぼんやりと記憶があるみたいに、榎先輩もシモハライ先輩も何か思い出せませんか?」
う~ん、と榎先輩は額に手を当てて小さく唸り、
「誰かに――誰かに――」
と何度も繰り返し口にして、
「僕に魔法をかけた誰か……」
とシモハライ先輩も眉間に皺を寄せて考え始める。
三人が三人して頭を抱え始めて、けれど全然思い出せなくて。
互いにかぶりを振って肩をすくめた時だった。
ふわり、と何かがわたしたち三人の目の前に落ちてきた。
それはどこからともなく現れ、ひらひらと頼りなく左右に揺れながら舞うように落下していくと、やがて音もなくわたしの足元に着地した。
「えっ」
とシモハライ先輩はそれを見て目を見開き、
「これ」
と榎先輩もぽかんと口を開けてそれを見つめる。
わたしは腰を屈めて、その落ちてきた白い羽を拾い上げながら、
「もしかして、アリスさんから貰った羽?」
そう口にすると、さらにふわりふわりともう二枚、今度は榎先輩とシモハライ先輩の目の前にも、同じように白い羽が舞い落ちてきた。
ふたりはその羽をそれぞれ優しく手で掴むと、
「……ふたりも、アリスさんから貰っていたのか」
「そうみたいだね」
とシモハライ先輩と榎先輩は口にして、わたしたちはその羽を互いに見せ合う。
『何かあった時に、すぐに私やイノクチ先生が駆けつけられるように、報せの魔法をかけた羽』
アリスさんはそう言って、わたしにこの魔法の白い羽をくれたのだ。
だけど。
「――で、これでいったい、どうしろって?」
わたしが思ったのと同じことを、シモハライ先輩は口にした。
わたしたちはそれぞれ自分の持つ羽を矯めつ眇めつして、けれどどこにも変わった点のないただの羽にしか見えず、途方に暮れた。
「……これ、どうやって使うんだろ」
シモハライ先輩が言って、わたしも榎先輩も首を傾げた。
「アリスさんは、すぐにイノクチ先生やアリスさんが駆けつけられるよう、報せの魔法をかけておいたって言ってましたけど、先輩たちには?」
訊ねると、榎先輩は、
「わたしも、学校の帰り道に、念のためにって渡されただけだから――シモハライくんは?」
「僕は、イノクチ先生から受け取ったんだ。アリスさんの魔法がかかっているから、絶対に枕元に置いておけって。だけど、この羽の使い方とかは、全然聞いていないんだ」
ごめん、と口にするシモハライ先輩に、わたしも榎先輩も小さく首を横に振る。
それからわたしたちは深い深いため息を吐いてから、
「とにかく、これが何かの役に立つかもしれない。とりあえずこのまま持っておくとして」
とシモハライ先輩はその羽をズボンのポケットに収めて、
「このまま何か変化があるまでここで待ってる? それとも、先へ進むか戻るかする?」
「……あたしは、戻ってみた方が良いと思う」
蒸し返すように榎先輩が口にするので、わたしも負けじと、
「わたしはこのまま道を進みたいです」
言って、シモハライ先輩に顔を向けた。
ずるいかも知れないけど、ここで榎先輩と喧嘩するより、シモハライ先輩の判断に従おうと思ったのだ。もちろん、それが正解である保証なんて、どこにもないのだけれど。
するとシモハライ先輩は「なるほど」と腕組みをして、
「カネツキさんには悪いけど、この先にも何もなかったよ。何せ、僕はあっち側から来たんだから。少なくとも、あっち側には何もなかった」
「じゃぁ、やっぱり引き返して――」
踵を返そうとする榎先輩に、けれどシモハライ先輩は、
「あ、待ってください、榎先輩」
「……なによ」
明らかに不機嫌そうな返事。
それを無視するように、シモハライ先輩は窓の方へ歩み寄ると、
「らちが明かないから、こっちから行ってみましょう」
「えっ」
「はぁ?」
驚くわたしたちには目もくれず、シモハライ先輩は窓枠に手をかけて、
「よっ!」
そんな掛け声とともに、一気に窓を開け放った。
開け放たれた窓の向こう側には黒い闇が広がっていて、もわもわと霧のような煙のような、得体の知れない気体が充満している。
シモハライ先輩はその黒い闇に向かって、何のためらいもなく右腕を突っ込んで。
「ちょ、ちょっとシモハライくん!」
慌てたように榎先輩が駆け寄った。
わたしもつられてその後を追い、
「だ、大丈夫なんですか?」
「さぁ?」
首を傾げるシモハライ先輩。
彼はニヤリと口元に笑みを浮かべると、
「――でも、真帆ならきっと、こうするんじゃないかなって」
「確かにそうだけど、なに、その理由」
「理由になってませんよ! 危ないかも知れないじゃないですか!」
絶対、辞めた方が良いと思う。何かあってからじゃ遅いんだ。
ただでさえこんな訳の解らない世界に閉じ込められて、いつこの闇の中から夢魔が襲い掛かってくるとも知れないのに、あえて危ないことをする必要なんてないじゃない!
