あの日、少女と汽車の着くところ

東條零

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10 卒園式と花冠の約束

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 そんなことがあってから、ふたりの少女はよりいっそう強く結びついたのかもしれない。



 少女たちはまだ幼いけれど、いや、幼いからこそ一途に相手を想い続け、互いを補い合える存在であろうとしたのだろう。



「パパに、会いたいなぁ~」



 オルゴールを貰ってから、明奈はときどき父親への思慕を口に出すようになっていた。



 時折つぶやくそんな一言が、本当は決して実現しないことを知っているかのようで、父親に会うことはすっかり諦めてしまっているような気がして、月枝の胸は痛んだ。

 明奈は、毎日、父親に連れられて家に帰っていく自分をどんな気持ちで見送っているのだろうと思う。



 もちろん、明奈はなにも言わなかったけれど、両親がそろっている幸福を見せつけているようで、気が引けた。



 それに、そのころは、なんとなく明奈の元気がなくなってきてるような気がしていた。

 オルゴールを聞きながら階段の踊り場で踊ってもすぐ疲れて座り込んでしまう。

 あまり出歩かず、病室のベッドで過ごすことのほうが多くなった。



 でも、病室で過ごすほうが月枝にも都合が良かった。

 あの事件以来、あんな凶暴な子と遊んじゃいけませんと言われたのか、ほかの入院中の子は月枝を遠巻きにして声をかけてこなくなった。



 まだ赤ん坊の日向子までが白い目でみられ、母親もみんなに合わせる顔がないとこぼしていた。



 だけど、月枝は、悪いことをしたなんてこれっぽっちも思っていなかったから、知らんぷりをしていた。



 被害者ぶってる太った中年女たちは、示し合わせて「悪口なんか言っていない」の一点張り。

 例によってみんなに自分たちの都合のいいように話を作って言いふらしているらしい。



 子供だからなにか勘違いしちゃったのよねぇ。

 もう怒ってないわ。



 なんて心にもないことを言いながら、人がいなくなると鬼婆のような形相で月枝をにらみつける。



 「獣憑きが伝染ったのよ」とつぶやく声も聞いた。



 月枝は、そんな女たちを見て、生まれて初めて「死んでしまえ」と思った。



 だけど、これ以上自分が暴れても明奈の立場を悪くするだけなので、拳をポケットの中で握りしめて我慢した。

 自分が子供であることが、悔しくて哀しくてもどかしかった。



 腐った大人は、決して改心なんかしやしない。



 もしも悔い改める日がくるのだとしたら、自分が同じ立場になったときだけだ。

 だけどそれでもきっと、そういうやつらは他人のせいにして文句を言うに決まっている。



 だからなおのこと、月枝は、明奈の願いを叶えてあげたかったのかもしれない。



 三月十九日。

 月枝は幼稚園を卒園した。

 制服とベレー帽姿で病院を訪れた月枝は、ついに幼稚園に行くことのできなかった明奈に、自分の被っていたベレー帽をプレゼントした。

 明奈はとても喜んで、斜めに被ってみたり、園の徽章のついた部分を興味深そうに撫でたりさすったりした。



 明奈は、記念に写真をねだって、月枝は制服、明奈は制帽といういでたちで廊下で記念撮影をした。

 窓から、春らしくなった陽光が差し込んで、ふたりの少女をやわらかく照らしていた。



 その日の夕方、明奈の病室で、月枝は明奈が処置室から戻ってくるのを待っていた。左手の包帯が取れるのだそうだ。

 明奈は、少し頬を赤くして、スリッパをぺたぺた鳴らしながら病室に戻ってきた。

 月枝には明奈の足音はすぐわかる。



「どうだった?」

「うん。へんなかんじ。でも、うごくよ」



 月枝は、ぱぁっと笑顔になった。



「そっかー。よかったねぇ」

「これで、月枝ちゃんとあやとりできるようになるかなぁ」

「おりがみだっておれるし、ピアノもひけるよ」



 明奈は「ピアノはどうかなぁ」と言いながらも、嬉しそうに笑った。



「たいいんしたら、あたしがおしえてあげるからだいじょうぶ」



 月枝は、自分も赤いバイエルの最初のほうまでしかいっていないのに、偉そうに胸を張った。

 明奈の母がなかなか戻ってこないのは、なにか注意事項でも聞いているのだろうか。



 子供たちはそんなことなど気にせずに、次から次へと楽しい計画を話し合った。

 暖かくなったら、お弁当を持ってピクニックに行こうね。

 小学校では同じクラスになれたらいいね。

 タンポポが咲いたら、いっしょにお花の冠を作ろうね。



 子供らしく他愛のない約束の数々に、いちいちふたりははしゃぎ、それを実行する自分たちの姿を思い描く。

 オルゴールを鳴らしながら、そんな話をしているときがいちばん楽しかった。



 でも、明奈はときどき、オルゴールを見つめて寂しそうな顔になる。

 そんなときはきっと父親のことを思い出しているのだ。

 明奈の両親は、明奈の病気のせいで離婚をしたと言っていた。

 子供が病気になったのに、父親と母親が助け合って看病しないなんてことがあるんだろうかと、月枝は思ったが、それは言ってはいけないことだと子供心に思っていた。



 なにより、両親が別れることになったのは自分のせいだと、明奈が自分自身を責めているのがわかっていたからだ。



「行こうか、ふたりでいっしょに」



 明奈の、包帯のとれたばかりの引きつれた傷跡の残る手をとって、月枝は提案した。



「え? どこに?」

「明奈ちゃんのパパに会いに」



「だって、とおいよ?」

「まいごになっちゃうかな?」



「ううん。のりかえはかんたん」

「だったら行けるよ。明奈ちゃんももうすぐたいいんでしょう?」



「うん。でも、ママにいったら、だめっていわれるよ。なんどもたのんだのに、連れてってくれないんだもん」

「じゃあ、ないしょの大冒険だ」



「ないしょなの?」

「だって、パパに会いたいんでしょう?」



「会いたい……。会って、ぎゅってしてもらいたい」

「じゃあ、行こう。ママが連れてってくれないなら、あたしといっしょに行こう」



 そして少女たちは、ふたりだけの大冒険を計画しはじめた。

 明奈が退院したら、ふたりで汽車を乗り継いで、明奈のパパに会いに行こう。

 行き先さえわかっていたら、駅員さんがいろいろ教えてくれるから大丈夫。



 ふたりで行けば、なにも怖くなんかない。

 少女たちは、互いのおでこをくっつけて、くすくすと笑い合った。



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