エリスの絵日記

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第三章 第三親衛隊の崩壊

3-9 「私は今、本当にわけが分からない」

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エリス達が本部に引き上げると、練兵場の隊員達が出迎えた。

「姉御ぉ、何したんだ?」
「何って?」
「いや、参謀がいらいらしてるけど、あれは姉御のせいじゃねえのか?」

ああ、と足を止める。何度か途中経過を求められながら、全く返事も出さなかった。確かに、怒らせてしまっても仕方ない。

「忙しくてね。状況報告してなかったから」
「しっかり仕事しろよ? まぁ、王女様になりゃ、それももう必要ねえか」

女王になる予定はないが、王女になる予定はある。彼らの認識が誤りであることが指摘できないのがもどかしい。エリスは話を変えた。

「第二王子の書庫で調べ物してたんだけどさ、あんた達、おーさまに娘がいたの知ってる? しかも、おーじさまと同母の、つまり正当後継者にもなれたはずの」

隊員達が集まってくる。

「ほんとかぁ? 聞いたことねえけどなぁ」
「いや、そんな話あったな。ずーっと昔にちょっと噂になっただけだが」
「へええ、さすがインテリは違うねぇ」

元犯罪者にもいろんなのがいる。学者だった男は、なかなかに物知りだった。

「でさ、その王女様は音楽が得意だったんだって。私と似てるところがあったらしくて、楽譜を一度見ただけで曲が演奏できたんだってさ」
「世の中には物覚えのいい人間がいるもんだなぁ」
「俺たちにも半分わけてほしいよなっ」
「半分の半分で十分だけどな」

豪快に笑い合っている。エリスは手を振り、本部に入っていった。後に続くのは四名。密偵達はまた別な地域の偵察に出している。

広間に入ると、エリスの帰還を認めて、参謀が出迎える。

「隊長殿、お帰りなさい。何度も連絡を差し上げたはずですが、一向に返信が来ないのはどうしたわけでしょうか」
「忙しかったの。情報を送れって言われたって、どの情報が必要か分からないんだもん。全部説明しようとしたら、何枚分手紙書かなきゃいけないか分かったもんじゃないし」
「それが仕事ですよね?」
「いいじゃない。どうせ私は全部覚えてられるんだから。情報の精度が落ちるわけでもなし。明日にはちゃんと説明するよ」
「出来るだけ早いほうがいいのですが、これから報告を受けてもかまいませんよ」
「まずはおーさまに報告書書かないと。これがまためんどくさいんだ・・・」

やれやれと首を振る参謀。

「収穫はどうでしたか? それだけたくさんの資料を目にしてきたなら、興味深いものもありましたか?」
「まあね。ベネディットの公式記録なんかはあらかた集まったと思うよ。それですぐに謀反の計画には結びつかないだろうけど」
「分かりました。待ちくたびれましたので、私は少し外を歩いてきますが、不在にしても大丈夫ですか?」

エリスは軽く頷き、執務室へ向かう。

「日が暮れるまでには終わらなそうだから、今日は好きにしてて。マリー達もいったん解散。その子は・・・ロリコン君、てきとーに都の案内でもしといて。たぶんもうしばらくうちで預かるから」
「あの、エリス・・・」

カイルがもじもじと言葉を選ぶ。

「その、その子とか、この子って言うのやめてくれないかな・・・」
「何で? 私ほとんど人の名前呼ばないので有名だし」
「いや、名前じゃなくてもいいから、子って言うのだけやめてほしい」
「だって子供でしょ?」
「エリスは十・・・六?」

「そうだけど?」と聞き返すと、カイルはさらに言いにくそうに視線を背けた。

「僕十七なんだ・・・」

時が止まった。見た目はかなり幼い。背丈はエリスと変わらない。気弱で、物静かなところから、きっとマリーと同じかそれより若いだろうと思われていた。

「分かった。後で考えとく」

今はあまり頭を悩ませたくないエリスは、早々に切り上げた。

報告書を書き始めたエリスは、部屋に籠もったまま出てこなかった。何度もうんざりしてやめたくなりながらも、これも仕事、これも仕事と、慣れない作業を延々と続けた。救いだったのは、新しい鉛筆が使いやすく、つけ外しに手間取らないことだった。

