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混沌による侵食編

第178話 黒より黒き闇

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 まるで羊の群れの様に黒く蠢く何かが通り過ぎて行く。

 幸いにして、聖王国グランツは聖女のアークバスティオンが完成したため、結界で国を守ることに成功した。

 レグゼリアの軍勢を退けたとしてリーベは一躍有名な存在となり、聖都では連日連夜に渡ってお祭りが開かれていた。
 だが、主役であるはずのリーベはそこにおらず、ロイ一行は聖都で静養の日々を送っていた。

 ──コンコンッ。

 ドアをノックされたので「どうぞ」っと入室を促すと、入って来たのはフォルトゥナ教の神官と紫のローブを身に纏った魔術師風の人。
 前者はここが本拠地なので居てもおかしくはないが、後者はフードを目深に被っていて存在自体が怪しいことが見て取れる。

「ロイ殿、こちらは伝承保管機関に所属する調査員のアウリス殿です」

 神官の紹介により、アウリスと呼ばれた人が丁寧に礼をした。

「ご紹介に預かりました。伝承保管機関のアウリスと申します」

「……どうも」

 ロイがぶっきらぼうに返すと、神官が慌ててフォローに入った。

「アウリス殿、ロイ殿は……その、先の戦闘で大事な仲間を失っておりますゆえ」

「わかっております。こちらが無理を言って面会を頼み込んだのですから」

 ロイはベッドの上から外を眺めた。カイロが生きているというだけで許せないほど黒い感情が溢れそうになるけど、それをなんとか抑え込むために外から聞こえる陽気な音楽に身を浸している。

「それで、俺に何の用があるんだ?」

「聖王国グランツとレグゼリア王国の間を通過した黒い存在がいたのは覚えていますか?」

「意識は朦朧としていたけどな、何となく覚えてる」

「あれの正体が判明しました。あれはクリミナルです」

 クリミナル……覚えている。俺達が帝国経由でグランツ入りをしようとした途中で遭遇した未知の生き物だ。姿は黒いシーツを頭から被った子供のようだが、実際は黒い布の中身は存在していないと聞いたことがある。

「クリミナルの活動は小動物や人間の子供を襲う程度で、数も少ないと聞いていたはずだが?」

「はい、我々もそのように解釈して世界に発信しております。ですが、今回は明らかに人間種全体を狙った群衆攻撃スタンピードでした。どうやら我々は、クリミナルに対して認識を改めざる得ないようです」

「そもそも、なんでそれをわざわざ俺に報告するんだよ」

 ロイの問いに対して、神官が答えた。

「聖女様がロイ殿にもお伝えしておいた方がいいと、そう仰ったのでございます」

「神官殿の言う通りです。我々伝承保管機関も、歩く天災を退けたリーベのリーダーであるロイ殿には、是非とも知っていただく必要があると判断したのです」

 歩く天災……言い得て妙な表現だ。聖剣から神剣へと進化して、リンクさえできれば敵なしと心のどこかで思っていた。だけど奴と俺との差は果てしなく遠く、ましてや全員でかかってあの始末だ。

 素手で洪水を止めようとするようなもの、まさに天災と言えるだろう。

「我々伝承保管機関は、これを以てクリミナルを災害級の魔物と認定し、より詳細な調査をする所存でございます」

「斬れば倒せる敵が災害級? 少し大袈裟じゃないか?」

「我々の見立ててでは、数が増え始めたのはアグニの塔を解放してからだと考えてます。あの一件以降、僻地での確認が相次いで報告されています。更には先のスタンピードの折、群れの中に新種が紛れ込んでいたという報告があったので、伝承保管機関内での警戒レベルが一気に引き上がったのです」

「新種?」

 アウリスは頷き、一枚の紙をロイに手渡した。それを見ると、左側にはロイの遭遇したクリミナル、そして右側には通常のクリミナルを一回り大きくして、布の下部から腕と脚が生えているような絵が描かれていた。

