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第2章:多次元市場編
第34話 存在権の凍結
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音が、消えた。
空調の駆動音も、電子回路の唸りも、自分自身の心音さえも。
星葬商会の残骸を越えたゴールディングを包み込んだのは、温度のない、極低温の「白」だった。
それは呼吸のたびに肺を灼くような圧迫感を伴い、視界にあるすべての色彩を「無価値」へと塗り潰していく。
「……ソラ様。処理が……遅延、しています。手足の……座標、確定不能」
エリーゼの声が、ノイズ混じりに途切れる。
彼女の指先は、まるで薄氷で固められたかのように空中で止まっていた。
この「白」は、物理的な攻撃ではない。
対象が市場に存在していいという「許可(クレジット)」を剥奪し、その存在そのものを『保留』にする銀行の権能だ。
ソラは、自身の右手が指先から透明なクリスタルへと変質していくのを、他人事のように眺めていた。
『――不当な資産取得、および市場秩序の攪乱』
白の向こうから、一人の女が歩いてきた。
純白のスーツを纏った彼女が虚空を踏みしめるたび、周囲の市場相場を示すホログラムが、畏怖するように静止していく。
彼女の存在そのものが、この市場における「決定事項」なのだ。
『管理主ソラ。貴殿のこれまでの行為は、多次元銀行の格付けにおいて「最上位のリスク」と判定されました。私は執行官セレス。これより、貴殿の全存在権を凍結(フリーズ)します』
セレスが指先を掲げると、彼女の背後に巨大な鏡面体――因果計算機『ジャスティス』が浮かび上がった。
そこには、ソラがこれまで積み上げてきた全ての数字が映し出され、無慈悲な速度で「マイナス」へと書き換えられていく。
銀行の信用という土台の上に築かれた権利など、彼らの一存で「無」にできる。それが、この市場の絶対的なルールだった。
「……セレス。あんたの銀行は、ずいぶんと思い切った融資をするんだな」
ソラは、氷に浸食された椅子に深く腰掛けたまま、静かに口を開いた。
感覚の消えた指先が、微かにマスター・アカウントの表紙を叩く。
『強がりは、自身の破滅を理解できない者の特権です。……この凍結は、多次元市場の規約に基づく正当な差し押さえ。貴殿に拒否権はありません』
「規約、か。……なら、その規約の裏にある『再保証規定』も覚えているな?」
ソラの瞳が、冷徹な光を宿した。
「俺が今、この場で『全資産の放棄』と共に存在を消滅させたら、どうなると思う?」
『……? 意味がありません。消滅すれば、貴殿の権利はすべて銀行が回収するだけ――』
セレスの言葉が、止まった。
彼女の背後にある鏡が、かつてないほどの速度で演算を開始し、不気味な警告音を上げ始める。
「……俺は、原始神の全負債を継承している。もし俺が『不渡り』を出したまま消滅すれば、その巨額の負債は、市場の安定を保証している『あんたたちの銀行』がすべて肩代わりすることになる」
セレスの表情から、余裕が消えた。
鏡に映る演算結果が、真っ赤な「破綻予測」を弾き出す。
「あんたたちが俺を消せば、銀行の帳簿には銀河三つ分の、埋められない穴が空く。……それは多次元市場全体の信用崩壊、ひいては銀行の倒産を意味する。……違うか?」
『貴様……。……自分の破滅を担保に、市場全体を人質に取ったというのか!?』
「人質じゃない。……『共依存』だと言ってくれ」
ソラの右腕――凍結が最も進んでいた指先が、内側からの圧力でパキリと音を立てて砕け散った。
だが、その破片の下からは、凍てつく前よりも鋭い、執念の宿った指先が露わになる。
銀行側の「信用の論理」を、ソラが「自らの負債の巨大さ」という力技で上書きしたのだ。
「セレス。俺を凍結したいなら、まずはこの負債の『受け皿』を用意してからにしろ。……できないなら、あんたのその差し押さえ権、不当行為として逆監査させてもらうぞ」
ソラがペンを走らせると、セレスを包んでいた純白のオーラが、一気に「警告の赤」へと染まった。
「エリーゼ、ミィナ。……動けるな」
「……はい、ソラ様。……間一髪でした。あと数秒遅ければ、魂のコードが抹消されていました」
エリーゼが震える声で再起動を報告し、ミィナもまた、解き放たれた聖剣をセレスに向けた。
『……今回は、ここまでとしましょう。ですがソラ、忘れないこと。市場はあなたのような不確定要素を、いつまでも放置はしない。次は……交渉の余地などありません』
セレスは、屈辱を隠しきれない目でソラを睨みつけ、光の粒子となって撤退していった。
だが、それは勝利ではない。
巨大な銀行という怪物の、尾を踏んだに過ぎないのだ。
「……ソラ様。無茶が過ぎます。二度目はありません。……次は、保証できません」
エリーゼの冷たい指摘に、ソラは答えなかった。
ただ、自分の心臓が、この極限の賭けを終えてなお、一度も高鳴っていないことに一抹の虚しさを感じていた。
「……次へ向かうぞ。銀行の『裏帳簿』が眠る、中枢都市へ」