でも、シモハライ先輩は首を横に振って、
「まぁ、やるだけやってみよう」
そんな何の根拠もない、前向きな発言をしてから、
「それ!」
意を決したように、闇の中に飛び込んでいったのだ。
「シモハライくん!」
「先輩!」
思わず声を上げ、わたしと榎先輩は、シモハライ先輩の消えた窓の外、その闇をじっと見つめた。
どうしてあんなことができるのか、わたしには理解できなかった。
そんな危険なことをして、いったいどうするつもりなんだろうか。
何が起こるか解らないのに、こんな、こんな危ないこと――
変な汗が全身から吹き出してきて、一瞬にして呼吸が荒くなった。
見れば、榎先輩も目を大きく見開き、固唾を飲んで窓の外を凝視している。
闇の向こう側からは何の音も聞こえてはこなかった。
何も変わることはなかった。
ただ、その中にシモハライ先輩が消えてしまったことを除いては。
「し、シモハライ、先輩……」
思わず口にした時だった。
「ふたりとも! こっちに!」
闇の向こう側から、シモハライ先輩の叫ぶ声がした。
どうやら無事らしい、とわたしも榎先輩も、ほっと胸を撫でおろす。
榎先輩は闇に向かって、
「なに? 何があるの?」
声を掛けると、
「外に出てみてください!」
再びシモハライ先輩の声がする。
わたしと榎先輩は顔を見合わせ、しばし逡巡する。
果たしてこの声は、本当にシモハライ先輩のモノなのだろうか。
確か、イノクチ先生が言ってなかっただろうか。
夢魔は、擬態すると。
もしかしたら、この闇の向こう側にいるのが、その擬態した夢魔である可能性だって無いわけじゃない。だとしたら、これは相当に危険なのではないだろうか。声だけがして、当の本人の姿が見えない。そもそも、本当にアレはシモハライ先輩だったんだろうか。唐突に現れて、窓の外に誘い出して、わたしや、榎先輩を――
そう思いながら榎先輩に視線をやって、わたしの中に疑念が過る。
なら、榎先輩は? この榎先輩も、本当に、本物の榎先輩なのだろうか? もしかしたら、この榎先輩だって夢魔の擬態した姿である可能性があるのだ。絶対にそうではないと言い切れない。或いはシモハライ先輩も榎先輩も、二人とも夢魔の擬態した姿で、わたしを、
「――ちょっと、大丈夫? アオイ」
榎先輩がわたしに振り向き、眉間に皺を寄せながら訊ねてきた。
「顔色悪いけど、平気……なわけないよね」
「あ、いえ、わたしは」
言いかけて、けれど何も言えなくて。
今、自分の心に過った不安を口に出すことすら恐ろしくて、わたしは首を横に振った。
「……大丈夫です」
「まぁ、不安だよね。こんな明らかに危なそうなこと、できるわけないもの」
「そう、ですね」
「これはホント、シモハライくんも真帆みたいになってきたね」
「そうなんですか?」
うん、と榎先輩は頷いて、
「前はここまで思いっきりのいい性格じゃなかったと思うよ。逆に真帆はなんでもやってみよう、試してみようって、何の根拠もないのにアレコレ強引にやっちゃう性格だからさ。あんなのと付き合ってるうちに、影響されちゃったんだろうね」
「……はぁ」
よく解らないまま返事して、もう一度、わたしは窓の外の闇に目を向けた。
「さぁ、どうする? あたしらも行ってみる?」
「えっ」
榎先輩に声を掛けられ、わたしは迷う。
どうしよう、どうしよう。本当にこの中に飛び込んで大丈夫なのか、危険はないのか。
いや、危険なのはこの夢に居る間、ずっと変わりないはずだ。この夢から抜け出さない限り、夢魔に襲われるかもしれない。それによって魔力を吸い取られて、命を落としてしまうかも知れないことには変わりないのだ。