「左側は俺達が見たやつだな。【クリミナル・ソルジャー】って名前だったのか。そしてその新種が【クリミナル・オフィサー】か」

「後の名称は先日名付けられました。新種の出現により、呼び分けする意味も込めています。もし、今後さらにこの上が存在するとしたら、それは【クリミナル・ジェネラル】と命名されるでしょう」

「嫌なこと言うなよ。前振りに聞こえるだろ」

 ロイはそう言うと、クリミナルの描かれた紙をアウリスに返した。少し間をおいて、神官が口を開く。

「嫌な話しはまだまだ続きます。我々がレグゼリア王国と戦争を行っている最中に、【風の属性塔・ゼピュロス】を有する自由都市ハルモニアが陥落したと報告を受けました」

「──ッ!? そうか……そういうことか」

 ロイは顔を手で覆いつつ、渇いた笑いを漏らした。

「ロイ殿、どうなされた?」

「いやなに、世界はアイツの思う通りに転がってると思ってな。歩く天災が黒兜の軍旗を掲げて行進、そりゃあ世界の注目はレグゼリアとグランツに集中するわな」

「……と、言いますと?」

「アイツの存在自体が陽動で、本当の目的は東のグランツではなく西のハルモニアだったってわけだ。クリミナルの一件を差し置いても、退くのが早すぎるって思ってたんだ」

「ふむ……確かに、世界は信仰国家であるグランツが落とされないか、そればかり心配していましたな。実際、我らグランツへ向けて救援部隊を送って来た諸国は数多くいた。誰もがハルモニアを裏で攻撃しているとは思わなんだ……」

 おかしな点は他にもあった。まず、カイロ以外の将軍がアンリ1人だったこと。黒兜の部隊は13部隊あって、第4部隊のハウゲンはグレンツァート砦で俺達が殺した。

 そして第1部隊のカイロと第3部隊のアンリがグランツに侵攻しているから、残りは10部隊。王都防衛に3部隊残すにしても、残り7部隊は完全にフリーになってしまう。

 恐らくは、その残った7部隊でハルモニアを侵攻したのだろう。

 テネブル、闇人形技術の応用による聖女弱体化、グランツ豪族への根回し、ヘルブリスの潜入、それら全てがこの陽動に集約されているとか、誰も思わない。

 全部が全部カイロの手引きじゃないとは思うが、それを最高のタイミングで罠を起動させる辺り、武勇だけでなく知略にも長けているということになる。

 ロイが黙り込んだのを心配してか、アウリスが声をかけた。

「ロイ殿、仮にあなたが世界全体の軍事を操れるとして、今回カイロが用いた策を看破できましたか?」

「はっきり言って無理だ。あまりにも大局過ぎて頭が追い付かん。どちらかというと俺は戦士だし、目の前の問題を1つ1つ解決していくしか出来ないんだ」

「すみません、あなたに多くを求めすぎてました。あなたといると、全てが上手くいくと思い込んでしまいそうになる」

「むしろ……出来ることの方が少ない。数千人で囲んで、たった1人を倒すこともできない、それどころか……俺は、パルコを……」

 ロイは自らの無力感に苛まれた。拳を握り、あの時の光景を思い返す。操縦席が大きくへこんだテスティード、隙間から血が滴り落ちていく。

 もしかしたら生きてるんじゃないかと思ってテスティードを回収させたら、中にはパルコの死体があって、クリミナルに蹂躙されて黒ずんでいた。

 ──クソッ!! 俺がもっと強かったら!

 ロイの様子が未だ不安定であることを察した神官とアウリスは、資料をテーブルに置いて立ち上がった。

「今日のところは出直した方がよさそうですね」

「……そうしてくれ」

「ではまた」

 神官とアウリスはそそくさと部屋を出ていった。

 その後、残されたロイは聖都で行われる戦勝パレードを窓から眺めていた。

Tips

クリミナル・オフィサー
新種のクリミナル。通常のクリミナル同様に黒い布で覆われた容姿をしているが、裾の部分からは脚と腕が生えている。クリミナル・ソルジャーは大人1人で難なく倒せる戦闘力なのに対して、オフィサーはDランク冒険者数人必要なほど戦闘力が向上している。

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