ようやく書き上がったときには、日もとうに暮れていた。出来るだけ早めに伝えておきたいことがあったので、疲れた体を押して出かけた。参謀達からはいつも通り、気をつけていくように声がかけられる。

気をつけると言っても、帝都のど真ん中で、キ印部隊の隊長を狙う馬鹿はいない。いなかった。少なくともこれまでは。

ところがこの日に限って、そんな馬鹿が現れた。四人。顔を布で覆い隠し、全身も潜入用の衣服で覆っている。

持久戦をする気はないだろう。それほど馬鹿ではないはずだ。エリスも腰の短刀を抜くが、応援が駆けつけるまで持ちこたえられる可能性はどれほどか。戦うより逃げる方が確実だ。構えだけ取って走り出そうとしたとき、敵が手を振っているのに気づいた。

訝しみ、試しに箱を見せてみる。すると、首を縦に振った。どうやら、書き上げたばかりの報告書が狙いのようだった。相手が自分たちの技量にどれほど自信を持っているかにもよるが、二兎を追うほど余裕を見ているとも思えない。

エリスは襲撃者達から目を離すことなく、そっと屈んで木箱を地面に置いた。数歩後ずさり、そのまま敵の隙間をめがけて走り出す。

案の定、彼らは箱だけを回収し、速やかに撤収した。エリスの技量を軽く見ていれば、ついでに始末することも考えるだろう。そもそも、箱を放棄させることなく、奇襲による最初の一撃だけで片をつける算段も立つだろう。そんなそぶりも見せず、作戦目標だけを達成して引き上げたことは、ただの夜盗の仕業とは思えなかった。

夜とはいえ、街を歩く者がいないわけではない。ごく少数の目撃者であれば、衛兵が駆けつける前に事がすませられる。その後も身を隠し、追っ手を振り切れる。そういう前提に立った作戦だった。

振り返り、敵が去ったことを確認したエリスは、何事もなかったかのように城へ向かった。大事な報告書を奪われた上、報告しなければならないことが増えてしまった。参謀やルキウス達に小言をくどくどと言われるんだろうなあと、エリスは今日何度目か分からないうんざりした表情を浮かべた。

魔王への報告は手短にすませ、本部に帰ったエリスは、事の次第を参謀に伝えた。「だから言ったじゃないですか!」と、大声で説教され、世にも珍しいエリスの公開説教という見世物に、寝ていたはずの隊員までが起き出してきた。

「あ、あの、私ちょっと、今日もう疲れたので」

途中で切り上げてほしかったエリスだが、このときばかりは参謀とルキウス、マリーもベルナルドも総出で、やっぱりいくら都でも油断しすぎだと言われ続けた。

心配そうな顔で見守るカイルと、腹を抱えながら、笑い声を上げないことに必死なロリコン。

さんざん絞られたエリスは、もはや魔女の威厳もなく、一人で出歩くことは禁止され、必ずルキウスを護衛に連れる事という約束に同意させられた。

その日以来、エリスはあまり外出しなくなり、執務室で一人過ごすことが増えていった。エリスが準備した渾身の一作が奪われてしまったことがショックだった。実際上の問題は大きくない。魔王が知りたがった情報はすでに口頭で伝えてある。

魔王自身、第三親衛隊の活動からヴィルヘルムの謀反の痕跡を見つけることはあきらめている。すでに各地の神殿に使者を送り、関係の改善と事情の説明、情報収集への協力を願い出ている。それが進まないのは、魔王が神殿の権力に介入しようとしているという警戒心のせいであり、これを解消するのは宰相の仕事だ。

第三親衛隊の統率力が低下しているのも織り込み済みであり、エリスが持ち込んだ一策にも協力する手はずとなっている。現時点では、エリスがすぐに動かなければならない案件はなくなっていた。

もうしばらく様子を見て、動きがあればよし、なかったら、そのときはまた何かを考える。そういう、場当たり的な、持久戦を想定していた。

しかし、時間がそれを許してくれなかった。

部隊の統率が、もはや保たないところまで来ていた。エリスに対する親近感が失われていき、それでも仕事はやり遂げる姿を見せることで引っ張ってきたが、ここへ来て取り返しのつかない失態を見せてしまった。

