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第三章 名無しのエトランゼ

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 ヘルフリート軍によって虐殺の限りを尽くされたネフシルの街。

 そこに足を踏み入れる一人の男と、その背後に続く軍勢の姿があった。


「……ひでえ有り様だな、こりゃ」

「ハルデンベルク卿……。彼等は自国民なんですよ? ここまでする理由があるのでしょうか?」


 彼の隣で軍旗を掲げる若い兵士が、兜の下から震える声でそう絞り出す。

 その意見は彼だけのものではないようで、彼の旗下にある兵達は皆、同じように憤怒とも呆れともつかない表情で破壊され尽くした街を見ていた。

 ラウレンツ・ハルデンベルク。

 無精髭を生やし、鎧を纏った中年の男はエーリヒの部下であり今回の件を任された大隊長である。

 彼は何度かこのネフシルに訪れたことがある。

 特別に見るところはないが、オルタリア南部の特徴である広大な農地による農耕や畜産が盛んだった街で、確かその時は肉を大量に買い付けて部下と酒盛りをした記憶があった。

 今や建物は尽く破壊され、瓦礫の山の中に未だ人の死体がそのまま放置されている。

 女子供にも全く容赦はなく、それらも打ち捨てられるようにその辺りに転がされていた。

 これはある意味では、戦いの生み出す狂気以上に狂っていた。


「……せめてまだ、自分の欲望のためとかなら納得もできるんだけどな」


 子供を攫い、女を犯し、財産を奪う。

 勝利の饗宴とも呼べる略奪ならば、ラウレンツの個人的な感情はともかくとして、戦いである以上仕方がないと割り切ることもできた。勿論、それでも自国民にやるようなことではないが。


「尽くが、殺戮の憂き目に。中には乱暴を受けた者もいるようですが、彼等の指揮官はそれを許さず、ただ殺せと命じたようです」

「だろうな。建物まで派手にぶっ壊しやがってまぁ……。復旧にどんだけ掛かると思ってんだか」


 視線は唯一無事な建物を捉えて、ラウレンツはより気落ちした表情になる。


「ご丁寧にエイスナハルの教会は残してやがる。ってことは神父ぐらいは生き残ってるんじゃないのか?」

「調べさせます」


 部下に指示し、それを受けた兵達が数人列から離れて教会の方へと走っていく。

 歩きながら喋っていた一行は、やがて街の中心部へと辿り付く。街を治める町長の家も無残な姿で、家の壁が崩れてそこから撃ち込まれた矢でざっと見て十人の死体があった。


「……聖別騎士を使いやがったな。いよいよもって殺しに手段を選んでねえ。指揮官のカーステンってのはどんな野郎だ?」

「噂によればですが、以前エレオノーラ様を追撃した際に、エトランゼによって手痛い反撃を受けていると」

「恨み返しってことか? やり過ぎだろう」

「元々、差別主義者ではあったようです。エトランゼに対して」

「いや、それにしてもだぞ。これじゃあこっちの連中はより俺達に対して恨みを募らせる。もしこれ以上内部に進軍しても、現地民の協力はほぼ得られんだろうな」

「同じ国民という言い訳が完全に潰されてしまいましたからね」

「やれやれ。戦う前から味方に足を引っ張られるとはな」


 溜息を吐き、地面にどっかりとラウレンツは腰を下ろす。


「お前等も楽にしとけ! 斥候が戻って来てから今後のことは決めるから、それまでに体力を……」


 言いかけたところに、正面から馬に乗った兵士が走ってくる。その鎧には見間違いようもなく、先日斥候として派遣してた兵だ。


「ラウレンツ様! こちらにお付きでしたか!」


 斥候は馬から飛び降りて、地面に胡坐をかくラウレンツの前に膝をつく。


「おいおい、もうちょっと空気読んでくれよ」

「どういうことでしょうか?」

「いや、こっちの話だ。で、前線はどうか? こんなことをやらかす馬鹿野郎だが、勢いはあるし聖別騎士もいる。そろそろ一個ぐらいは街を突破したところか?」

「いえ、それが……」


 言いにくそうに、伝令は顔を落とし、一度唾を飲み込む。

 それから重々しくその報告を開始した。


「敵の新兵器により、エルプス方面に進軍していたカーステン卿の部隊、その先鋒が大打撃を受けて潰走。特に騎馬隊と魔法兵は手酷くやられ、当分使い物になりそうにはありません」

「……なんだと? で、当の大将はどうなった?」

「カーステン卿は東側の砦へと兵を進めていたのですが……。敵の偽報を受けてエルプスへと合流。そのまま妨害を受けて足を止められ、攻撃を受けています!」

「なん……ってこった!」


 ラウレンツは思わず拳で地面を叩いていた。


「新兵器は仕方ねえが、偽報に引っかかるとは阿呆か!」

「相手側が一枚上手だったとしか……。それを仕掛けた工作部隊はカーステン卿の後方に破壊工作を仕掛け補給の妨害もしていったようです」

「ちっ。思った以上に手練れが多い……。だからといってここでカーステンとやらを見捨てりゃ、ヴィルヘルムの名前に傷がつく」


 手を伸ばし、横の兵から軍旗をむしるように奪い取る。

 立ち上がったラウレンツは、その旗の柄で地面を強く叩いた。


「来たばかりで悪いが、出撃だ! 目的は敗走してくる味方部隊の撤退の援護、そしたら俺達はフィノイ河まで後退するぞ!」

「せっかくここまで来たのにですか?」

「城壁も何もなもぶっ壊された街でどう護るんだよ? 聖別騎士と合流すりゃ、相手の新兵器とやらも何とかなる。後詰が来るまで耐えりゃいい。準備を急げ!」


 若い兵士は短く返事をして、その場から立ち去っていく。

 代わりに横に現れたのは、風変わりな格好をした一人の男だった。


「拙の出番かな?」


 この辺りでは滅多に見ない羽織りに、袴と呼ばれる東方の衣服。加えて伸びた頭髪を纏めて髷と呼ばれる形にしている。


「そうなるな。エトランゼの相手は、エトランゼに限る」

「どのような敵が出てくるか、楽しみよ」


 男の口が歪む。

 それはまだ見ぬ強敵を夢想しての、まるで子供が楽しみしていた日の前日に見せるような、無邪気な笑顔だった。
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