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第三章 名無しのエトランゼ

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 その言葉を聞き終えたヴェスターは、ヨハンの方を一度見る。

 こちらがそれに対して何も言わないことを確認してから、いつも通り乱暴に言葉を発した。


「別にお前が強くなっても、そんなもん護れねえぞ?」

「……どういう意味だよ?」


 怒りを込めてトウヤに睨まれても、ヴェスターは何処吹く風で言葉を続ける。


「俺は今のお前の十倍は強い自信があるけどな。……なんも護れねぇ、なんたって護るもんを持ってないからよ」

「そりゃあんたがおかしいだけだよ!」

「違うね。強くなるだけじゃそもそも手に入らんのさ、そんなもんは。なぁ、最強のエトランゼさんよ?」


 意地悪い視線を向けられて、ヨハンは反射的に天井を見上げていた。


「最強の称号、誰よりも強い力を得てお前はなんか護れたか?」


 その言葉がどれだけヨハンの傷を抉るかを、ヴェスターは判っている。それでも、追及をやめることはない。


「……なにも。なにも護れなかった。護ろうとする意志が欠けていたからな」

「と、こういうわけだ」


 自分の意思を持とうとしないエトランゼは、心の何処かで全てに諦めていた。

 その感情を完全に捨てきれず、自分が無敵であると勘違いした結果、ようやく手に入れかけたものまで奪われたのだ。


「……じゃあどうすればいいんだよ?」

「さあねぇ。そりゃ自分で考えろよ。大人だからって何でもかんでも答えを出してくれるわけじゃないんだぜ」


 それを聞いてトウヤはこれ以上何かを言うのをやめて、湯の中に深く身体を沈める。

 彼なりに何かを考えているんだろう。それでも力の象徴であるヴェスターからそれを否定されたことは、ある意味では心の閊えが取れたようにも見えた。


「さあ坊主の辛気臭い話も終わったところで、本題に入ろうぜ」

「本題?」


 再び麦酒を二人分汲み上げて、片方をヨハンに手渡す。

 トウヤもヴェスターの話には多少興味を惹かれるようで、話を聞く態勢に入っていたが、昔ながらも付き合いがあるヨハンには経験で悟っていた。この男がろくな話を振ってくるわけがないと。


「ヨハンさんよお。何人食った?」

「……なんの話だ?」


 ヨハンは惚け、トウヤは本当に意味を理解していない。

 無論その程度で追及をやめる男ではないが。


「誤魔化すなよ! 姫さんに回復の姉ちゃん、それから小さいの二人! そのうち何人とヤッたんだよ?」

「お、お前! 何言ってんだよ!」


 食ってかかったのはトウヤだ。勢いあまって湯船から立ち上がり、大事なものが丸見えになっている。


「お前だって気になるだろうが。ったく立場に恵まれてる奴は羨ましいねぇ。俺があくせく働いた稼ぎで遠出して女抱いてるってのに、お前はいながらにしてだもんなぁ」

「そうなのかよ!? っていうかあんたもそんなことに金使うなよ!」

「なに言ってんだ坊主? 戦いでぶっ殺す、酒を飲む、女とヤる。それ以上の楽しみはねえだろ? ……なんだ、ひょっとしてお前風俗行ったことねえのか?」

「あるわけないだろ! 元々学生だよ、俺は!」

「勿体ねぇ。そんなんだからくだらねえことで悩むんだよ。ヨハン、こいつは大問題だぞ?」

「何がだ?」

「前々から言おうと思ってたんだけどよ、なんでイシュトナルにはお姉ちゃんと遊ぶ店がねえんだよ? こちとら普段から汗水たらして働いてるのに、それを使う店もねえんじゃ士気も上がんねえだろ?」

