15 / 30
chapter 5 「もしも彼があの日私を...」Ⅰ
しおりを挟む- - -
窓の外は真っ赤な夕焼けが空を染めていた。数日前から厚く垂れこめた雲から太陽がようやく覗いたというのにその色が不吉な血の色に見えるのは現在の自分の心理状態を反映しているからだろうか? 夕璃はそんなことを思いながら誰もいない廊下を歩き続ける。
数分後、目的の場所の前に立つ。息がひどく苦しい。まるで100メートルを全力で走り抜けたかのように心臓がドクンドクン脈打っていた。
呼吸を整えると意を決して教室の扉を開く。
はたして葵井蛍はいた。夕璃が入ってきた扉とは反対側の扉のすぐ近く、気怠そうに机の上に座っている。
「ホタル、来てくれたんですね」
自然と声が半オクターブ高くなる。蛍とまともに話すのは実に半年ぶりだ。前回は学校に誘おうとした結果、ひどく険悪になってしまった…………それ以来になる。
「はあ? おまえが学校に呼びつけたんだろ。それとその呼び方は止めろ。何度言ったらわかるんだ? それとも理解する頭がないのか?」
しかし、蛍は最悪の機嫌であった。前回の別れ際をそのまま再生するかのよう。
「どうしてそんな些細なことにいつも腹を立てるんですか? 昔からずっと私はあなたを『ホタル』と呼んでいたし、別に変な意味もないじゃないですか」
一瞬、蛍の顔から血の気が引いたように感情が消える。しかし、首を振ると苛立たしげに大きく舌打ちをした。
「バカか、俺は。この女が他人の感情を察する能力がないことをいい加減わかれ」
「ホタル、それはどういう意味ですか? 私は正しいと思うことを言っているだけですよ。私の主張が間違っているなら何が間違っているかはっきり教えてください!」
「なあ、そうやって完全武装して人を叩きのめすのがそんなに楽しいか? 他人はみんな自分を向上させるためのサンドバッグか?」
「私はそんなこと思っていません!」
自分は間違っていない。間違えたとしても間違えを認めて訂正すればいいだけ。そう信じて生きてきた。だからこそ、今の自分に恥じるものは何一つない、はずだ。
でも、どうしてホタルは私を見る度にがっかりした顔をするのだろう?
どうして学院の生徒たちは視界の外で私を嘲笑うのだろう?
「ホタル、教えてください。本当に私の何が間違っているんですか?」
「ああ、誰も言わないなら言ってやるよ! おまえは―――」
しかし、蛍は言わなかった。ひどく哀しそうな顔をすると振り上げた拳を自らの脚に叩きつける。乾いた音がしたが、その音は小さかった。
「…………俺に用事があるんだろ? 早く言え」
蛍のころころ変わる態度に理解が追いつかなかったが、夕璃は頭を切り替えると用件を伝えた。その用件とはまさしく「ノーネーム」のことだった。
「『ノーネーム』のサーバーは学院の中にあります」
「まさか」
「この学院の内部ネットワークは特殊なプログラム言語を使っていることは知っていますか?」
夕璃はとあるプログラム言語の名前を口にした。その言語はインターネットが主流になる前のパソコン通信の時代を起源にもつ言語であった。
「知らないと言いたいところだが、残念なことに知っている。ちょっと前に頼まれて弄る機会があったからな。あんなマイナー言語に触れるのは二度とごめん被る」
学院の独自性だとか、セキュリティのためだとか色々理由づけられているが、結局はIT担当の五十代職員の完全な趣味である。その扱いづらさゆえにセキュリティに関してはむしろ脆弱であった。しかし、「ノーネーム」の捜査にはそれが幸いした。
「『ノーネーム』経由のスパムメールには奇妙な文字化けがいくつかありました。調べてみるとそれはこの言語で作られたプログラムでしか出ない、しかも、内部ネットワークのみで完結しないと絶対に出ない挙動なんです」
「あのクソみたいに大量なスパムを全て調べたのか…………」
「はい、これから学院のサーバー室に行って内部データを精査しようと思うんです。おそらく偽装したプログラムか、もしくは痕跡が見つかるはず。たぶん犯人は学院生です。大事にはしたくありません。だから、外部の人じゃなくホタルに―――」
「断る」
夕璃の返事を待たずに蛍は扉を開けて立ち去ってしまう。鞄などの荷物はない。授業にはほとんど出ていないので本当に夕璃と会うためだけに来たのだろう。
「ちょっと待ってください! ホタル!」
慌てて蛍の袖を掴むが、振り払われてしまう。
「偽善者ごっこをするのは勝手だが、俺を巻き込むな。いい迷惑だ」
「でも、みんな困っているんですよ!? ホタル、昔から言ってたじゃないですか、ホタルの夢は『世界中の人々を幸せにすること』だって。これだって―――」
「違う!」
廊下中に響く大声に夕璃は思わず身をすくめた。
「なあ、ユリ。頼むからもういい加減にしてくれよ」
自らの顔を覆った掌からそんな声が漏れてくる。そして、おもむろに掌を退けられるが、その顔はなぜか今にも泣きそうな顔をしていた。
