エリスの絵日記

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第三章 第三親衛隊の崩壊

3-2 「それってさぁ」

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敗色濃厚となった貴族達も、近所同士で連携するくらいの抵抗は見せていた。なにしろ、負けて捕らえられれば命はない。自分だけではなく、一族郎党皆殺しにされることは目に見えている。最後まで、抵抗をやめようとはしない。

しかし、なすすべもなく討ち果たされる貴族達が相次いだ。もはや、兵士の統率が不可能になっていたからだ。

貴族だけで編成した軍などありはしない。第二親衛隊の千人ですら、魔王がかなり無理をして集めた特殊部隊だ。そんなものを、地方豪族に過ぎない貴族がまねできるわけがない。彼らの主力は平民だ。農民だ。悪政を倒すため、あわよくば略奪して自分の懐を肥えさせるために参加した、普通の人々だった。

普通の人は、自分の命が危なくなれば恐れを抱く。逃げ道も探す。そんな彼らの前に光明が差し込めば、誰でも容易くすがりつく。

帝国はそれら、反乱軍に属した平民の罪を問わないものとする布告を発した。首謀者は貴族達であり、農民達は騙され、扇動された被害者として保護することにした。

効果は覿面てきめんだった。すでに前例がある。ベルナルドに従った農民部隊も無罪放免され、一部有力者には、近隣市の庁舎に陳情のために出入りする権利を認められた。反乱の罪も、略奪の罪も問われず、ただそのまま故郷に帰ることを許された。

これは確かに、アルステイルが独断で発行した手形の内容を履行したものに過ぎなかったが、魔王自身も農民を処罰する意思は持っていなかった。無知蒙昧な民衆が反乱に組したならば、彼らにものの道理や損得勘定を教えきれなかった政府の責任だ。アルベルトの基準に照らせば、彼らは裏切り者とは呼び得なかった。

もはや貴族の側に起ってしまった以上、最後まで戦うしかない、という状況ではなくなった。今からでも降参すれば助けてもらえるとなれば、いったい誰が貴族と最後を共にしたがるだろうか。

こうして貴族達の兵士は、霧散するようにかき消えていった。残された貴族は自害するか逃亡するか、捕縛されるか。ごくわずかな貴族だけが姿をくらますことに成功した。

まだ勢力を保って防備を固めているのは、ランカプールだけになった。ランカプールには帝国の布告は及んでいた。減税は実施され、私塾も開かれ、帝国に弓引く土壌は出来上がっていなかったはず。それでも公爵がアルフレッドを擁立し、反乱の背骨となれたのには、民衆の支持があった。

平民の多くは許されたが、例外とされた者もいる。御用商人達だ。アルフォンソを担いだのも、レオン朝の御用商人だった。これらの者達は、貴族と同じように惨殺された。ランカプールでも、公爵の反乱を支持した商人達がいる。特権の付与と引き替えに、危険な綱渡りに挑戦した者達だ。

あるいは、さらなる権利拡大のために起った農民もいた。無知蒙昧なる故に、ではなく、その方がもっと得になると判断した上での参戦だ。

魔王も、彼らは許すつもりがなかった。ランカプールが陥落したとき、処刑される人間の数がどれほどになるか、想像もつかなかった。

しかし、十万人近い人口を誇るランカプールにとどめを刺してしまうのは国益に反する。そこで、ランカプールで反乱を起こしている平民達の懐柔と、都市機能の保全を兼ねて、ランカプール攻略の指揮権がロンダリア王に与えられることとなった。

ランカプール公爵の一族さえ抹殺するなら、ほかの処分はリチャード王に一任された。商人や農民への処罰は、軽度のものに引き下げられる。アルベルトから与えられた軍も加えて、長期戦覚悟の包囲網を敷いている。

これが、魔王からロンダリア王への恩賞だった。主戦場となったロンダリアでは、王国軍が貴族達の領土を接収することができていない。内乱勃発からずっと、防戦一方だった。アルベルトもそれが多大な貢献であることは認めている。その見返りに、帝国軍を使ってランカプールをリチャードに与えようというわけだ。