もちろん、報告書を奪っていった者達の捜索くらいはしたが、それも未解決。怒られ、情けない姿をさらしたあげく、翌日からは部屋に引きこもってほとんど姿も見せない。部隊の指揮は、実は今まで通りとも言えるのだが、ほとんど参謀がとっていた。

事件があってから十日ほど経った頃だろうか。エリスが広間の隊長席に姿を現した。特に何をしているでもない。以前の通り、ただなんとなくそこにいる。それが、今までの当たり前の姿だった。しかし、どうしてもそれが頼りなく見えてしまう。

きっと、これまでの間に話がついていたのだろう。広間に多くの隊員達が集合し、ベルナルドが代表として進み出た。

「姉御」

呼びかけられて顔を上げる。ベルナルドが机の端ぎりぎりまで迫ると、かなり首を上げなくてはならない。

「ちょっといいか」
「どうぞ」
「もう十分じゃねえかな」
「何が?」
「姉御はよくやったよ。女にしてはとか子供にしてはとか、そういう話じゃなくて、あんたの仕事ぶりは立派だった」

上から押しつけられた隊長としてではなく、自分たちのリーダーとして、無法者達も納得させてきた。魔王の口添えがあったことは事実だ。魔女という名声が作られるより前から、エリスは魔王の暗殺未遂者として隊員達に恐れられた。

「おまえ達の中で、この小娘よりも大きな事をやってのけたと思う者がいれば、申し出よ。聞いてやるぞ」

部隊の結成日、そう呼びかけたアルベルトに、手を上げられた者はいない。最初から、エリスは一目置かれた存在として、隊長席に座ることが出来た。

が、それだけではないことを誰もが知っている。エリスがどんな生まれでも、年端がいかなくても、性別がどうだろうと、危険を伴う潜入作戦の全てを最前線で担当してきた。隊員達は皆、その後ろ姿を見守り、精一杯に援護してきた。

貴族嫌いのお嬢様として。なぜか価値基準が自分たちに近い、口は悪いが気のいい姐さんとして。隊員達はずっと敬意を払ってきた。ベルナルドも最古参の一人として、魔女エリスを育てた兄弟の一人として、部隊に愛着を持っている。だからこそ、エリスの名声が地に落ちる前に、退いてほしいと願い出た。

「引退しろよ、姉御。あんたが本当に王女様になるかならないかは知らねえが、ほかに身の置き場くらいあるだろう。都を守った功績もある。魔王のおっさんに言って、別な身分を用意してもらいなよ」

エリスが見回すと、二人とも視線を集めていた。ベルナルドを見ているのは密偵達。そして、エリスの古い仲間。長く率いてきた元犯罪者達の目は、エリスの方を向いていた。

「私が引退したとして、怪力君が隊長やるの?」

義賊と呼ばれた朴訥ぼくとつな男が、隊長という地位を簒奪したがっているとは思わないが。

「俺には向かねえよ。でも、参謀がいるじゃねえか。どうせ姉御がいねえときは、ずっと参謀が仕切ってたんだ。大して変わりゃしねえよ」

エリスはうつむき、目を閉じた。呼吸はゆっくり。いらだちではなく、失望が支配している。誰に向けたものかは分からない。自分か、隊員か、あるいは巡り合わせか。

しかし、すんなりと受け入れる気にはならなかった。エリスは生来気が強い。他者に我を押しつけようとしないだけで、自分の流儀を曲げるのは大嫌いだった。立場に愛着があるわけではないが、誰だか分からない連中の陰謀にかき回され、そいつの思うままになっているような展開がしゃくさわった。