なら――と決意を固めようとしたところで、
「もう! なにやってんだよ!」
闇の中から当のシモハライ先輩が顔を覗かせ、
「大丈夫だから、早くおいでよ!」
急かすように、ふんっと鼻を鳴らしたのだった。
そこにいるのは、間違いなく、何の害もなさそうな、ただのシモハライ先輩で。
その様子に、わたしも榎先輩も思わず笑みを漏らす。
……たぶん、大丈夫。
あの夢魔に出くわした時の嫌な感じなんて、全然しなかった。
「行こう、アオイ」
榎先輩がわたしに右手を差し出してきて、
「はい!」
わたしは頷くと榎先輩と固く手を結び、
「「えいっ!」」
二人一緒に、闇の中に飛び込んだ。
「僕も解らないんだ。どうして夢の中に閉じ込められてしまったのか」
シモハライ先輩はそう言って、大きな溜息を漏らした。
「以前見せられたことのある夢――夢渡りの魔法とは全然違うと思う。僕も最初は真帆のいたずらか何かだろうと思って、さっきからあっちこっち真帆を探して彷徨い歩いていたんだけど、どこにも真帆のいる気配なんて感じられなかった。たぶん、この夢はそもそも真帆の見ている夢じゃないんだ。他の誰か、それが誰なのかは判らないけれど、その誰かに意図的に僕らは集められたような気がしてならないんだ」
「誰かに、意図的に?」
わたしが繰り返すと、シモハライ先輩はこくりと頷いて榎先輩に顔を向けて、
「榎先輩、何か心当たりとかありませんか?」
「心当たりって言われても……」
困ったように眉を寄せる榎先輩。
シモハライ先輩は「そうですねぇ」と口元に手をやりながら、
「例えば、誰かから魔法をかけられたとか」
「……そんなの、かけられた時点ですぐにわかるじゃん」
榎先輩の返答に、確かにそうだ、とわたしは思った。
もし何らかの魔法をかけられていたとして、その自覚があれば、そもそもこんなに悩んだりしていない。解らないから困っているのだ。
いったい、誰が、何の目的で、誰の夢の中に、わたしたちを閉じ込めているのか。
それが判らない限り、わたしたちはいつまでたっても前へは進めないような気がしてならなかった。
「シモハライくんは?」
逆に尋ねられて、シモハライ先輩は榎先輩に視線を向ける。
「シモハライくんもこの夢に閉じ込められてるってことは、誰かに何かの魔法をかけられたってことなんでしょ? 心当たりとか、ないわけ?」
「僕は……」
とシモハライ先輩はアハハ、と頭を掻いて笑いながら、
「僕も心当たりはないですね」
なんだ、結局なんの頼りにもなってないじゃないか、なんてことは口には出さない。つっこんだところで仕方がないし、もしかしたら二人よりも三人のほうが何かいい案が浮かぶかもしれない。ほら、三人寄れば文殊の知恵っていうでしょ?
わたしもつられて笑っていると、
「カネツキさんは?」
訊ねられて、わたしも思わず困ってしまった。
わたしだって、特に心当たりがあるわけじゃない。
わたしもこの夢を楸先輩の夢だとばかり思っていたし、実は違うかもしれないって話になったって、そんなの――
「……っ!」
その時、わたしの脳裏に何かの映像が一瞬、フラッシュバックしたような気がした。
それは本当に一瞬の出来事で、先ほど夢の壁に触れた時のように、どこか曖昧で、靄がかかっているようにぼやけていて不鮮明で――だけど。
「……誰かに、魔法をかけられた」
それは絶対に間違いない。そしてわたしは、その事実を忘れている。
ぼんやりとだけど、見えた人影。それはわたしに何かを話しかけてきて、そして?
なんで? どうして? いったい誰に、いつ、そんな魔法をかけられた?