だが、同時に処罰も与えた。臣下であるランカプール公の離反を見抜けず、帝国に混乱をもたらした罪として、ランカプール公爵配下の東部地域を帝国が没収することにした。縮小の一途を辿っていたロムリアの天領が、しばらくぶりに拡大することとなる。

エリスが忍び込み、アルフレッドの謀反の証拠となる手紙を入手したエルティール伯爵領にも、帝国から新しい領主が送り込まれた。そして今、帝都の第三親衛隊本部には、新しい隊員が訪れた。エルティールで戦った、ベルナルドと五分の力の持ち主。あの大男だ。

男の顔に見覚えがあるのはマリーだけだった。エリスやベルナルドには、はっきりと光で照らされた顔を見る機会がなかったからだ。だから本部にその男が入ってきたとき、ぴたっと、マリーだけが硬直したように動かなくなった。

ほかの隊員達も、見ない顔のやつが来たな、というのは分かった。体格はベルナルドに匹敵し、重装備の鎧に身を固め、背中には麻袋を背負っている。ここは用のない人間が近づくところではない。よそ者が訪れるとすれば、連絡係か、さもなければ新規隊員ということになる。

人々の注目を集めたまま、大男はまっすぐに隊長席まで進んだ。そこでは、エリスと参謀が話し合いをしている最中だった。

「第三親衛隊の隊長、エリス将軍でしょうか」

体格にふさわしい、太り気味の顔立ちにも似つかわしい、野太い声だった。だが言葉遣いは丁寧で、無法者上がりの隊員達よりも育ちが良さそうだ。

「そうだけど? うちの新人?」
「はい。アルベルト閣下からのご命令を受けまして、こちらに配属されることとなりました。よろしくお願いします」

頭を下げた。礼儀がなっている。珍しい。あまり堅苦しい挨拶はエリスの好みではないが、だいたいここに送られてくる人間は、礼儀のれの字も知らない人間だ。古くからの密偵とアルステイルくらいが例外だろうか。

人格には問題があると聞いていたので心配していたが、これなら普通に使えそうだ。

「もしかして、エルティール伯爵の城にいた人?」

エリスは声を覚えていた。「何者だ!」という一言しか聞いておらず、そのときの声と今の声ではだいぶ印象が異なるが、それでもなんとなくそんな気がした。

「はい。先日はご無礼いたしまして、申し訳ありませんでした」
「お互い、それが仕事だから。仕方ないでしょ」

大男の方も、あのときの侵入者がエリス達だったことは知っているようだ。背後で隊員達のどよめきが聞こえる。あの戦いでベルナルドが吹き飛ばされ、マリーが九死に一生を得たことは話題になった。ベルナルドすら止められないような戦士が味方になってくれれば心強い。

「あなたが優れた戦士であることは分かってる。みんなすぐに一目置いてくれると思うから、別命あるまで好きに過ごして。堅苦しい規則もないし」
「はっ。ありがとうございます」

エリスはルキウスを手招きすると、大男を部屋に案内するように指示した。ひとまず荷物くらい置かせてやろうと思ったが、その前に一つ気になっていたことを確認した。

「そういえば、どうしてあんな暗がりにいたの? あと、あのときマリーにとどめを刺せたように見えたけど、どうして手を出さなかったの?」

当然気になるところだった。誰もがそれを知りたがった。だが、大男は言葉を濁した。

「あ・・・あの・・・どうしても言わないといけませんか」

第三親衛隊は、細かい詮索をしない部隊だった。昔犯罪者だったことすら打ち明けなくていい。元々犯罪者ばかりの部隊なのだから。だが、エリスは気になった。マリーを失いかねない状態になったあの場面、あれをどうして切り抜けられたのか、知りたかった。だが、聞かない方がよかったかもしれない。