押し黙ったままのエリスの傍らに、参謀が立った。

「恐れながら、隊長殿。私としましても、職を辞した方がよいかと思います」

今度はこちらに注目が集まった。いままでずっとエリスを補佐し、隊員が愚痴をこぼすときでもエリスを助けてきた参謀が、ついに見限った。

「隊長殿のご身分は保障されるはず。そして、ここまで来てしまっては、もはや隊の統率を回復することも出来ません」

アルステイルも、エリスの名が価値を持つ今のうちに、交代した方がよいという判断だった。

「隊長殿は、そもそもそういうご予定だった。それが少しばかり早まるだけ、と見る向きもあります」

閉じていた目を開き、エリスが眉をひそめる。

「予定って?」
「隊長殿は、もともとアルベルト陛下の世継ぎとなるべく、こちらの仕事を任されたのではないか、という話です」

参謀の言葉を理解できる人間はいなかった。参謀の所にしか、全ての情報は集まっていなかったからだ。

「陛下にエリーシアという王女がいたという話がありましたね」

エリスは参謀には事実をそのままに伝えてある。お説教を受けたばかりだったので、手短に、だが。

「その王女は幼少の頃体が弱く、王位継承権を与えられぬままに神殿に預けられました。しかし、九歳の頃には回復しています。第二王子も成長過程で健康になりましたから、似たようなものだったんでしょう。十一歳の時にロンダリアへと居を移し、十三歳で亡くなったことになっています」

参謀は広間を少し歩き始めた。人々はその言葉に聞き入っている。何を語ろうとしているのだろうか、と。

「ところで、なぜロンダリアへ移ったのでしょうか。そこは亡き母のご実家です。陛下の后は、エリーシア殿下をご出産の後亡くなってますから。そう考えれば不自然さはない。ごくごく普通の話。しかし、ならばなぜはじめからご実家で預からなかったのですかね?」

実母不在とはいえ、孫娘である王女を預かることをいやがる公爵はいないだろう。

「答えは簡単。病気だったからです。だからこそ神の庇護にすがり、それ故に第二王子の采配に任された。では、その第二王子の手から離れ、実家に帰ることは何を意味しますか?」

隊員達が、なるほどと頷いた。

「そう、健康になったということです。もう、神の庇護を必要としなくなった。だから実家に帰ったのです。なのに王女は二年後に亡くなっています。暗殺などの気配は全くありません。健康になったなら、そんな簡単に死ぬはずはない。そして、王女が亡くなったとされているのは三年前。ちょうど、隊長殿が陛下の暗殺を企てたとして、捕縛された頃です」

ロリコンの表情が引きつった。やばい事って、まさかそんなことだったのかと。

「隊長殿もご存じでしょう。王女に赤毛の友人がいたこと。王女に特別な記憶力が備わり、楽譜を一度見ただけで覚えられたこと」

エリスの鼓動が高鳴り始めた。なにか、何かがおかしいと。

「もう一つ、重要な情報があります。王女がイルルスからロンダリアへ移る前、記録に残されていない空白の一ヶ月があります。このとき、王女は何をしていたのか? どうやら、アルベルト陛下と会談していたというのです。このとき、二人の間で何らかの約束が交わされたとしても不思議ではありません」

エリスの口が開いた。喉に力が入らず、声は出てこなかった。じっと参謀の顔を見つめ、あってはならないものを見てしまったように、顔が左右に動いた。                                                                                                                                                        

「つまりこういうことです。エリーシア王女は健康になり、ロンダリアへ帰った。帰る前に陛下と会い、共に過ごしている。そして二年後に死んだこととされ、その後すぐに第三親衛隊の隊長、エリスが登場した」

ノウキン達でも、ようやく参謀の言おうとしていることが分かり始めた。こいつは、今とんでもない話をしているんだと。それがどれほどの事なのかは、驚愕としか言いようのないエリスの表情を見れば分かる。

「隊長殿。いかがですか。あなたはずっと、陛下のことを『おーさま』と呼び続けていますが、本当はこう呼びたいのではないですか? 『おとーさま』と」

エリスの反応は次の段階に進んだ。驚き戸惑うことをやめ、しきりに首を振りながら、何かを考えている。

「事実、隊長殿がエリーシア王女その人だったとして、なぜこのような面倒なことをするのかという問題があります。不思議はありません。事情は簡単。こうでもしなければ、王位継承権を与えられないからです。だってそうでしょう? 病気が治ったから継承権を与えるというのなら、ヴィルヘルム殿下にも与えなければならない。ところが陛下にはその気はない。ならば他の理由、王位継承権を授与するための口実が必要になります」

「だから特殊部隊を編制し、そこで実績を積ませることで養女に迎えると・・・」、ノウキン達にも合点がいったようだった。出来すぎな話と疑う者はいない。これを疑うようなら、そもそもうわさ話を信じていない。