ソラの瞳は、虹色の光さえ吸い込み、冷たい「無」の深淵を見つめていた。
空調の駆動音も、電子回路の唸りも、自分自身の心音さえも。
星葬商会の残骸を越えたゴールディングを包み込んだのは、温度のない、極低温の「白」だった。
それは呼吸のたびに肺を灼くような圧迫感を伴い、視界にあるすべての色彩を「無価値」へと塗り潰していく。
「……ソラ様。処理が……遅延、しています。手足の……座標、確定不能」
エリーゼの声が、ノイズ混じりに途切れる。
彼女の指先は、まるで薄氷で固められたかのように空中で止まっていた。
この「白」は、物理的な攻撃ではない。
対象が市場に存在していいという「許可(クレジット)」を剥奪し、その存在そのものを『保留』にする銀行の権能だ。
ソラは、自身の右手が指先から透明なクリスタルへと変質していくのを、他人事のように眺めていた。
『――不当な資産取得、および市場秩序の攪乱』
白の向こうから、一人の女が歩いてきた。
純白のスーツを纏った彼女が虚空を踏みしめるたび、周囲の市場相場を示すホログラムが、畏怖するように静止していく。
彼女の存在そのものが、この市場における「決定事項」なのだ。
『管理主ソラ。貴殿のこれまでの行為は、多次元銀行の格付けにおいて「最上位のリスク」と判定されました。私は執行官セレス。これより、貴殿の全存在権を凍結(フリーズ)します』
セレスが指先を掲げると、彼女の背後に巨大な鏡面体――因果計算機『ジャスティス』が浮かび上がった。
そこには、ソラがこれまで積み上げてきた全ての数字が映し出され、無慈悲な速度で「マイナス」へと書き換えられていく。
銀行の信用という土台の上に築かれた権利など、彼らの一存で「無」にできる。それが、この市場の絶対的なルールだった。
「……セレス。あんたの銀行は、ずいぶんと思い切った融資をするんだな」
ソラは、氷に浸食された椅子に深く腰掛けたまま、静かに口を開いた。
感覚の消えた指先が、微かにマスター・アカウントの表紙を叩く。
『強がりは、自身の破滅を理解できない者の特権です。……この凍結は、多次元市場の規約に基づく正当な差し押さえ。貴殿に拒否権はありません』
「規約、か。……なら、その規約の裏にある『再保証規定』も覚えているな?」
ソラの瞳が、冷徹な光を宿した。
「俺が今、この場で『全資産の放棄』と共に存在を消滅させたら、どうなると思う?」
『……? 意味がありません。消滅すれば、貴殿の権利はすべて銀行が回収するだけ――』
セレスの言葉が、止まった。
彼女の背後にある鏡が、かつてないほどの速度で演算を開始し、不気味な警告音を上げ始める。
「……俺は、原始神の全負債を継承している。もし俺が『不渡り』を出したまま消滅すれば、その巨額の負債は、市場の安定を保証している『あんたたちの銀行』がすべて肩代わりすることになる」
セレスの表情から、余裕が消えた。
鏡に映る演算結果が、真っ赤な「破綻予測」を弾き出す。
「あんたたちが俺を消せば、銀行の帳簿には銀河三つ分の、埋められない穴が空く。……それは多次元市場全体の信用崩壊、ひいては銀行の倒産を意味する。……違うか?」
『貴様……。……自分の破滅を担保に、市場全体を人質に取ったというのか!?』
「人質じゃない。……『共依存』だと言ってくれ」
ソラの右腕――凍結が最も進んでいた指先が、内側からの圧力でパキリと音を立てて砕け散った。
だが、その破片の下からは、凍てつく前よりも鋭い、執念の宿った指先が露わになる。
銀行側の「信用の論理」を、ソラが「自らの負債の巨大さ」という力技で上書きしたのだ。
「セレス。俺を凍結したいなら、まずはこの負債の『受け皿』を用意してからにしろ。……できないなら、あんたのその差し押さえ権、不当行為として逆監査させてもらうぞ」
ソラがペンを走らせると、セレスを包んでいた純白のオーラが、一気に「警告の赤」へと染まった。
「エリーゼ、ミィナ。……動けるな」
「……はい、ソラ様。……間一髪でした。あと数秒遅ければ、魂のコードが抹消されていました」
エリーゼが震える声で再起動を報告し、ミィナもまた、解き放たれた聖剣をセレスに向けた。
『……今回は、ここまでとしましょう。ですがソラ、忘れないこと。市場はあなたのような不確定要素を、いつまでも放置はしない。次は……交渉の余地などありません』
セレスは、屈辱を隠しきれない目でソラを睨みつけ、光の粒子となって撤退していった。
だが、それは勝利ではない。
巨大な銀行という怪物の、尾を踏んだに過ぎないのだ。
「……ソラ様。無茶が過ぎます。二度目はありません。……次は、保証できません」
エリーゼの冷たい指摘に、ソラは答えなかった。
ただ、自分の心臓が、この極限の賭けを終えてなお、一度も高鳴っていないことに一抹の虚しさを感じていた。
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ソラの瞳は、虹色の光さえ吸い込み、冷たい「無」の深淵を見つめていた。
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