クラシオン

黒蝶

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たったひとつの花

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お客がこんなに間隔短くやってくることなんて今までなかった。
人間というものは本当に分かりづらい。
「...悪意を持った人間が増えている、ということなのか」
町を少し歩いただけで、その事はなんとなく理解した。
あの人は嫌だのこの人はいまいちだからだの、本当に面倒だ。
その言葉ひとつがナイフになっていることにさえ気づいていないのだろうか。
『世界は薄情というか、とにかく疲れる相手が多いんだ。でも、この店にこられる人々は違う。
だからこそ、俺はせいいっぱいもてなしたいんだよ』
俺にはあの人が話していたことがあまり理解できていない。
これから知ることができるだろうか。
この日、久しぶりにお客が来なかった。
シルキーだって仕事できているのだから、こういうこともあるだろう。
月光が差し込み出した頃、店を閉める準備をはじめた。
看板を仕舞い、《Closed》の文字を出す。
今夜もまたハーブを摘みにいこうなんて呑気なことを考えていると、誰かが近くを通った音がした。
「...いらっしゃいませ」
最近の人間は深夜に活動することが多いのだろうか。
それとも、彼女にも家に帰れない事情があるのか...どうしても考えてしまう。
「あ、の、えっと...」
「ようこそ、『クラシオン』へ。こちらへどうぞ」
扉を開きながら、何を作ろうかと考える。
何せお客様がやって来ると思っていなかった俺は、自分の賄いしか作っていないのだ。
「少々お待ちください」
あまりいいものではないが、満足してもらえるだろうか。
そんな不安もありつつ、取り敢えず座るように促す。
「あの、僕のことはどうか気にしないでください」
少し低めの声に、よく見ると若干生えている喉仏。
...彼女ではない、彼だ。
ただ、この場合はどう呼ぶのがいいのだろう。
ただひらひらなものが好きなだけなのかもしれないし、心は女の子なのかもしれない。
「お客様、そう仰らずにどうか食べてみてください。...賄いもので申し訳ないけど、それでよければどうぞ」
「ありがとう、ございます...」
「他に必要なものはありますか?」
「いえ、大丈夫です」
丁寧な口調に柔らかい雰囲気を纏ったその人は、相当傷ついているような気がする。
どんな方であれ、大切なお客様であることに変わりはない。
...話を聞く前に、まだ寒い山奥まで来てもらえたのだから料理を楽しんでもらうことにしよう。
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