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第一章 エトランゼ

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 朝日が昇り、夜が明ける。

 既に何度目かのその光景を、トウヤはフィノイ河に掛かる橋の傍に急遽作られた拠点の屋上から見ていた。

 周囲には柵が張り巡らされ、異形達の侵攻を止めるべく落とし穴を初めとした罠も仕掛けられているが、日々押し寄せてくる数の前では気休めにもならない。

 倒れた味方の数はもう数えることもできず、辺りに散乱した死体を片付けることもできない。

 ここまで漂ってくる死臭は、明日は自分がそうなることを予感させる。

 意外と、気が変にもならないものだと、トウヤは思う。

 ここにいる兵達も同様で、絶望的な状況になればなるほど感覚が麻痺していくのかも知れない。


「トウヤ君」

「ディッカーさん」


 ここ数日で何度も死線を共にしたディッカーが、トウヤの肩に手を置く。その手は強張っていて、彼の視線の先には大地を疾駆する異形の群れ。その数も、今日までの比ではない。



「トウヤ君。逃げてもいい。今逃げても、誰も君を責めはしない」


 トウヤのことを真に思ってくれるその提案を、首を振って否定する。


「戦いますよ」

「そうか。すまないな。エトランゼである君を巻き込んで」

「……違います。エトランゼだけど、俺はこの世界に生きてる。だから戦うんです」


 その言葉を聞いたディッカーは長い間、間抜けな顔をしていた。

 しかし、その言葉の意味を飲み込むと、先程までとは違う笑顔をトウヤに向けた。


「君のようなエトランゼと出会えてよかった」

「俺も、ディッカーさんと会えてよかったです。じゃあ、行きますか!」


 屋上に掛かっている梯子を降りて、既に集合している兵達のところへと向かう。

 もう残された数は五十人にも満たない。幸いにして、この辺りに来ている避難民は可能な限り北へと非難させた。

 後は彼等がソーズウェルなどの主要な街に入るまでの間、時間を稼ぐだけ。

 異形の群れが柵にぶつかり、揺らして薙ぎ倒す。

 この程度の手勢では最早ろくな作戦もない。後は陣形を固めて、敵の攻撃をどれだけしのげるかの勝負をするだけだ。

 暴風のような勢いで、第一波が衝突した。


「押し負けるなぁ!」


 ディッカーの叫びに呼応するように、最前線の槍兵達が盾で防ぎ、槍を突きだして相手の動きを牽制する。

 しかし、異形達に恐怖はない。身体ごとぶつかり、そのまま陣形を食い破るか倒れるかの勝負が無限に行われる。

 残った魔法兵はたったの三人。彼等は拠点の屋上から魔法を放ち、牽制を行っている。

 少し離れたところにいる弓兵から放たれた矢が小型の異形を地面に縫い止めるが、ある程度の大きさを持つものに対しては足止めにもならない。

 トウヤは人の間を縫って最前線に飛び出して、炎を放つ。

 炎の竜巻に撒き上げられて、多数の異形が吹き飛ぶが、空いた空間を生めるように、その死体を踏み越えて、次々と敵は現れる。

 炎を纏った剣が相手の皮膚を切り裂き、肉を飛び散らせる。

 溶けかけた金属は容易く折れて、もうこの戦いで何本の剣を持ち変えたかも判らない。

 そうしてこの地獄を必死に戦って、戦って、戦い続けて。

 果たしてどれだけの時間が経っただろうか。いや、実際には一時間も経過していないのだろう。

 ほんのそれだけの間に、終焉は訪れた。

 前線を支え切れなくなり、陣が崩れる。

 そこから内部に入り込んだ異形達は、背後からオルタリアの兵達を襲う。


「ディッカーさん!」

「踏みとどまれ! 踏みとどまるのだ! 私達が敗北すれば、民達が危険に晒される!」


 兵達は奮起し、よく戦った。

 しかし、それでも限界はやってくる。

 一人また一人と倒れ、異形の餌となる。

 体力の限界を迎えた魔法兵は、もう立つこともできずに下に迫る異形達に怯えている。

 そしてトウヤもまた全ての体力を使い果たし、剣を構えて相手を睨み付けることしかできなくなってしまっていた。


「ここ、まで……かよ?」


 視界が揺れる。

 手に持った剣が重い。もう持ち上げられそうにもない。

 目の前には、人型の異形が二匹。まるでトウヤを嘲笑うかのように、その剥き出しの牙を打ち鳴らしている。

 撓る腕の一撃がトウヤの剣を弾き飛ばし、続くもう一撃がその顔を狙って振り下ろされる瞬間。

 空から落ちてきた黒い塊が、落下の勢いをそのままに異形を一刀両断する。


「なっ……!」


 黒い鎧は、所々に魔力による制御を受けた証である緑色の光による線が走っている。

 手に持った大剣を構え、その一振りは小型の異形ならば纏めて吹き飛ばす威力を誇っていた。


「魔、装兵……?」


 それも一騎ではない。

 合計二騎の魔装兵は、戦場の真っ只中に飛び込み、次々と異形達を蹴散らしていく。

 鎧によって一回り大きくなったその体躯の兵士は、異形の撓る腕や放つ毒液などは全く問題にしない。

 一薙ぎに異形を纏めて屠り、並み居る敵など物の数ではないと言わんばかりに前線を押し上げていく。


「すげぇ……」


 魔法技術の粋を尽くして造り上げた鋼鉄の兵士は、死肉を食い荒らそうと集合した異形の群れを軽々と葬り去り、あっという間に再び前線を構築していった。

 そして続いて現れた兵達が、まだ息のあるディッカーの部下達を担ぎ上げて、少しでも安全なところへと非難させていく。


「ハッハッハッハッハッハ! 遅れてすまないな、ディッカー卿!」


