魔法百貨堂 〜歌と魔法の物語〜

ノムラユーリ(野村勇輔)

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ごにんめ

第1回

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   1

 白い横開きのドアをゆっくりと開ける。

 六床のベッドのうち、患者は三人。

 それぞれカーテンを掛けている所為で中は見えない。

 部屋の奥には大きな窓、その向こう側には多くの島々が浮かぶ海が見下ろせる。

 澄み渡った空に浮かぶ白い雲がゆっくりと風に流されていた。

 その窓際の右側のベッドへ向かい、カーテンを回り込むように覗き込むと、そこにはやせ細った身体を小さく縮こまらせた老婆の姿があった。

 軽く布団を被り、小さな寝息を立てている。

 抜け落ちた毛髪は若き日の面影などどこにもなく、けれどそこに居るのは間違いなく私の妻その人だった。

 私は妻を起こさないよう、その脇の椅子に腰かけた。

 見るからに痛々しいその姿に思わず眉をひそめてしまう。

 我慢強く、弱音を吐かない妻が体調を崩して医者に罹ってから、もう三年。

 抗がん剤や放射線治療の甲斐も空しく、がんは至る所に転移し、もはや完治の可能性もなく、あとは死を待つばかり。

 延命治療も妻の希望を尊重し、もう辞めてしまった。

 息子や娘には散々なことを言われ号泣されたが、しかしこれが私たちの選んだ選択だった。

 妻と一緒になってから、六十年以上の月日が流れた。

 あっという間の人生だった。

 子供たちが独り立ちしてからは、色々なところへ旅行へ行った。

 駆け落ち同然に妻と一緒になって、苦労をかけて。

 けれど、妻は嫌な顔一つせず私についてきてくれて。

 そもそも私には、親の決めた女性がいた。

 私の意思とは無関係に話は進んでいき、間もなく結納となったある日。

 妻が私に愛の言葉を告げに来た。

 それはあまりに突然で、熱烈で。

 私は親の制止を振り切って、妻と一緒に実家を飛び出した。

 妻と出会ったのは高校の頃。

 一つ下の後輩で、当時から私を慕ってくれていた。

 可愛らしい、気丈なお嬢さんだった。

 一見して弱々しく可愛らしい娘だったが、その芯はとても固く強かった。

 高校を卒業してからは一度も会うことはなかったが、そんな私のもとにやってきた彼女を私は選んだのだ。

 苦労も多かったが、けれど共に歩んだこの六十年はとても楽しくて、愛おしくて。

 まだまだ行きたいところが他にあった。
 二人でやってみたいことも沢山あった。

 けれど、病魔がそれらを許さなかった。

 私は大きな溜息を一つ吐き、妻の顔をじっと見つめる。

 あれだけふくよかだった頬はすっかりこけ、手足も枝のように細くなっている。

 肌は全体的に黒ずみ、どれほどの余命いくばくかも知れなかった。

「……?」
 気だるげに、ゆっくりと開かれる妻の瞼。
「あら、あなた、来てたんですか」
 弱々しい妻の声。

 無理して身体を起こそうとするのを、私は腕を伸ばして制止しつつ、
「良い良い、そのまま横になっていなさい」

 妻も起き上がるのが辛いのだろう、素直に私の言葉に従った。

 それからうっすらと瞼を開けたまま、
「……ちゃんと、食べてますか?」
 自分のことより、私の事を心配する。

「大丈夫だ」
 私は頷き、
「貴子が何日か置きに来てくれているし、大抵のことは自分でやっているから安心しなさい」

「そうですか」
 喋るのすら億劫そうで、少し息が荒い。

 私はそんな妻を見ていられなくて、窓の外に目を向けて、
「いい天気だな」
 当り障りのない言葉を口にした。

「……そうですね」
 妻は小さく返事して、
「――こんな日は、またどこかへ行きたいですね」
 叶わぬ望みを口にする。

 私は締め付けられるような思いの中、
「――そうだな」
 とだけ口にした。

 そこから長く続く沈黙の中、私たちはただ窓の外を眺めていた。

 昔は家の縁側からこうしてただぼんやりと空を眺めていたこともあった。

 古いレコードでお気に入りの歌を聞きながら、何を語るでもなく、ゆったりとした時間を過ごす、ただそれだけで幸せだった。

 当時の事を思い出し、目頭が熱くなってきた、その時だった。

「――あら」
 ふと、妻が小さく口にして、
「あれは――人かしら」
 その細い腕を伸ばし、窓の外を指差した。

 そこにはただ青い空が広がっているばかりで、私は思わず首を傾げる。

  わずかに腰を浮かし、目を凝らしたがわからなかった。

「どこに?」

「……あぁ、もう見えなくなったわ。きっと魔女ね」

 妻のその言葉に、私は首を横に振る。

「なんだ、またか?」

 妻は昔から魔女の話をするのが好きだった。

 なんでも、魔女の道具がきっかけで私への愛の告白を決意したのだとか。

 ある日親に決められた見合いの場で、相手方の男に見せられた不思議な眼鏡。

 それを掛けると、目の前の人物が意中の人の顔に見えるのだとかなんとか。

 にわかには信じがたい話だったが、けれどそれを否定するつもりも毛頭なかった。

 その男は、眼鏡を貸してくれた魔女のことを好いていたらしく、妻の後押しによって魔女のもとへ行ってしまったらしいのだが……

「――あの人は、あのあと魔女さんと一緒になれたのかしら」

 それは、これまでに何度も妻が口にした言葉で。

「ううん、きっと。あの人は魔女さんと一緒になって、私たちみたいに幸せな人生を送っているはずよね」
 とうんうん何度も頷いた。

 けれど今日は。

「一度、魔女さんに会ってみたかった……」

「そうだな」

 それから少し間を開けて、
「――ねぇ、あなた」

「ん?」

「……最後にひとつだけ、お願いがあるんです」

「最後とか、言っちゃいけない」

 しかし妻はそんな私の言葉を相手にすることなく、
「あの人と魔女さんが結婚できたのか、調べてもらえませんか」

「……なんだって?」

「私、それだけがどうしても気になるんです。ずっと気になっていたんです。それに、もし本当に魔女さんがいるのなら――」
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