「……まぁ、確かにな」

「いや、認めるなよ!」

「怒んなよ。まずは試しってもんだ。よし、後で俺が奢ってやるからよ!」


 麦酒を飲み干し、いつの間にか座りなおしていたトウヤの横に移動して絡み始めるヴェスター。

 それを振りほどこうともがくが、残念ながらトウヤの力ではそれもできそうになかった。


「……で、誰とヤッたんだよ?」

「誰ともそういう関係にはなっていない」

「本当かよ?」


 質問してきたのは何故かトウヤだった。

「俺は別にそこの獣とは違う。責任を取る気もないのに女と寝る気はない」

「おいおい、そりゃ誤解だって。俺だって責任を取りたくないから、金払って買ってんだよ。わざわざできの悪いアレつけてよ。


 でも勿体ねえなぁ。俺がお前の立場だったら入れ食いだってのに」

「そんな上手く行くか。仮に俺にその気があっても、向こうがそうとは限らんだろう」

「そこはほら、雰囲気とか勢いで攻めればいいだろ。なぁ、坊主?」

「俺に話を振るなよ」


 首をがっしりとホールドされたまま、トウヤは溜息と共にそう吐き捨てた。


「なんだ、話に混ぜてもらいたいのか? いいぞ、坊主は誰とヤリたいんだ?」

「……別に、誰とも」

「んなわけねえだろ。去勢されてるわけじゃねえんだから性欲ぐらいあるだろ。ましてやお前さんぐらいの年齢だったら毎晩……」

「せめて好みの女がいるかぐらいにしておいてやれ」


 自分の麦酒を飲みながら、そう助け舟を出す。

 気心の知れた友人とならいざ知らず、年上二人に囲まれて猥談を振られては、トウヤとて答え辛いことこの上ないだろう。


「同じじゃねえか。まあいいや、誰がいいんだ? 三番街の飲み屋のキャシーちゃんか?」

「……誰だよ」


 ちなみにキャシーちゃんは普通の飲み屋のウェイトレスで、可愛らしい容姿と愛想がいいので彼女を目当てにしている客が大勢いるぐらいの人気者だ。

「まさか本当に興味ないわけじゃねえだろ? ……ひょっとしてあれか、男がいいのか?」


 と、わざとらしく距離を取るヴェスター。


「違うよ!」


 それから観念したのか、トウヤはちらちらとヨハンの様子を伺い始める。


「なんでヨハン見てんだ? まさかやっぱりそうなのか?」

「だから違うって! ……いや、最初はまぁ、ちょっとカナタのこと、可愛いなとか思ってたからさ」

「あの嬢ちゃんか……。俺はちっとガキ過ぎてなぁ。もっとこう、ばいんばいんしてた方がいいな」

「そりゃあんたの好みだろ! ……冒険者時代はさ、嫌になることも多かったから、カナタの明るさに助けられたことが何度かあってさ」


 エレオノーラと出会う前の冒険者時代にカナタとトウヤは出会っている。常に一緒にいたわけではないだろうが、その間に何度か共に行動したこともあった。

 事実、何度かヨハンも当時のカナタから炎のギフトを持つ頼れるエトランゼの話を耳にしている。


「ちょっと可愛いな、とは思ってたんだけどさ」

「……けど?」

「あんたらと出会ってからカナタの無茶ばっかり見てると、付いていけないってなるよな、うん」


 しみじみと、トウヤはそう言った。


「今でも可愛いとは思うけどさ、実際カナタと一緒に行動してたら……。正直命が幾つあっても足りないと思う」


 曲がりなりにも軍人として戦争に出ているトウヤにこう言わせるのだから、カナタも相当なものだろう。

 ヨハンもヴェスターもそれには同意して、二人して首を縦に振る。


「俺はもう上がるぞ」


 話を聞き終えたヨハンは立ち上がると、脱衣所のある出入り口へと歩いていく。


「なんだよ、もうちょっと男同士の語らいを楽しまねえのか?」

「俺はお前達が来る前から風呂に入ってたんだぞ。そろそろのぼせてきたんだ」


 そう言い残して風呂場を出ていく。

 ヨハンの気配が完全に消えてから、ヴェスターは相変わらずの厭らしい笑みを浮かべて、トウヤの頭を上から抑えつけるように掴む。


「なんだよ?」

「本当のところはどうなんだよ?」


 思いがけない人物に心情を見透かされて、トウヤは思わず口籠る。

 そうなってしまった以上誤魔化しも無意味だろうと、トウヤはぶっきらぼうに言葉を放った。


「諦めたっていうか……。それどころじゃないのは本当だよ。カナタ、あいつのこと凄げえ信頼してるからさ」


 二人を見たときに感じた、カナタから向けられる強い信頼。

 それを知ってしまってからは、トウヤの中にあった小さな火花は身を潜めてしまっていた。


「身を引くってか? かぁー、つまんねえ奴だなお前! そんなもんがーって攫ってがばってやっちまえばイチコロじゃねえか!」

「お前と一緒にすんなよ! ……理由はそれだけじゃないよ」


 そこから語られたトウヤの心情を、ヴェスターは珍しくからかうことなく最後まで聞いていた。
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