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第三章 名無しのエトランゼ

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 イシュトナル要塞の南部。兵士達の訓練所や工房といった建物が立ち並ぶそのエリアの隅に、ヨハンも自分の工房を構えていた。

 そこは以前経営していた店の裏側をそのまま持って来たような空間で、傍目には何に使うのかも判らないような機器と、分厚い本が何冊も納められた本棚が一つ置いてある。

 部屋の中はカーテンが閉め切られ、外から入り込む夕日の灯りを遮っておりヨハンは今、部屋の中に一つだけある椅子に座って、銃の機関部に当たるパーツを整備していた。

 灯りは天井から降りるものと、手元を照らすためにテーブルの上にあるランプの二つだけ。

 別にこの作業をするために仕事を途中で切り上げたわけではない。アーデルハイト達に語ったのは本当のことで、今からここで人と会うことになった。


「大将。来たぜ」


 扉の向こうから声が掛かる。

 一言「入ってくれ」と言うと、扉が開き、その人物は現れた。

 長身の、外套を纏った偉丈夫。今やエレオノーラ達の協力組織となった超銀河なんとか団に所属する元アサシン、ゼクスだった。


「大方、こっちでできることは終わったよ。貴族への裏切り工作とか、民衆の扇動とかな。扇動って言っても、うちのボスが好き勝手に喚いてるだけだけどな」

「それはそれで効果がある。時には賢人の言葉よりも、感情だけで放たれる声の方が人の耳に届きやすい」

「物は言いようだね。まぁ、実際税も上がったし、臨時徴収もあるみたいだから、大分人気は下がってるけどな」

「勝っても得るもののない内戦のために金を奪われるんだ。そこに暮らす人からすればたまったものではない」

「本当にな。で、ここからが本題なんだが」


 ゼクスは腕を組み、閉じられた扉に背を預ける。


「ヘルフリートが兵を集め、部隊を組んだ。率いるのは確か、カーステンとか言う男だ。兵の数はざっと、二千五百。そこに五大貴族のエーリヒの部隊が合流する。そっちの数は五百から千ってところらしい」

「最大で三千五百か」


 勿論、その全てが戦闘員というわけではないだろう。それでも確実にこちらの倍以上の数の兵が動いていた。北方から逃げてきた貴族達が合流したとはいえ、エトランゼを含めてのイシュトナルの兵力は千を少し超える程度しかいない。


「勝ち目はあるのかい?」

「……一応はな。頭の中ではできているつもりだが、上手く行く保証はない」

「そりゃなんだってそうさ。やり方があるだけでも先は明るいな。そうそう、グレンの命令で、俺も当分はこっちで世話になることになった。よろしく頼む」


 それはありがたい心遣いだった。ゼクスの能力はヨハンが知っているだけでも相当に高い。彼を自由に動かせるのならば、勝てる確率は大幅に上昇する。


「助かる。いきなりだが、部隊を率いた経験はあるか?」

「なくはない、ってところだな。アサシンをやってた時に、部下を三人とか四人連れてたことがある程度だが」

「十名程度、隠密に長けた者を用意してある。お前と同じような身の上の者から、それ向きのギフトを持つエトランゼまで人選は様々だ。後で顔合わせをさせるから、各々の能力を把握しておいてくれ」

「いいのかい? 俺の立場で部下を貰っちまって。光栄じゃないか」

「その分の働きはしっかりしてもらう。この戦い、正面からの打ち合いでは勝ち目はほぼないからな」


 それから二人は本格的にゼクスが集めてきた情報、今後の超銀河なんとか団が行う内部工作の内容についての話し合いを始めた。

 それが終わったら次は彼に率いらせるための隠密部隊の編成と、その顔合わせの日程。そして任務内容についての打ち合わせを進める。

 全ての話が終わる頃には、既に日付が変わるぐらいの時間になっていた。


「こんなもんかな。ま、他になんかあったら言ってくれよ。あんたらには借りがある。精々、こき使ってくれると気も楽だ」

「期待している」


 最後にニッと笑って、ゼクスは来たときと同じように部屋から出ていった。

 それから少しの間、なんとなく自室に戻る気にもなれず、目の前の銃の整備に没頭する。理由はそれだけではなく、戦いがもうじき始まるとするならば、ヨハンのやるべきこともまだ山のように存在していた。