眉間に手をやり、わたしは必死にそれを思い出そうと試みる。
そんなわたしに、シモハライ先輩は目を見開き、
「もしかして、心当たりあるの?」
一歩、詰め寄ってくる。
けれど、全然思い出すことなんてできなくて。
「わかりません。記憶がぼやけていて、思い出せないんです」
わたしはそうはっきりと口にして、
「おふたりは? わたしにぼんやりと記憶があるみたいに、榎先輩もシモハライ先輩も何か思い出せませんか?」
う~ん、と榎先輩は額に手を当てて小さく唸り、
「誰かに――誰かに――」
と何度も繰り返し口にして、
「僕に魔法をかけた誰か……」
とシモハライ先輩も眉間に皺を寄せて考え始める。
三人が三人して頭を抱え始めて、けれど全然思い出せなくて。
互いにかぶりを振って肩をすくめた時だった。
ふわり、と何かがわたしたち三人の目の前に落ちてきた。
それはどこからともなく現れ、ひらひらと頼りなく左右に揺れながら舞うように落下していくと、やがて音もなくわたしの足元に着地した。
「えっ」
とシモハライ先輩はそれを見て目を見開き、
「これ」
と榎先輩もぽかんと口を開けてそれを見つめる。
わたしは腰を屈めて、その落ちてきた白い羽を拾い上げながら、
「もしかして、アリスさんから貰った羽?」
そう口にすると、さらにふわりふわりともう二枚、今度は榎先輩とシモハライ先輩の目の前にも、同じように白い羽が舞い落ちてきた。
ふたりはその羽をそれぞれ優しく手で掴むと、
「……ふたりも、アリスさんから貰っていたのか」
「そうみたいだね」
とシモハライ先輩と榎先輩は口にして、わたしたちはその羽を互いに見せ合う。
『何かあった時に、すぐに私やイノクチ先生が駆けつけられるように、報せの魔法をかけた羽』
アリスさんはそう言って、わたしにこの魔法の白い羽をくれたのだ。
だけど。
「――で、これでいったい、どうしろって?」
わたしが思ったのと同じことを、シモハライ先輩は口にした。
わたしたちはそれぞれ自分の持つ羽を矯めつ眇めつして、けれどどこにも変わった点のないただの羽にしか見えず、途方に暮れた。
「……これ、どうやって使うんだろ」
シモハライ先輩が言って、わたしも榎先輩も首を傾げた。
「アリスさんは、すぐにイノクチ先生やアリスさんが駆けつけられるよう、報せの魔法をかけておいたって言ってましたけど、先輩たちには?」
訊ねると、榎先輩は、
「わたしも、学校の帰り道に、念のためにって渡されただけだから――シモハライくんは?」
「僕は、イノクチ先生から受け取ったんだ。アリスさんの魔法がかかっているから、絶対に枕元に置いておけって。だけど、この羽の使い方とかは、全然聞いていないんだ」
ごめん、と口にするシモハライ先輩に、わたしも榎先輩も小さく首を横に振る。
それからわたしたちは深い深いため息を吐いてから、
「とにかく、これが何かの役に立つかもしれない。とりあえずこのまま持っておくとして」
とシモハライ先輩はその羽をズボンのポケットに収めて、
「このまま何か変化があるまでここで待ってる? それとも、先へ進むか戻るかする?」
「……あたしは、戻ってみた方が良いと思う」
蒸し返すように榎先輩が口にするので、わたしも負けじと、
「わたしはこのまま道を進みたいです」
言って、シモハライ先輩に顔を向けた。
ずるいかも知れないけど、ここで榎先輩と喧嘩するより、シモハライ先輩の判断に従おうと思ったのだ。もちろん、それが正解である保証なんて、どこにもないのだけれど。
するとシモハライ先輩は「なるほど」と腕組みをして、
「カネツキさんには悪いけど、この先にも何もなかったよ。何せ、僕はあっち側から来たんだから。少なくとも、あっち側には何もなかった」
「じゃぁ、やっぱり引き返して――」
踵を返そうとする榎先輩に、けれどシモハライ先輩は、
「あ、待ってください、榎先輩」
「……なによ」
明らかに不機嫌そうな返事。
それを無視するように、シモハライ先輩は窓の方へ歩み寄ると、
「らちが明かないから、こっちから行ってみましょう」
「えっ」
「はぁ?」
驚くわたしたちには目もくれず、シモハライ先輩は窓枠に手をかけて、
「よっ!」
そんな掛け声とともに、一気に窓を開け放った。
開け放たれた窓の向こう側には黒い闇が広がっていて、もわもわと霧のような煙のような、得体の知れない気体が充満している。
シモハライ先輩はその黒い闇に向かって、何のためらいもなく右腕を突っ込んで。
「ちょ、ちょっとシモハライくん!」
慌てたように榎先輩が駆け寄った。
わたしもつられてその後を追い、
「だ、大丈夫なんですか?」
「さぁ?」
首を傾げるシモハライ先輩。
彼はニヤリと口元に笑みを浮かべると、
「――でも、真帆ならきっと、こうするんじゃないかなって」
「確かにそうだけど、なに、その理由」
「理由になってませんよ! 危ないかも知れないじゃないですか!」
絶対、辞めた方が良いと思う。何かあってからじゃ遅いんだ。
ただでさえこんな訳の解らない世界に閉じ込められて、いつこの闇の中から夢魔が襲い掛かってくるとも知れないのに、あえて危ないことをする必要なんてないじゃない!