 高らかな笑い声を響かせながら、やってくるのは、小太りの貴族服を着た男だった。

 トウヤは彼を知っている。しかし、どうしてここにいるのかが全く理解できなかった。

 モーリッツ・ベーデガー。オルタリアの五大貴族の一人であるその男は、背後に自らの手勢である軍団を連れて、悠々とフィノイ河の橋を渡ってこちらにやってきた。


「モーリッツ殿……」


 トウヤの傍に寄って肩を貸してくれたディッカーの元に、モーリッツがやってくる。既に魔装兵と彼の部下達によって周辺の異形達は排除され、この辺りは安全になっていた。


「深追いはするなよ! 本体は叩けぬのだから、追い払うだけでいい! しかし、周囲の索敵には絶対に気を抜くな!」


 モーリッツの指示を受けて、斥候達が四方に散っていく。


「危ないところだったな、ディッカー卿。しかし、随分と派手にやったようだな。これは、私も貴殿の評価を改めねばならぬ」

「あんた、何でここに……!」

「それはこちらの台詞だぞ、エトランゼの少年。私はオルタリアが五大貴族の一人。国の危機に動かずしてなんとするか。いや、私も本当ならばソーズウェルの防備を固めるとか、そういう楽な仕事の方がよかったのだがな」


 モーリッツは腹を揺らしてそう答えた。

 その言葉に偽りはないのだろう。彼の部下は精力的に敵を駆逐し、負傷者を救護して治療を施している。


「さあディッカー卿、エトランゼの少年。二人も治療を受けた方がいい」


 手を貸されて、ディッカーがモーリッツの部下と共に後方に下がっていく。


「……でもさ、ここを護ってもいつか限界が来る。御使いには俺達の力じゃ対抗できない」

「ふむ。目下の問題はそこだな。で、肝心の御使いは何処か?」

「今のところ姿は見てないけど」

「ならばそれでいいだろう。もしかしたら何か理由があって動けないのかも知れぬしな。我々はその間に……」

「モーリッツ様!」

「なんだ?」


 先程放ったばかりの斥候が、すぐに慌てた様子で戻ってきた。


「モーリッツ様にお会いしたいという男が……っておい、勝手に来るでない! 陣も張っていないとこれだから……」


 斥候の言葉をよそに、現れたその人物を見てモーリッツとトウヤは目を丸くしていた。


「……すまない、遅くなったな。トウヤ」

「……ヨハン」


 現れた青年は、少しばかり申し訳なさそうな顔をして、しかしすぐにいつもの表情に戻った。


「なんだ、今到着したのか? まったく、部下だけを死地に送り自分はゆっくり登場など、将の風上にも置けぬな」

「耳が痛いな。それよりもモーリッツ卿。現状俺達はあの異形の群れと、それを指揮する御使い、悪性のウァラゼルを倒すために動いている。そちらの目的も同じと判断していいか?」

「うむ。この状況ではエレオノーラの命も何もあったものではないだろう。まずは奴等を排除し、私の武功を……いやいや、オルタリアの民の平和を護るのが先決だ」

「ならば協力を要請したい」

「協力? 馬鹿を言うな。お前達の戦力がもう残り少ないことぐらいは判っているのだぞ。正確には、お前達が我々に合流するのが……」


 モーリッツの言葉を聞き流しながら、ヨハンは懐から紙片を取りだしそれを押し付けた。


「なんだ、これは?」

「ソーズウェルと王都の中間にある俺の家から、そこに書かれた物を持って来てくれ。抜け目ない貴方のことだから、もう占拠しているんだろう?」

「ふむ。それはそうだが……。どうして私がお前の言うことを聞かねばならぬ? それで御使いが倒せるとでもいうのか?」

「ああ、倒せる」

「本当かよ!?」


 それに大きく反応したのはモーリッツではなくトウヤだった。なまじ実際にその力を見ているだけあって、にわかには信じられないのだろう。


「五大貴族を顎で使うのならば、相応の理由が必要だぞ? ましてやそんな不確定な……」

「モーリッツ様!」

「なんだ今度は! 騒々しい奴だな!」

「南方にこちらに向けて前進する異形の軍団を確認しました。そしてその中心には、ドレス姿の少女があるそうです。恐らくは噂に聞く御使いかと……」

「なんだと!?」

「……議論の時間はなくなったようだな」

「そうだな。今はそんなことを話している場合ではなくなった。どうやって奴を退けるかが問題となる」

「違う」


 伝令によって伝えられたからか、それとも彼女が近付いてきている証なのか。

 全身を貫くような悪寒が、全員を包み込んでいた。


「俺が時間を稼ぐ」

「貴公一人でか?」

「無茶言うなよ! 以前あれだけ滅茶苦茶にやられたってのに!」

「それを言われると心苦しいが……。今回は対策を講じてきた、安心しろ」

「あんた、前もそう言ってたろ?」

「……今度こそ、だ。あいつを倒すために行動する。そのためにはお前もだが、俺が生きている必要がある。……これで充分か?」

「でもさ……」


 トウヤもモーリッツも、ヨハンの言うことを今一つ信用していない。御使いの強さと、トウヤに関してはヨハンの前科を思えば仕方のないことではあるが。


「判った、判った。論より証拠だ。今からお前達を驚かせてやる。驚いたら、トウヤは手勢を連れて撤退、ディッカー卿の領内にいる仲間達と合流してくれ。モーリッツ卿も、俺の言う通りに」

「約束はできぬが、その手には興味がある。見せてみろ」


 溜息をついて、ウァラゼルがいるであろう方向を睨む。

 既に遠目には大勢の異形と、その中心で浮かび上がる小さな少女の影が見えていた。
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