 そこにノックの音がして、まさかこんな時間に誰かが尋ねてくるとは思っていなかったので、ヨハンは思わず肩を竦めた。


「誰だ?」

「あの、カナタだけど」


 思わず手に持っていたパーツを取り落としそうになる。


「入っていいぞ」


 恐る恐る、とでも表現できるほどに慎重に扉が開かれて、カナタは工房の中へと入ってきた。


「え、と。久しぶり」

「……久しぶりだな。アーデルハイトが会いたがってたぞ」

「うん。一回擦れ違ったけど、びっくりした。アーデルハイト、こっち来たんだ」

「色々あってな」


 オル・フェーズからこちらに戻って来て、初めての再会となる。既に一ヶ月以上が経過している。

 こんなに長い間カナタと会わなかったのは、恐らく彼女と出会ってから初めてのことだ。


「適当に座っていいぞ」

「う、うん」


 床に重なっている本を引き寄せて、それをお尻の下に敷く。普段は苦言を呈する行為だが、何故だか今日ばかりはそれを言う気になれなかった。そもそも、座るところがないのに座れと言ったのは、他ならぬヨハン自身だ。


「噂は聞いてるぞ。随分と活躍してるみたいじゃないか」

「自分でもびっくりだけどね。小さな英雄ってみんながボクのこと呼んで、冒険者達からパーティ組んでくれって凄い頼まれるんだ。ちょっと前からじゃ想像できないよ」


 照れくさそうに笑うカナタ。

 その英雄という言葉に、ヨハンの胸が僅かに締め付けられる。


「でも、だから頑張りたくて。ボクの力を必要としてくれる人がいて、ボクにはそれができるんだもん。……もう、目の前で誰かを助けられなくて、一番選んじゃいけない選択をするのは嫌だから」

「カナタ。あれは……!」

「判ってる。判ってるよ。あれはああするしかなかったって。誰が悪いわけでもないって、本当に、判ってるんだけど」


 ヨハンは作業を止めて、身体をカナタの方へ向ける。

 彼女は顔を下に向けて、その表情を詳しく窺い知ることはできない。


「でも、うん。当分は忘れられない。だからシノ君の分まで、ボクが頑張ろうって。それで、ヨウコさんみたいな人を少しでも減らせるようにね」

「……カナタ」

「ボクはヨハンさんみたいに頭もよくないし、エレオノーラ様みたいに志もないから。だから、一つ一つ、自分にできることを頑張るよ。それにね、みんながボクを頼ってくれるのも、嬉しいからね!」


 顔を上げてこちらに笑顔を見せるカナタ。

 そこに無理をしているような感じはない。彼女はきっと、心の底から自分が手に入れた力で人を助けることを喜んでいる。

 しかし、それは形を変えた犠牲だ。その身体を、心をミリ単位で切り売りしているだけに過ぎない。


「アルゴータ渓谷にダンジョンが見つかったの知ってるよね? 今度冒険者達に調査の仕事が沢山来るっぽいんだけど」

「ああ、知っている」


 ダンジョンと呼ばれる迷宮が、この世界では時折発見される。

 それは古代の遺跡であったり、自然発生した洞窟であったり、何らかの魔法の影響で生まれた空間であったり。

 理由や物は様々だが、中に魔物が潜む迷宮のことを一まとめにしてダンジョンと呼んでいた。

 そしてそこには高確率で財宝や珍しい鉱石、普段は出会うことのできない魔物など、資源の宝庫となっている。

 だからこそダンジョン踏破は冒険者達の目標であり、一獲千金の機会でもあった。

 もっともダンジョンはそれ自体が罠や強力な魔物に阻まれて一筋縄では突破できず、中には発見から十年経つにも関わらず攻略されていないものもあった。

 それ自体は大きなニュースであるし、結果として冒険者界隈は賑わっているのだが、ヘルフリートとの戦争を間近に控えたヨハンの中では二の次三の次の案件となってしまっていた。


「それで、お願いがあるんだけど。今度ダンジョンに挑戦するのに、道具が色々と必要でさ……。ボクもそれなりにお金はあるんだけど、やっぱり一番信頼できる人にお願いしたいって言うか」


 おずおずとカナタはそう切りだした。

 彼女がヨハンに対してそんな風に遠慮した物言いをするのは初めてのことで、


「すまないが」


 ヨハンがそれを断るのも、これまでになかった。


「ここ数日は何かと忙しくてな。手が回りそうにない」


 薄暗い部屋内ではカナタの表情をよく見ることはできないことは、幸いであったかも知れない。


「それってやっぱり、戦争になるから?」

「そうだな」


 それを聞いて、カナタはそれ以上何も言わなかった。


「うん。それじゃあ自分で何とかしてみるよ」


 小さく笑顔を浮かべて、椅子にしていた本の山から立ち上がる。

 その彼女らしからぬ聞き分けの良さに寂しさを感じたのは、ヨハンの身勝手だろう。


「ヨハンさん」


 扉に手を掛けて、こちらを振り向かないまま、カナタは言う。


「死なないで。絶対帰って来てね」

「――ああ」
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