でも、シモハライ先輩は首を横に振って、
「まぁ、やるだけやってみよう」
そんな何の根拠もない、前向きな発言をしてから、
「それ!」
意を決したように、闇の中に飛び込んでいったのだ。
「シモハライくん!」
「先輩!」
思わず声を上げ、わたしと榎先輩は、シモハライ先輩の消えた窓の外、その闇をじっと見つめた。
どうしてあんなことができるのか、わたしには理解できなかった。
そんな危険なことをして、いったいどうするつもりなんだろうか。
何が起こるか解らないのに、こんな、こんな危ないこと――
変な汗が全身から吹き出してきて、一瞬にして呼吸が荒くなった。
見れば、榎先輩も目を大きく見開き、固唾を飲んで窓の外を凝視している。
闇の向こう側からは何の音も聞こえてはこなかった。
何も変わることはなかった。
ただ、その中にシモハライ先輩が消えてしまったことを除いては。
「し、シモハライ、先輩……」
思わず口にした時だった。
「ふたりとも! こっちに!」
闇の向こう側から、シモハライ先輩の叫ぶ声がした。
どうやら無事らしい、とわたしも榎先輩も、ほっと胸を撫でおろす。
榎先輩は闇に向かって、
「なに? 何があるの?」
声を掛けると、
「外に出てみてください!」
再びシモハライ先輩の声がする。
わたしと榎先輩は顔を見合わせ、しばし逡巡する。
果たしてこの声は、本当にシモハライ先輩のモノなのだろうか。
確か、イノクチ先生が言ってなかっただろうか。
夢魔は、擬態すると。
もしかしたら、この闇の向こう側にいるのが、その擬態した夢魔である可能性だって無いわけじゃない。だとしたら、これは相当に危険なのではないだろうか。声だけがして、当の本人の姿が見えない。そもそも、本当にアレはシモハライ先輩だったんだろうか。唐突に現れて、窓の外に誘い出して、わたしや、榎先輩を――
そう思いながら榎先輩に視線をやって、わたしの中に疑念が過る。
なら、榎先輩は? この榎先輩も、本当に、本物の榎先輩なのだろうか? もしかしたら、この榎先輩だって夢魔の擬態した姿である可能性があるのだ。絶対にそうではないと言い切れない。或いはシモハライ先輩も榎先輩も、二人とも夢魔の擬態した姿で、わたしを、
「――ちょっと、大丈夫? アオイ」
榎先輩がわたしに振り向き、眉間に皺を寄せながら訊ねてきた。
「顔色悪いけど、平気……なわけないよね」
「あ、いえ、わたしは」
言いかけて、けれど何も言えなくて。
今、自分の心に過った不安を口に出すことすら恐ろしくて、わたしは首を横に振った。
「……大丈夫です」
「まぁ、不安だよね。こんな明らかに危なそうなこと、できるわけないもの」
「そう、ですね」
「これはホント、シモハライくんも真帆みたいになってきたね」
「そうなんですか?」
うん、と榎先輩は頷いて、
「前はここまで思いっきりのいい性格じゃなかったと思うよ。逆に真帆はなんでもやってみよう、試してみようって、何の根拠もないのにアレコレ強引にやっちゃう性格だからさ。あんなのと付き合ってるうちに、影響されちゃったんだろうね」
「……はぁ」
よく解らないまま返事して、もう一度、わたしは窓の外の闇に目を向けた。
「さぁ、どうする? あたしらも行ってみる?」
「えっ」
榎先輩に声を掛けられ、わたしは迷う。
どうしよう、どうしよう。本当にこの中に飛び込んで大丈夫なのか、危険はないのか。
いや、危険なのはこの夢に居る間、ずっと変わりないはずだ。この夢から抜け出さない限り、夢魔に襲われるかもしれない。それによって魔力を吸い取られて、命を落としてしまうかも知れないことには変わりないのだ。
なら――と決意を固めようとしたところで、
「もう! なにやってんだよ!」
闇の中から当のシモハライ先輩が顔を覗かせ、
「大丈夫だから、早くおいでよ!」
急かすように、ふんっと鼻を鳴らしたのだった。
そこにいるのは、間違いなく、何の害もなさそうな、ただのシモハライ先輩で。
その様子に、わたしも榎先輩も思わず笑みを漏らす。
……たぶん、大丈夫。
あの夢魔に出くわした時の嫌な感じなんて、全然しなかった。
「行こう、アオイ」
榎先輩がわたしに右手を差し出してきて、
「はい!」
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