「真夜中に城の中で潜むのは、普通は泥棒か暗殺者くらいでしょ。うちは一応アルベルト陛下直属の親衛隊だからね。ここから裏切り者を出すわけにはいかないの。もし、あなたに主君に仕える意思がないなら、さすがに置いておけない」

もっともらしい理由を付けて、白状させた。大男は口ごもりながらも、真実を打ち明けた。

「あの頃、俺・・・自分は同僚達に白い目で見られてて、すごく居づらかったんです。寝ようにも眠れないし。それで、うろうろと城内を歩き回って、たまたまあのときあそこで悩んでました」
「白い目で見られた? 何で? 何かしたの?」
「いえ、なんもしてないっすよ」
「なら、そんな扱いされないでしょ」
「するんすよ、あいつらは」

大男の額にうっすらと汗が垂れているが、これが動揺によるものか、ただ太りすぎなだけか。

「何で白い目で見られたの?」
「いや、だから、べつになにも」
「私に分かるように、事実を説明して」

周りの隊員達も集まり、男の背中で人だかりができている。

「ほんとに、俺は別におかしなことなんかしてないんですよ!」

参謀が口を挟んだ。

「あなたとしてはおかしな事はしていないつもりだが、周りの人はそうは思わなかったと言うことではありませんか?」
「そうそう! そうなんですよ! あいつらおかしいんです!」
「で、それは何をしたのよ」
「だ、だから、ちょ、ちょっと、町でかわいい子を見つけて・・・衛兵の仕事として声をかけただけで・・・」

エリスの両目が細くなった。

「いやでもそれは俺の仕事でして! 衛兵ですから、迷子がいたら心配するじゃないですか!」
「それと『かわいい子』はどう関係するの?」
「どうせ迷子に声かけするなら、かわいい女の子がいいじゃないですか!」

エリスは視線を落とし、小さく息を吐いた。期待の新人に浮かれ、上がっていた口元も下がりきった。

「違いますよ! 手なんか出してませんよ! 本当だって! なのにあいつら俺を変態扱いしやがって!」

男が周囲を見回すと、隊員達が一歩後ずさる。もちろん、大男の気迫を恐れたからではない。気持ち悪いものから遠ざかるためだ。

「だから違うって! 俺は変態じゃねえ!」

男が吠える度、人々の輪が遠くなる。

「それってさぁ」

うつむいたまま、エリスが尋ねた。

「あのときマリーを見逃してくれたのって」

男は満面の笑みを浮かべると、堂々と言ってのけた。

「あんなかわいい女の子、殴れるわけないじゃないですか!」
「それで? 第二王子が任命した大神官達が、第二王子自身によって解任されたって事?」
「そういうことになります。しかも、解任されたのはここ数年で大神官になった者達ばかりです」

エリスは参謀との相談を再開した。

「その大神官達に何か落ち度があったとか?」
「今のところそういう報告は入っておりません。派閥闘争と見るのが自然と見ていますが」
「そっか。じゃあもう少し調べさせて、それからまた対応を考える感じかな」
「それがよろしいかと。最悪の場合、また隊長殿にもご出馬頂くことになりますが」
「そうならずにすむくらいの問題だといいね」

もはや、エリスの目には大男は映っていなかった。どうしたらいいのかと辺りを見回すと、隊員達が後ずさる。特に女性隊員、マリーなどは引きつった表情で壁に背を付けていた。

ただ一人、ベルナルドだけは男の肩をたたき、慰めてやった。互角の戦いを演じた者同士、認めるものがあるのだろう。

「あんた、名前は?」
「あぁ・・・俺は、アルベルトだ。よろしくたのむ」

名を尋ねたベルナルドだが、しまった、という顔をした。もう一度、優しく肩をたたいた。

ここ二十数年というもの、アルベルトという名前は人から呼んでもらえない。理由は言うまでもない。あだ名で呼ばれるのが常だった。

ルキウスに部屋を案内され、アルベルトが広間に戻ってくる間に、男のあだ名は決まっていた。
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