夜紅譚

黒蝶

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第3章『雨に魅入られたもの』

第17話

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怒りに囚われてしまっては確実に暴走する。
「…傘に名前は書いてあるのか?」
《持ち手に、ちゃんと書いたよ。まな、ちゃんと書いた》
「そうか。そういえば、まだ名前を聞いてなかったな」
このまま話していれば、噂からも解放してやれるかもしれない。
《田中まなみ。みんなまなって呼んでくれるよ》
「それじゃあまな、いつから自分がここにいるか覚えているか?」
《…3ヶ月くらい前からぼんやりしてて、あんまり覚えてない》
『調べてみます』
耳元で桜良の声がして、ぱらぱらと資料がめくられていく。
その間も色々訊いてみることにした。
「まなが覚えていることを話してもらえないかな?」
《お気に入りの傘を自転車の人に盗られちゃって、走って、走って、いっぱい走って…でも見つからなかった。
どこに行ったか分からなくなったし、まなは迷子になっちゃったの》
「それは大変だったな」
《もうすぐお姉ちゃんになるからしっかりしないといけないのに、またお母さんに怒られちゃう…》
まなの不安を感じ取っていると、哀しい情報が耳に届いた。
『ありました。田中まなちゃん7歳が脇見運転していたトラックに撥ねられ死亡。
その荷台に傘が乗っていたと書かれています』
「…荷台に傘が?」
《そうだ…トラック!銀色のトラックに、まなの傘があったよ。体が飛んだときに見たの。痛くて、イタくて……傘、カエセ》
正気を取り戻している様子だったのに、うっかりトラックという単語を出してしまった瞬間暴走しはじめた。
《アノ傘、オ兄ちゃンオ兄チャんオニイチャン!》
少しきつく首を絞められ、意識が遠のいていく。
だが、ここで引き下がるわけにはいかない。
「…ごめん」
伝わっているかは分からないが、それだけ話して少女の背後に札を投げる。
「──燃えろ」
《イタ、イタイ、熱イヨオ!》
目を背けたくなる光景だが、逃げたくない。
「桜良、噂、を…」
『すぐに書き換えます』
桜良はそう話した直後、放送器具のスイッチを入れたようだ。
『【みなさんは、こんな悲しい話を知っていますな?それは、ひとりの少女の孤独な話…】』
なんとか噂と切り離せたらしいまなを見ると、ぼんやりしているようだった。
「ごめん。痛かったよな…」
《お姉さん》
「どうした?」
《まな、もう一回だけお兄ちゃんに会いたい。傘のこと、ちゃんと謝りたいの。
お兄ちゃんは、まなのことをお姉ちゃんになるんだからって怒らなかった。ふたりで帰り道お菓子を買うのが楽しかった…。だから、ありがとうって言いたい》
この子は地縛霊というわけではないだろうし、桜良が噂を書き換えてくれたことによってもう人間を襲うことはないだろう。
「すぐには無理かもしれないけど調べてみるよ。お兄さんのこと、できるだけ詳しく聞かせてくれ」
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