カルム

黒蝶

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もうひとり

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「…その子、記憶がないの?」
「俺が見つけたときには何も覚えていなくて…持ち物や入っていた箱を調べて、名前だけは分かったんです」
まだまだ分からないことも多いが、表情が少し明るくなったような気がする。
「もうひとりが見つかってないんだ。もしかすると、勝手に歩いてどこかへ行ってしまったのかもしれない。
…或いは、その子が呪いの人形の噂と融合した可能性がある」
「だから小鞠のことを気をつけろって言ってくれたんですよね」
「…噂に左右されれば、繰り返す少女程度のものでは済まされなくなる」
繰り返す少女というのは、何度も飛び降りていた彼女のことを指すのだろう。
「…もう少し詳しく聞かせてもらえませんか?」
「僕は構わないけど、君の体調は、」
「問題ありません。お茶淹れてきます」
即答してキッチンに立つ。
どんなものが好きかなんて分からないけど、取り敢えず作っておいたかぼちゃクッキーを冷蔵庫から取り出した。
「先輩、よかったら…」
目の前の光景にそこで言葉を止めた。
小鞠が先輩のじっと見て、思いきり抱きついたのだ。
「小鞠、先輩が困ってるから一旦こっちにおいで」
『悲しそう』
「え?」
『安心』
それだけ話すと、今度は俺のところにやってきて足にしがみついた。
「すみません。今日はいつもより甘えん坊みたいです」
「…少し驚いたけど、本当に君のことが好きなんだね」
「そうだといいんですけど…。小鞠、座るまでの間だけでいいから離れてくれないかな?」
『小鞠、困らせてはいけませんよ』
『分かった』
渋々といった感じだったものの、頬をふくらませながらも足から離れてくれた。
「ありがとう」
『食べたい』
「そういえば、この種類のクッキーは食べたことなかったな。…どうぞ」
小さめに割って渡すと、小鞠は美味しそうに食べている。
今はそれだけで充分だった。
「その子、いつもご飯を食べているの?」
「一応栄養が偏らないように野菜も食べてもらうようにしているんですけど…もしかして、対応間違ってますか?」
「いや。そこまでちゃんと面倒を見る人を見たことがなかったから、新鮮な感じがするだけ。
それに、もうひとりはどうしているのか気になったんだ。もし食事が必要な体なら、相当お腹が空いているはず」
確かにそうだ。
小鞠がやってきてそこまで日が経っていないとはいえ、もし持ち主さんが死んでしまってからずっと何も食べていなかったらどうなるんだろう。
そんな不安が途端にこみあげてくる。
「…もうひとり、大丈夫でしょうか?」
名前も知らない相手ではあるが、小鞠にとっては大切だったかもしれない人だ。
それならちゃんと捜し出したい。
俺にできるかなんて分からないけど、もし噂に巻きこまれているようなら力になりたいと思う。
…ただ、これ以上誰も巻きこみたくないので先輩には黙っておくことにした。
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