冷たい目でアルステイルを睨みつけているのはマリーとルキウスだけ。思いの中身は異なっても、他の全ての視線はエリスに注がれていた。

エリスはまだ考えを整理中だった。額に手を当て、口元を覆い、首を振る。アルステイルにも見られる、考えているときの癖だった。しかし参謀とは違い、エリスがいくら考えても答えにたどり着けない。だからまだ途中だが、参謀のように綺麗に語ることは出来ないが、率直に、飾らない言葉で話し始めた。

「私は今、本当にわけが分からない。どうして今なのか。どうして参謀君なのか。辻褄が合わないことばかりで、私の頭は混乱してる。だから、意味わかんないかもしれないけど、頑張って理解して」

エリスはアルステイルに尋ねた。

「私が王女になって、おーじさまが死ぬのを期待してるっていう噂、参謀君が流したの?」
「何を言ってるんですか?」
「いつからかは分からない。理由も分からない。だけど、部隊を混乱させ、私を失脚させようと工作をしていたのは、参謀君だよね?」

あきれたように首を振り、参謀はため息をついた。

「隊長殿、何を言ってるんですか? 確かに私もなかなか信じられない話をしたかもしれませんが、あなたのはそれ以上に意味不明です」
「そういうのいいから。参謀君が何かを企んでいることは疑いようがない。だから、正直に聞かせてほしい。でも、そうだよね。まずは、参謀君が裏切り者だっていう証明をしないと、誰も信じてくれない。みんな、何その目。私の頭がおかしくなったと思ってるでしょ?」

確かに周囲のまなざしは、怒りや呆れを通り越して、心配そうだった。

「参謀君の持ってる情報、それおかしいんだよ。私がしていない話まで知ってる」
「私は参謀です。この部隊の情報は、だいたい私の所に集積されます。隊員の知ってる情報なら、だいたい私の所に来るのは当たり前じゃないですか」
「じゃあ何で、隊員の知らない情報まで知ってるの」
「それは、私は時には城にも顔を出しますし、あちらの文官ともやりとりがあるわけですから、別方面から入手する資料もあるでしょう」

エリスは優しく首を振り、それもないと言った。

「あなたは、城の文官も知らない話を知ってしまった。その話は、私とおーさま、そして私から報告書を奪っていった敵しか知らないものなの」

参謀も目を細めた。

「どういうことでしょうか。報告書に記載されているような内容なら、どのみちどこかからかは入ってくるはずでしょう。隊長の調べた文書を、他の人も調べたかもしれませんし」
「第二王子の書庫は結局私しか調べてない。みんな、護衛で忙しかったからね」
「それでもたまたま手にとってめくったところに、同じ事が書かれていた可能性があります。そもそも、今回の調査とは別なときに私の所に送られてきていたかもしれません」

もう一度、諭すように首を振り、悲しげな視線を送った。

「それもあり得ないんだよ」
「どうして言い切れるんですか。調べてみるまでは分からないでしょう」
「嘘だから」

今度は、参謀が考える番だった。どういうことなのか。それが何を意味するのか。

「嘘なの。分かる? 分かるよね、参謀君なら。エリーシア王女が特別な、私みたいな記憶力があったのも嘘。赤毛の少女と遠乗りに出かけたのも嘘。そして、報告書に書いた、王女とおーさまが一ヶ月ほど話し合ったのも大嘘」

参謀の表情に焦りが見え始めた。

「王女は元気になんかなってない。九歳頃には回復したように見えたのは事実。赤毛の女の子と友達になって遊んだのもほんとのこと。ロンダリアへ移る前に、一ヶ月間神殿を留守にしたこともある。でも参謀君には、あまりこの話はしていない。王女の話は、第二王子の謀反とは無関係に思えたから。参謀君には、嘘の情報を流す必要がないと思っていたから」

