満天の星空に願いを。

黒蝶

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前日譚

いちご大福に願いを。葉月side

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『これでご飯を食べてください』
このメモを見て何も感じなくなったのはいつからか。
中学の頃色々あって、今は学校に行っていない。
そんな私は、最近癖になってしまっていることがある。
(やっぱりここからの眺めはいいな...落ち着く)
田舎だけれど、街の灯りが沢山見える場所。
宝石のように輝いている景色、見たことがないくらい大きな木、使わなかった千円札。
私の周りにあるのはそれだけだ。
夜の街は静寂に包まれていて、とても落ち着く。
千円札、本、時々自分で作ったカツサンド...いつもそれだけだった。
そんなことが続いたある日のこと。
「...」
(だ、誰かいる...)
場所を変えようと踵をかえしたそのとき、後ろから声をかけられた。
「ねえ、あなたも一人なの?」
「え...」
ざあ、と風が吹いてきて、月明かりが木の下で本を読んでいた女性を柔らかく照らした。
「あ、あの...」
帰れとか家はどこかとか、そんなことを聞かれてしまいそうで逃げ出しそうになる。
「ちょっと話さない?」
「え、あ、はい」
(この人誰なんだろう?知り合い...ではないよね?)
もう何がなんだか分からずに、取り敢えず近くに腰をおろす。
「...」
「これ食べる?」
「いえ、私はお腹空いてな...」
タイミング悪く、きゅるという音がした。
「そんなに警戒しなくても普通のいちご大福だから。...はい」
「い、いただきます」
半分に割って渡してくれたその人は、ここから見える景色をどう思っているのだろう。
聞いてみたいけれど、初対面でどこまで踏みこんでいいか分からなかった。
「...『そと秘めし春のゆふべのちさき夢はくまれさせつふ十三絃よ』」
「え?」
もちもちとした食感を楽しんでいると、そんな言葉をかけられた。
「『全ては夢でした』っていう句。まあ、本当は恋愛の話なんだけど。現実が全部夢であってほしいっていう顔してるから。...嫌なことあった?」
突然言われて、全てを見抜かれたようでただただ驚くことしかできない。
「えっと、特にそういうわけではなくて、ただ、街を歩くのが好きなんです」
「そうなんだ...私とはちょっと違うんだね」
彼女はそう言って優しく笑った。
どうにも儚げで、消えてしまいそうな笑み。
「まあ、言いたくないならいいけど。...『ひと花はみづから渓にもとめきませ若狭の雪に堪へむ紅』」
「それの意味は?」
「好きな句の一つなんだけど、『花の一つはあなたのためにあるはず。若狭の深い雪にも堪えて咲いていそうな紅の花を、渓の奥であろうと自分で探しにきてみなさい』、みたいな。...これも本当は恋の詩なはずなんだけど、私にはそうは思えないんだよね」
「『花の一つはあなたのためにあるはず』なんて、素敵ですね」
そうでしょ、と目の前の女性は笑った。
(なんだか楽しくなってきちゃった...)
「私は弥生。あなたは?」
「葉月です」
「多分年齢としそんなに変わらないし、敬語やめて。さんとかも要らないから。また会えるかは分からないけど...よろしくね、葉月」
「はい、じゃなくて...よろしく、や、弥生」
(友だちができたって思ってもいいのかな)
私にもいつか、『私のためだけの花』が見つかるのだろうか。
しばらく話していると、もう一つあったからとまた半分にして私に分けてくれる。
手のなかにある大福のように半分に欠けた月が、いつまでも二つの影を照らしていた。
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