「ただの他人ならバカな道化だと笑えるが、おまえは残念なことに俺の幼馴染だ。おまえのどうしようもないところは誰よりも知っているし、腹立たしいことにいいところも知っている。だから、もう見ていられない。六条夕璃は他人にとってどういう存在なんだ? 誰よりも正しい六条夕璃が本当に望むものは何なんだ?」
「私は、ただ…………」
「おまえは本当にすごいよ。顔はいいし、頭だって馬鹿じゃない。家だって大金持ちだ。でも、
たとえどんなに恵まれていようと、おまえには心がない。おまえがわからないんだよ。どんなヤツかわからないから信用されないし、気味悪がられる」
「…………わかりました。ご協力をしてもらえないことは理解しました。わざわざ来てもらってすみません。ありがとうございました」
夕璃は一礼すると踵を返す。そして、時間の無駄とばかりに廊下の奥にすたすたと歩いていった。その顔を蛍は見ていない。悔しさと怒りに顔を歪ませて、大きな瞳の上にじわりと大粒の涙を湛えたその顔を。きっと見ていたらわかっていたはずなのだ。
―――六条夕璃に心がないなんてあり得ないことを…………。
+ + +
ハッと目が覚めて起き上がると頬をつーっと涙が伝っていく。全身は気怠く目を閉じれば今すぐにも戻れそうな夢の気配が残っている。頭の奥には痺れるような感情のしこり。
―――思い出しました。
奇妙な感覚だった。サーバー室を入った途端、誰かに殺されかけた死の恐怖よりも、全く得体の知れないこの事件の黒幕への畏怖よりも、葵井蛍が自分を理解してくれない怒りの方が心の中にはるかに強く残っているなんて。
千々に乱れる心のまま一縷の望みを託してパンツの下を探ってみたが、悪夢はやはりまだ終わっていないらしい。
「…………はあ」
大きくため息をついてから洗面所でアルコール除菌をしようと(信じられないことに夕里の部屋には除菌用品がない!)ベッドから起き上がりかけたときだった。枕の横で何かがブルブル震えていることに気づく。どうやら夜中に目が覚めたのはこれのせいらしい。
液晶を覗くと今が夜の3時であるという情報とともに「葵井蛍」の名前が表示されていた。
「…………もしもし」
『やっと繋がったか。ユウリ、大変だ。今すぐPCを開いてくれ』
「…………今じゃないとダメなんですか?」
『当たり前だろ! うん? いつになく不機嫌な声だな。なんだ、ガチャで爆死して不貞寝でもしていたのか?』
「…………いざとなったら必ず助けてくれると信じていた人に裏切られて、挙句の果てに殺されかけたんですよ」
『なんだそりゃ。何があったかは知らんが、おまえも大変だな』
―――それはアナタですよ!
思わず叫びかけたが、グッと呑み込む。その代わり枕がめり込むほどの拳をたたき込む音が蛍に聞こえたかどうか。とにかくこちらの蛍は固い友情で結ばれた親友なのだ。
「…………開いたよ。REAに繋げばいいの?」
『いや、普通にネットでいい。サイトは―――』
蛍から指示されたのは大手新聞のネット版であった。そして、地域版の一番上にその記事は記載されていた。
《渋谷区のマンションで高校生が飛び降り。意識不明の重体》
『永井火風花だ。元生徒会の被疑者A』
「…………えっ!? それって!?」
『津島夢呂栖は自宅マンションから姿を消している。今かほるが追っているが、昨夜から完全に失踪状態だ』
0
あなたにおすすめの小説
高嶺の花屋さんは悪役令嬢になっても逆ハーレムの溺愛をうけてます
花野りら
恋愛
花を愛する女子高生の高嶺真理絵は、貴族たちが通う学園物語である王道の乙女ゲーム『パルテール学園〜告白は伝説の花壇で〜』のモブである花屋の娘マリエンヌ・フローレンスになっていて、この世界が乙女ゲームであることに気づいた。
すると、なぜか攻略対象者の王太子ソレイユ・フルールはヒロインのルナスタシア・リュミエールをそっちのけでマリエンヌを溺愛するからさあ大変! 恋の経験のないマリエンヌは当惑するばかり。
さらに、他の攻略対象者たちもマリエンヌへの溺愛はとまらない。マリエンヌはありえないモテモテっぷりにシナリオの違和感を覚え原因を探っていく。そのなかで、神様見習いである花の妖精フェイと出会い、謎が一気に明解となる。
「ごめんねっ、死んでもないのに乙女ゲームのなかに入れちゃって……でもEDを迎えれば帰れるから安心して」
え? でも、ちょっと待ってよ……。
わたしと攻略対象者たちが恋に落ちると乙女ゲームがバグってEDを迎えられないじゃない。
それならばいっそ、嫌われてしまえばいい。
「わたし、悪役令嬢になろうかな……」
と思うマリエンヌ。
だが、恋は障壁が高いほと燃えあがるもの。
攻略対象者たちの溺愛は加熱して、わちゃわちゃ逆ハーレムになってしまう。
どうなってるの? この乙女ゲームどこかおかしいわね……。
困惑していたマリエンヌだったが真相をつきとめるため学園を調査していると、なんと妖精フェイの兄である神デューレが新任教師として登場していた! マリエンヌはついにぶちキレる!
