クラシオン

黒蝶

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「いらっしゃいませ」
この日やってきたお客様は、少し特別な方だった。
「そんなに畏まらなくてもいいのよ。私はあなたを驚かせようと思ったわけではないから...」
「これがこの店のいつもどおりなんです、一応」
勿論緊張しないわけではない。
今日はこの方の貸しきり状態にしてあるが、視線をどこに向ければいいのかさえ分からないのだ。
『神様に近い人たちに、いきなり質問していいのは無垢な子どもたちだけだ。
俺や──くらいの年齢なら、まずは好きなお飲み物でもてなすのがいいだろうね』
「あの、マスター」
「申し訳ありません。もしかして、何か足りなかったとか...」
「そうではないのです。ただ、その...雨は好きですか?」
「恵みだと思っています。水がなければハーブや花たちが育ちませんから」
「そう、なのですね」
目の前の神様は少しだけ寂しそうに笑った。
...いや、寂しいというよりも哀しいのかもしれない。
何があったのかとこちらから訊くのも失礼だろうと思うと、ただお茶をお出しするくらいしかできることが見当たらなかった。
「このハーブティー、私はとても好きよ」
「ありがとうございます」
ただ、この店を見つけられたということはなる。
なんとかして少しでも元気になっていただきたいが、何ができるのか分からない。
目の前の瞳は何か言いたげに揺られ、どんな反応を見せるのが正解なのか分からなくなってしまった。
もしかすると、先程の質問が関係しているのだろうか。
色々と思考を巡らせていると、目の前の女性はゆっくりと話しはじめた。
「...私は、どこへ行っても嫌われてしまうと諦めています」
世の中には、雨や雪があまり好きではない人たちもいる。
それは理解しているつもりだが、一体何があったのだろう。
「世の中には、雨を止ませたいと考える方の方が多いのです。
じめじめするからだとか、外で洗濯できないからだとか...ずっとそんなふうに言われてしまったら、誰だって平気ではなくなります」
それは、彼女だからこその悩みだった。
雨だって大切なものなのに、じめじめしているからだとかそんな理由で否定されてしまうのはとても虚しい。
今目の前にいるのは6月の神様なのだから、余計に心が傷ついたことだろう。
「私なんて消えてしまえばいい...そう思いながら歩いていたらここに辿り着いたんです」
神様のお悩みは、あまりにも哀しいものだった。
どうすれば彼女の心を癒せるだろうか。
できることはかなり限られているので、口から零れたのはありふれた言葉だった。
「...何か、召しあがってみたいものはありませんか?」
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