黙って考えている参謀に追い打ちをかける。先ほどとは攻守が逆転していた。

「どうしてそんな嘘をついたのか不思議でしょ? おかしいと思ってたんだ。私が王女になるっていう噂が流れて以来。どこかに裏切り者がいる。近くか、微妙に遠いところのどこか。だから、ふとした思いつきで嘘を混ぜることにした。おーさまの配下だった密偵達のグループ、あったま悪いふてくされノウキン達のグループ、そして城の貴族達のグループ。このどこかに敵がいる。そう思ったから、それぞれのグループに向けて、一つずつ嘘を流した」

アルステイルは小刻みに頷き、なるほどと納得した。

「それで、報告書に嘘を書いた、と」
「そう。あなたはあの報告書に混ぜた嘘を知ってしまった。それはつまり、あれを読んだって事。他のルートから同じ情報が伝わることはあり得ない。私の創作なんだから」

アルステイルは手近な椅子に腰をかけ、手のひらに額を当てた。

「陛下を通し、貴族達に見せて反応をうかがうための偽情報を、まんまと我々が奪い去ってしまったというわけですか」
「そういうことになるね」
「ではあの情報、全部嘘なんですか?」
「違うよ。嘘は一カ所だけ」
「敵に見られるかもしれない資料に、よくあれだけ機密事項を書きましたね」
「敵じゃないかもしれないしね。それに、本当のことの中に、ちょっとだけ嘘を混ぜるのが効果的なんだって、参謀君が教えてくれたはずだけど」

突然の展開に、隊員達は皆、黙って見守っている。

「だからさ。教えてほしいんだよ。どうして今なのか。どうして参謀君なのか。あなたがどこから送り込まれたのかは知らない。でも、もし私の暗殺が任務なら、とっくに果たせてるはず。活動を妨害するのが目的とも思えない。これまでずっと、参謀君に助けられてきた。あなたがいなければ、私は生きていないかもしれないし、隊の損害はもっとずっと大きかったはず」

参謀はそれは話せないと、説明を拒絶した。

「あなたはずっと慎重だった。怪しまれるような行動は何もしていない。私の部屋に入り込むことすらしてないでしょ。その程度のこと、誰もなんとも思わないだろうに。なのにどうして報告書の強奪なんてしたの? そこまで必要な情報だった?」

もしも、参謀がエリスの身辺を調査していれば、私室に潜入していれば。描きかけの、あるいは描き損じの報告書を目にする機会もあっただろう。エリスの普段の報告書を知っていれば、あんな真面目な、まるで参謀が書いたかのような堅苦しい文書に、違和感を覚えたはずだ。

「情報としては、興味深いものでした。役に立ったかと聞かれれば、立ちそうではあります。しかし、強奪すること自体が大きな目標でしたので」
「私を引退させるため? させてどうするの? 自分が隊長になりたかった? それが最終目標?」

首を振り頭を下げる。

「それは秘密です」
「私が王女になるっていう噂、参謀君が流したの?」
「それも秘密です」

ここは王国諜報部だ。国家の危機となり得る情報を集めるのが仕事。それが今目前にある以上、秘密です、ですませるわけにはいかない。裏切り者を許さない魔王の意向に沿うならば、拷問にかけてでも全てを吐かせるべきだろう。

だがエリスは、参謀の最後の願いを聞き届けた。

「隊長殿。一つ、お願いがあります」
「うん」
「自害を、お許しください」
「あなた達の作法は」
「毒を」
「持ってる?」
「ここに」

参謀もエリスと同じように、首から自決用の毒を提げていた。中身を取り出し、手に乗せる。疲れ切った表情でそれを眺める。

「隊長殿。素晴らしい報告書でした。私に送られてくる連絡は、どうにも雑で心配しておりましたが、魔王殿にはあれだけのものを書いているならば杞憂ですね」
「参謀君の真似して書いたからね。疲れたよ、ほんとに」

あれだけのものを一日で書き切ったならば、確かに疲れるだろう。最後まで誤解したまま、アルステイルは毒を飲み込んだ。しばらくの間苦しみ、隊員達が体を支えてやる。ようやく動かなくなったとき、参謀には表情がなかった。年若いながらも、いつも落ち着き、困難な状況でも余裕を失わなかった兄貴分としての青年は、もうそこにはいない。

「くるんでやって」

エリスは、遺体を毛布で包ませた。殉職した戦友として、弔ってやるつもりでいる。だがその前に、解決しておかなければならないことがあった。
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