「こんなのシナリオにはないんだけどぉぉぉぉ!」
恋愛経験なしの女子高生とイケメン攻略対象者たちとの学園生活がはじまる!
最後に、この物語を簡単にまとめると。
いくら天才美少女でも、恋をするとポンコツになってしまう、という学園ラブコメである。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
社畜OLが学園系乙女ゲームの世界に転生したらモブでした。
星名柚花
恋愛
野々原悠理は高校進学に伴って一人暮らしを始めた。
引越し先のアパートで出会ったのは、見覚えのある男子高校生。
見覚えがあるといっても、それは液晶画面越しの話。
つまり彼は二次元の世界の住人であるはずだった。
ここが前世で遊んでいた学園系乙女ゲームの世界だと知り、愕然とする悠理。
しかし、ヒロインが転入してくるまであと一年ある。
その間、悠理はヒロインの代理を務めようと奮闘するけれど、乙女ゲームの世界はなかなかモブに厳しいようで…?
果たして悠理は無事攻略キャラたちと仲良くなれるのか!?
※たまにシリアスですが、基本は明るいラブコメです。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】ヒロインに転生しましたが、モブのイケオジが好きなので、悪役令嬢の婚約破棄を回避させたつもりが、やっぱり婚約破棄されている。
樹結理(きゆり)
恋愛
「アイリーン、貴女との婚約は破棄させてもらう」
大勢が集まるパーティの場で、この国の第一王子セルディ殿下がそう宣言した。
はぁぁあ!? なんでどうしてそうなった!!
私の必死の努力を返してー!!
乙女ゲーム『ラベルシアの乙女』の世界に転生してしまった日本人のアラサー女子。
気付けば物語が始まる学園への入学式の日。
私ってヒロインなの!?攻略対象のイケメンたちに囲まれる日々。でも!私が好きなのは攻略対象たちじゃないのよー!!
私が好きなのは攻略対象でもなんでもない、物語にたった二回しか出てこないイケオジ!
所謂モブと言っても過言ではないほど、関わることが少ないイケオジ。
でもでも!せっかくこの世界に転生出来たのなら何度も見たイケメンたちよりも、レアなイケオジを!!
攻略対象たちや悪役令嬢と友好的な関係を築きつつ、悪役令嬢の婚約破棄を回避しつつ、イケオジを狙う十六歳、侯爵令嬢!
必死に悪役令嬢の婚約破棄イベントを回避してきたつもりが、なんでどうしてそうなった!!
やっぱり婚約破棄されてるじゃないのー!!
必死に努力したのは無駄足だったのか!?ヒロインは一体誰と結ばれるのか……。
※この物語は作者の世界観から成り立っております。正式な貴族社会をお望みの方はご遠慮ください。
※この作品は小説家になろう、カクヨムで完結済み。
転生したら悪役令嬢になりかけてました!〜まだ5歳だからやり直せる!〜
具なっしー
恋愛
5歳のベアトリーチェは、苦いピーマンを食べて気絶した拍子に、
前世の記憶を取り戻す。
前世は日本の女子学生。
家でも学校でも「空気を読む」ことばかりで、誰にも本音を言えず、
息苦しい毎日を過ごしていた。
ただ、本を読んでいるときだけは心が自由になれた――。
転生したこの世界は、女性が希少で、男性しか魔法を使えない世界。
女性は「守られるだけの存在」とされ、社会の中で特別に甘やかされている。
だがそのせいで、女性たちはみな我儘で傲慢になり、
横暴さを誇るのが「普通」だった。
けれどベアトリーチェは違う。
前世で身につけた「空気を読む力」と、
本を愛する静かな心を持っていた。
そんな彼女には二人の婚約者がいる。
――父違いの、血を分けた兄たち。
彼らは溺愛どころではなく、
「彼女のためなら国を滅ぼしても構わない」とまで思っている危険な兄たちだった。
ベアトリーチェは戸惑いながらも、
この異世界で「ただ愛されるだけの人生」を歩んでいくことになる。
※表紙はAI画像です
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる